世の中の見える世界から見えない世界まで思いっきり。特に、子供、教育、不登校、自閉症等 情緒に関心あり
天まで届け
規制と規制緩和
【規制緩和】と聞くと誰もが喜ぶ。誰でも自由でありたいから、縛られたものから解放される事だと思い歓迎するのは自然なことだろう。
だが、貧乏人・病人・犯罪者に【規制緩和】となるとどうなる?
規制緩和も時によりけりで、今日のように人心まで荒廃してくると、これまでの【規制緩和】の用いるところが反対だったのではないかとさえ思う。
勿論、一概には言えないが、規制緩和と規制をの使うところを逆にしてはどうかと思う。
例えば、子供達をテストや宿題で規制するのは緩和し、塾などで自由時間の保障されていない子供には、自由時間を確保するよう規制する。
似たような事は大人にもたくさんある。
要するに事の良し悪しや、やり方を逆にしてみる。
経済も、教育も、今日の崩れを見ると、試みたい一つの発想ではないか。
アメリカの民主党大会
民主党大会で、オバマ氏が次期大統領候補を受託し、共和党のマケイン氏とその座を争う事になった。
これまでの失政の8年間をチェンジ(変化)しなければならないと訴えた。今のところ世論はオバマ氏に傾いているらしい。
あのアメリカで黒人の大統領が誕生するかもしれない。それは実質世界のリダーを意味している。
この現実を4年前、誰が予想出来たろう? 現政権を失政と批判し、新しい対外政策や経済政策でアメリカンドリームを再生すると言う。
ある種の期待は持つが、結局はアメリカンドリームが今日に至ったように結果的には一時の事になるだろうと思う。
何故なら、目先の政策はチェンジしても、元になる価値観は何ら変わっていない。(日本でも再生の言葉をよく聞くが、崩壊の原因を棚上げしたまま、言葉を変えた政策が出て来て今日に至ってる)。
オバマ氏の言ってる事もそこを抜け出してはいない。彼の視座はアメリカであり、アメリカを中心にした世界で、地球の視座を持たない。
それでも、黒人が世界のリーダーになるという、メルヘンのような話がそこにある。世界の文化史の新しい1ページである事に違いはない。
不慮な事件に遭遇しない事を願う。
暢気と短気
地球上で武力衝突を伴う紛争は15所に及ぶらしい。
地球が、経済が、食料が‥と言われてる中で何とも気の短い行動に見える。
当面、日本はその中に入ってはいないが、毎日100人からの自殺者をここ10年出し続けている。そういう暢気な国は世界に5つとない。
短気の暢気は正反対のようだが、ヒトの命が軽んずる点で共通していないか?
共に状況に対して仕組みが機能せず適切に行動出来ない。
地球温暖化の中、我々はこのような暴走を放置するのか,舵を手元に取り戻す努力をするのか?
権力や社会の仕組みだけでなく一人ひとりの個人も、求められている【制御の効いた行動】とはどんな行動だろう?
ここ2週間天気が悪く、せっかくの月が見られないが、ゆっくり待つ事にしよう。
伊藤さん遺体で発見
『アフガンを緑豊かな大地に』の思いで、現地に飛び込んでいた青年が、同じアフガン人に殺された。
結果とは相容れないが、この日本の青年の心意気をを誇りに思い、心より弔いたい気持ちになる。
アフガンの治安の悪化の背景は誰もが共有し、どこか責任の端っこに繋がっていなくも無い感じもする。
襲撃したとされる武装勢力は『外国人は全て国外に出るまで殺す。」との声明を出した。 ありえない様な事が声明で出される事実を我々がどう見るかを伊藤さんは我々に問いかけているかもしれない。
福田首相は「伊藤さんの命を奪った行為に強い憤りを覚える。」との談話を発表したが、ポイントを外している感じだ。
我々の稼業
【経済総合対策】
秋の臨時国会に向た、政府の経済対策の概要が報道された。
予想通りだった。
経済の応急措置や今日に至った経済の体質改善に向けた発想はどこにも見当たらない。
バラマキかどうかを云々しているようだが、それはたいした問題ではない。
しかも、合わせて【福田版構造改革】まで準備し、GDPを押し上げると表明するらしい。
内外はそんな状況には全く無くまたもや飾りにしかならない。
実際、政策の成功例はどこまでさかのぼれば見出せるか?
首相の「誠実、実行」のイメージがこれまで同様、平凡な「お前もか!」になりそうだ。
首相や政府だけでなく各界各層のリーダーや我々も、かなり出来上がっているということだろうが、車じゃないから、おまわりさんも捕まえない。
誤魔化す言葉の使い分け
ヒトビトは一方では温暖化、一方では景気後退、一方ではグルジア紛争を「地球環境」「グローバりゼーション」「国際社会」の言葉を使い分けながら、とるべき方向を見出そうとしている。
地球上、ヒトや物の往来は増え客観的には国やヒトの垣根は低くなる一方、地球の異変は進行し、経済も行き詰まっているにもかかわらず、ヒトの頭や行動は、国盗り物語と変わらない。
現実とのズレが大きすぎ、出口を見出せにのは当然。
結局は地球に下駄を預けたようなもので、なるようにしかならい。
それにしても、必死で言葉を使い分ける【人間】は何なんだろう? 得する人も国も思い当たらない。
戦略上云々言っても、ロシアもアメリカも、まして海外依存の殊更強い日本は、どっちに転んでもいいことが在るようには考えられない。
その日本が一生懸命言葉を使い分けている。
地球環境、地球経済、地球上の平和と戦争を「地球」の言葉を基底にすると、全てがつながりどうすればいいかは分りやすい。
どの問題も、国の概念では解決が難しい所までとっくに来ている。
楽しみな集まり
今日は、30年近く前勤務していた学校の同僚が年に一度集まるコンパがある。最年長は80歳近く、半分以上は定年退職している。
あのころの共通した思いが今も続きみんなの誇りのようで、この会もミュージカル同様会うと、力が湧く。
オリンピック閉会
昨夜、北京オリンピックは閉会した。
4年に1度のこの祭典は子供のころから大好きで、競技を追い、声援を送ってきた。
今回は、白けを感じテレビをつけなかったり、競技も音声を消して見る事が多かった。
我々はテレビや新聞のメディアを通じてしか競技を見ることができないが、演出的な着色が強すぎて、スポーツの爽やかさが薄れるだけでなく、音声が邪魔し、競技の細かな動きを見えにくくしていた。
あのショウアップは私の好みではない。
もう一つこの期間に感じた事は
新聞テレビ雑誌などのメディアは多様に見えるがポイントの情報管制はほぼ1元的で、かなり細かいところまで微調整される徹底振りに感じた。他方、このひと月、オリンピックや国会の休会で、日本の経済や社会の現実を抱えがらよそ見をしていなかったか?
「メディアの崩壊」政治ジャーナリスト、上杉孝司著 を読んだせいもあって、メディアに登場する担当者の奥にある作為的な歪んだ仕組みをオリンピックの報道を通してひしひし感じた。
これも文明のボタンの賭け違いから生じた一つにちがいない。
自分がどこに立っているかの足元を見るのは他人事でなく難しい。
改めて自己紹介
時間も経過しているので、改めて明らかにしておきたい。
椿坂俊夫 (67才) (元教員)
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