自分のリアリティ

 
個人への社会的な力が強いと、自分感覚は薄れ不安感は高まる。

   囲碁の面白さの根っこは、勝負や強くなる事より、自分のリアリティ(現実感)を磨きより現実感のはっきりした新しい自分に出会うことなのかな?、とふと思った。
 
  
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やればやれるんだ!


あの小さな星を拡大してようく見るとおかしくなっているが、なかなか戻せないでいる。
  ヒトビトの作った法律などで出来た社会の仕組みが、戻すのを阻んでいるようだ。
 待てよ! 軍備を持たないとした憲法を持っていても、解釈次第で立派な軍隊を持てるのだから‥?、‥意思次第でやればやれるんだ!
  

 
 
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「有知蒙昧」

人の知的水準は高くなっているはずなのに、地球がおかしくなっている。
 娘が言う【有知蒙昧】の造語がピッタリだ。
 長年(知っている)と思って来た事が、事実と違っていることに気が付き、目からウロコの喜びを感じることがある。

  しかし、「無知蒙昧」をあざけ・恥じらう文化は変わらない。
    知の入れ替えをしなくちゃ‥
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クラス会


久々に会った子供たち
 
 みんなたくましくなった

 彼らに出会った年代に彼らがなって

 彼らの子供は 孫みたい

 何時の間にやら、浦島太郎になっていた

 

 
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 元気?なのは メディア関係

 

政治は権力かメディアかに関わらず専制的に見える。その専制支配の利益はどこに帰するというのか?
 国であれ階層であれ集まりであれ、いかなる社会の裏・表であれ、限度を越えると目先の利益は部分的にはあるだろうが、果たして将来や未来に繋がる利益を得ている人はいるのだろうか?
 専制支配の見ている先がどこであれ、見ているものの目的や内容は(実は)ないか、
 曖昧なのではないのか、と考えた。
 メディアに翻弄される日本の政治や普天間問題を見ていて、その場その場で猫の目のようにくるくる変わりながら偉そうに論評するメディアの一貫性のない主張と無責任さに、専制支配の【愚】を見た思い。
今日本で偉そうに明るく?物を言ってるのはメディアかメディアの御指名に預かった人、それからメディアの情報をオーム返しに増幅して喋る人以外にいないのではないか。
 
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周囲の変化

  このところ、庭に来るスズメの数が減ったと思っていたら、先日テレビでそのことがあちこちで見られると報じていた。
 それらに詳しい近所の人の話では、セミやトンボやチョウやカエルばかりでなく、近くの川の生き物や水鳥、植生などにも変化が見られると言う。
 この町の人でないとこの町の環境の変化は分らない。しかし、この町にその変化を把握しその情報を伝えるシステムは無い。子供たちは学校でも学ばないし、大人は忙しくてそんなことを追跡できない。
 同じ町に住んでいて周囲の環境の変化の認識が可也違っているようだ。
  いつの間にか共有していた周囲の状況の認識が随分離れてしまっているような気がする。これは情報の個別化とは違い、人の繋がりやコミュニケーションを難しくしている一つかもしれない。
 
 
 
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メディアの中立性

メデイウム=培養液のような情報 に例えられるメディアの政治報道は党派に偏るか、全否定的な政治不信を煽るような情報が多い。社会的責任の上に立った、何人にも役に立つ原則的な情報を中心に伝えられないものだろうか?
確かに中立性(或いは独立性)や普遍性は難しいかもしれないが、少なくてもそれを追求する姿勢は堅持してもらいたい。それによってものの言い方一つも変わって来る。そうすれば人々の思考は深まるし政治の選択の幅も広がる。何より報道そのものがもう少し落ち着いて品がただよう。
 
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景気を悪くする景気対策

政治は何時の時代も景気対策を優先して行ってきたが、景気はよくなっているどころか悪くなっているようだ。単に実感が伴わないだけでなく、実質的可分所得が減っている。
この間《~以来の好景気》と言われた時期もあったが、それは(景気とは何ぞや?)が問われるだけである。
 世界は景気対策を繰り返しながら、景気を悪くしている。結果的だが論理的に《景気を悪くする景気対策》と言えなくもない。
 しかし、これは難しい論理的な帰結でなく、目に見える政策からも言える。
 これまで世界は景気対策として、国は借金しながら財政投資と金融緩和を2本柱として進めてきた。
 今はギリシャの財政赤字が世界の景気を落としている。
 小さなギリシャだけでなく超大国アメリカや経済大国日本など先進主要国は軒並み赤字財政下にある。しかし、借金して景気がよくならないのは当然な事で、どこかで勘違いしていることになる。
 要するに周りにお金がある時代は一時期借金しても事業によって稼ぐ事はできる。
 しかし、あちこちが借金している時、同じ方法は通じないのは自明。
 (あくまでも例えの話だが、サラ金国家《金融国家》が多くなりすぎて、サラ金稼業がうまくいかない、と言う言い方もあながち的外れとはいえないだろう。この例えで言えば、国民は知らないうちにサラ金地獄の中にいるとも言える。)
 とっくに限度のラインを超えているのに、相変わらず旧来のサラ金的な《景気対策》を繰り返している。
 
教育もまた同じように、教育政策によって教育の悪化を進めている。
  何事も、限度を越えたら、逆の結果を招く。(過ぎたるは及ばざるが如し)
見極めが全く出来ていない。

(だから、小さな星は可笑しく面白いとも言えるが、自ら霊長類と命名するヒトであっても子供たちには、そうは言えまい。)



 
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無責任な《ユーロ危機と日本》

日本の主要紙である朝日新聞の社説で《ユーロ危機と日本》と題して「信用の崩壊を食い止めよ」さらに「財政赤字を放置しない責任感ある政府を持つ事こそ、ギリシャから得るべき教訓である」と結んでいる。
 感覚的にはあまりににも当然過ぎて、内容的には何もいっていないに等しい。
  
 《将来雪だるま式になる》との声がありながら、財政投資と金融中心の景気対策を求めるマスコミ情報の支援もあって日本は法律的に赤字国債を発行し続け、30年近くにもなる。
 特に。規制緩和によって金融国家へ導こうとした小泉郵政改革を支持し、水先案内役を果たし世論を形成し総選挙で圧勝させたのは4年前でなかったか。
 これまでの経過と責任をほうかぶりして、正論(政論)を言うマスコミは何も語っていないに等しい。またして、こんな無責任な情報によって責任感のある政府や民意や世論を形成できるものではない。
 これが、一国の話でなく世界的だから、地球ごと可笑しくおかしいことになる。
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そっぽを向いたヒラヒラした動き

氷山までもが崩れ流され溶け出すのだから、ニンゲンの社会や人心が崩ずれるのは仕方ないかもしれない。
 原因がニンゲン活動だと 知っているなら、向き合えばいいのになかなか向き合おうともしない。
結局、球体から揺さぶられ催促される。
 
ハイチやチリーの地震をさておいて、米軍基地、元切り上げ、ユーロ危機、哨戒艦沈没、と飛び歩く超大国のリーダーのそっぽを向いたヒラヒラした動き。
 遠い外国の島に強引に基地を作られたヒトビト、大国の都合で国を2分したままにされてるヒトビトが自然で安心した心でいられるだろうか?
国の借金をそのままにして、為替や金融操作で解決すると考えるのが自然かなー?
 自然なら解決するし自然に反していれば解決しない,時に反発を喰う、ただそれだけ。
 情報機関(メディア)は その辺の情報を集め伝えたらいいのに、やる事をやらない。

 

 
 
 


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