世の中の見える世界から見えない世界まで思いっきり。特に、子供、教育、不登校、自閉症等 情緒に関心あり
天まで届け
世界的にも珍しい取りようもない大人の責任
日本政府(文科省)は学力テストの結果の学校別公表を地方自治体に任せると方針転換したと言う。
もたらす結果を 誰がどう予想しているだろう? 始末に負えないツケを残した上、次代を担う子供たちを壊してしまうとは。
子供たちが蒙る被害を 最近の天気予報の言葉を借りると、「これまで経験したことのない規模」になるだろうなろうことは経験から言うと明白で 責任は文科省や専門家やマスコミは言うに及ばず 保護者を含めた大人全体なのだが、その責任は取りようが無い。
教育の現状をさらに悪化させる公子供への迫害にも等しい 世界的にも歴史的にも珍しいケース。
「欧米では日本の学力テストの(学力)に当たる言葉も無い」(白梅大学長 汐見教授) との話もあるぐらいなのに 日本はどうしたんだ…
文化人の政治感覚
秘密保護法 廃案求め声明 分野超え31人、会結成 ノーベル賞学者ら決起 「国民が危機感持たねば」 「長期活動で気骨示せ」
東京新聞 11月29日 朝刊1面トップの見出しである。
一般的に 有識者と言われる文化人の政治に対する反応は鈍い。
黒塗りが多すぎて分り難い国際政治
国際政治は黒塗りされているようで理解しにくい。
理解しようとすれば、パズルや方程式のように見える部分や定数を基に導くか、幾何で補助線を引くような方法で証明するしかない。
ニュースと話題は違う
今日 世界中に流されたトップニュースは「イラン核協議合意」だったのではないか。
マスコミ得意の意味曖昧な「国際世論」的には多少の問題を残すとしながらも、歓迎した報道ぶり、これが内容だった。
東京新聞は2面の下の方に小さく COP19(気候変動枠組条約締約国会議)が温暖化ガス排出削減の枠組み作りで後退したことが載っていた。
世界の安全を考えたら、この二つのニュースの軽重は逆ではないだろうか。
確かに核の問題は安全上避けて通れないのだが、世界的見るとある意味で一部の国益の争いである。
世界の危機を管理する立場からは どちらを優先させるべきだろう?
世界の報道機関が ほとんど{右倣え)で報道し、特にテレビはCOP19そのものを伝えない所まで横並びになっているのには 情報機関の無感覚さに違和感 を覚える。
国内ニュースではでは相変わらず、日本の(農薬大国)の災禍の現実は報道されず、ほとんどの国民は知らないまま生活している。
人々の安全管理の優先順がニュースの優先順にはならないのか。 ニュースと話題は違う。
語彙不足
「世界が自然をも支配する身勝手な人間中心の民主主義ではなく、人間を自然の1部とした本来的な自然主義になるだけ早く変わってほしい。」
来年の七夕の短冊に書きたいのだが、「人間を自然の1部とした本来的な自然主義」 あの狭いスペースにこんなに長々と書けるかけるだろうか。
Ⅰ語で言える良い単語は無いかなー? ちょっとしたら 言葉が無いから作業が遅れているのかもしれない。語彙不足は自分個人か人類か?
浮遊した富裕層の多いわけ
ホタルどころか このところ ここでトンボを全く見なくなって3年になる。
カエルの声も聞けなくなったし、飛んでくるスズメの群れも小さくなった。
周りの自然環境は変わり、子どもの頃の歌は 遠い遠い昔のようだ。
周囲の変化は自然環境だけでなく 子供たちの生活も大きく変えた。
登校できない子供や情緒的に落着けないで困難を来している子供多く、親や学校の悩みにもなっている。
ところが、これら周囲がこんなに変わってきているのに、さっぱり大人の話題にはならない。
夕方、 ほとんど子供の姿は見当たらないのに、相変わらず帰宅を促す『夕焼け小焼け」のような曲が町中に流される。
住人が、周囲の自然や子供の変化に反応しないだけでなく、不登校や発達障害の児童生徒数の変化は学校の教師や役所の職員からも訊ねても答えても らったことが無い。
いつのまにか 人々が生きるために持つ主たる情報を 自分が直接目や耳で得るのをないがしろにし、マスコミを通した情報に頼ってしまったようだ。
スポンサーを支えに経営する情報機関の情報の目的が 即 人々の願いや周囲の現状を伝える事ではない現在、現状や現実は闇に包まれ
限られた手がかりで真相を探る他ない。 現在さらに機密を増やそうと言うのだから 私たちの判断はより難しくなる。
人が自分の直接目や頭を使わず マスコミが伝える情報で 己の立場を認識し行動する現状は正常だろうか。
加えて、スマホ依存症的な状況を見るにつけ 機密保護法以上の怖さを感じる。
浮遊した政治家と富裕層の多いのも無理はない。
あっさり降参も良し
半年ぐらい前だろうか、作家の澤地久恵さんが 日本の政局を歴史的な観点から評価した新聞への寄稿文で「降参して早く出直した方が良い」と書かれていた。
その時は(なるほど)ぐらいの感覚で読んだのだが、その後日増しにその言葉に実感を伴うようになってきた。
世界も日本も経済成長の戦いをしているが日本は経済成長の恩恵を多く受け多た分、行きづまりの反動も大きい。
GDPを指標とした経済成長路線からの出直しは(第1次産業を基盤にした産業構造の転換)だろうと思うが、ぐずぐずしていると犠牲が大きくなるだけだ。
大陸から離れた海洋国の日本らしくしがらみを捨てて、フットワークよく(あっさり降参し)、次代の新し道へ(世界に先駆け)歩み出した方が 日本の為にも世界の為にも良いと思う。
ドジの白日夢
補助線を引くと 世界は 理解しやすい。
考えた補助線 【 人類が築いた巨大な権力も 自然の(法)力には敵わない。】
《世界の政治・経済・文化・宗教・情報など人間活動の全分野に亘る強力な正体不明な権力による理性を欠いた支配も 結局は地球や自然無しには成り立たない。》
(これは 数学の公理 に当たる)
人類が【経済成長の御旗】で仕掛ける 自然に対する経済戦争の結末は 前記の補助線や公理によってたやすく予測できる。
だから、行き詰まっている世界は結末から逆算していち早く降参して新しく行動を起こさなければならないのだが、もたついている分だけ犠牲を増大させる。今は
その渦中にあって模索されてはいるが、はっきりした出口の方向は見い出せていない。
文化の退行現象
ソクラテスは「汝自身を知れ」
プラトンは「対話」
アリストテレスは「人間は社会的動物である」 と1000年以上も前の言葉である。
「人間は動物である」に形容句の(社会的)が加えられており、主述関係は(人間は動物である)になる。
ここでの動物は ハチや牛ヤギ等を想定していたようだ。
振り返って現代社会を見ると、アリストテレスの言葉を借りると「人間は 社会的存在である」に近い。
形容句の部分が述語に代わっているが、1000年たとうが 動物であることには変わりない。
要するに 現代社会は (文化の継承発展)の【継承】し損ねているように思われる。
世界的に見ても 保守を看板にした人たちも 自然を破壊することを無神経にやってこなかっただろうか。
ミミズのつぶやき
「大地がこんなに荒れて傷んでいるのに、あのヒトビトは 隠し事をしてどうしようしようと言うのだろう?虫の知らせか負け戦を思い出す」 (石の下から寂しそうに這い出して来たミミズのつぶやき)
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