無気力な人類に覆われた球体

災害の大きさに依ってなのか 人類の無気力かつ乱暴な動きが目立つ。球体の有限性に 未だに気が付いていないかのようだ。

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成るべくして成る

世の全てのことは「成るべくして成っている」のだが 人間がそれを認知するのは難しく、山積した世界の厄介な問題は その証左だろう。個人の認知も 社会的な認知に昇華されてはじめて社会的な力を得て問題解決に繋がる。結局、「探索行動に対する 社会の受容力が試されている」とも言える。

 

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「世の常」ではあるが

身近なマスコミ報道は 自然災害 経済不況 戦争 などにより社会不安が悪化の一途を辿っていることを連日伝え、転換の手掛かりを見失っているようだが、それが現象に対する捉え方次第なのは「世の常」だが、目を塞ぎ他事に感けていては 埒は開かない。

 

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成るべくして成るようになる

混乱し先の見通せない世の中だったが、このところの世界の動きを見ていると、希望が湧いてくる出来事に満ちている。希望が湧いてくる とは即時的ではないが、希望に繋がるよすがのような感じである。

それは 懸案の自然破壊や戦争や不景気を含め全てに行き渡っているような気がする。

結局、世界は「成るべくして成るようになる。」ように出来ているんだ。

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流れに身を任せ

日本は総選挙の結果、これまでの流れの勢いに少々ブレーキが掛かったようだだが、基本的に方向を変えるものではなく、社会的矛盾をさらに深めるだろう。政治家だけでなくマスメディア自身の社会認識の不明が深く原因しているようだ。結局は成り行きに身をゆだねるほかないようだ。舵取り出来ない船のようだ。

 

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両者はこぶしの収め時か?

星空を少し散歩した後、地球に戻って見たら聞いていたほど荒れてはいなかった。

それなりに落ち着いてきているようだった。焦点だったイスラエル・アメリカと幾つかのイスラエルの周辺国との争いも 下火になってきた感もあるが、両者とも振り上げたこぶしをどう収めるんだろう?

何事にも「収め時」というものがある。こんなことをやってる場合じゃないのに・・・人々は 言ってることがバラバラだ。どうしてこんなに情報を共有できないでいるんだろう?  回路の違いか?

 

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世界史的視野で争いを追う

イスラエルとイランが第3次世界大戦に発展するかのようにギリギリ作戦を立てながら 睨み合っている。

「勝ち負け」とは別に 結果は世界史的に好ましい形で収束するだろうと期待しながら、追いかけている。

 自然や生命の貴さの【今】が問われている。

かつてのアフリカへの植民地支配が重なって見える。

 

 

 

 

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風向き

 今日 世界の争いの風向きが変わったような気がした。

 

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アフリカの太鼓(哲学)

アフリカの哲学を研究している学者がいた。

アフリカに哲学者のいたことを初めて知った。アフリカ大陸は 人類が築いてきたこの文明を俯瞰するのに最もふさわしい所だと考えていた。1さつ読んでみたい。

今日ニュースを漁っていると 世界が写真1枚に収められるような気がしてきた。

現行の世界の一部を切り取った誇大な「ワールドニュース」を何時まで続けるのやら?

 

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自然回帰

自然を破壊するこの経済社会の行き詰まりは 自然と共存する経済社会に転換する他ないのだが、人類はそのことに確信をもって切り替えられずにいる。幾多の困難を経験してたどり着くとは思うが、未だ足りないのだろう。

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