ジャガイモ堀

手伝ってる畑でジャガイモを堀った。すぐ傍に、よこ腹に白い筋の入ったすずめに似た鳥が来てなにやらつっついている。
 ジャガイモやねぎ、春菊、明日葉など、他の野菜も沢山もらった。家族が少ないので、近所の人に持っていってもらった。
いい気分!
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景気後退と経済

我々から見ると、世界はインフレと景気後退下にあって、明るいニュースはあま聞けない。しかし、地球の長期的な経済から見ると話は別かもしれない。
 有限な資源のもとで、現在の経済構造や発展方向は何時までも続かない事だけは、はっきりしている。いつかは変えなければならない。
 それを、地球は我々に催促しているようにも見えるし、我々やサミットの動きを待ておられず、本来の経済構造へとすでに、工事を始めているようにも見える。
 壊さないと新築できないから、工期もかかるし、地球も大変だ。
 最終的に地球が良くなればいいわけだから、「これでいいのだ!」と、dozidoziはドジりながら思っている。

 

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「ブンナよ、木からおりてこい」

昨日、この町のアマチュア劇団が演じてくれた。
原作水上勉以外は全て素人の市民手作りの生命の尊厳をミュージカルに仕立てたもの。
本職のお芝居もよく見るが、素人の舞台はまた別の面白さがある。
今回も、続けて2回見た。
技術的にはプロにはかなわないが、だから一人ひとりの生地がでやすいような気がする。
半数近くは子供だが、緊張しているせいもあるが、体が硬い。
練習でそれを砕いているいるのだろう。
doziは固まって見ている。
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片岡知恵蔵

「ある時は、タクシーの運転手、ある時は、片目の浮浪者‥」子供の頃大好きだった片岡知恵蔵が扮する刑事物。男らしい意三船敏郎も大好きだった。銭形平次も大好きだった。将来、刑事になりたいとも思った。いまだに、テレビのサスペンス物をよく見る。ワイドショウーも途切れなく取り上げる。犯罪はどうしてこんなに面白いのだろう?犯罪に潜む心にどこか相通ずるものを感じながら、いつのまにか「それより自分は増し。」とそれを上から評論し裁く立場に立っているような気がする。正義をまといながら、ストレスや劣等感を解消させているのかもしれない。この種の娯楽や報道はなくならないだろうと、doziは思ってる。
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すずめがよく来てくれるが

多分、家に来るすずめは3回は近くの飼い猫に襲われtか脅されたのではないか?
 昨日は、現場を見た。すずめを出来るだけ部屋に近づかせたいので、アルミサッシの敷居のところにお米をまいておいた。すると、警戒しながらも小雀が数羽ついばんでいた。所が、どこからかぎつけたのか、例の猫が忍び寄るようにして背面から飛びかかった。すずめ全員は一瞬難を逃れた。猫はガラスに頭をぶつけたようだったが、慌てて猫を追い払った。
 ススメは遠くへは逃げず上の電線に並んでそれを見ていた。
すずめも猫も私も3者が複雑だったようだ。小さく可愛い意すずめにエサをあげるのだが、すずめは猫に襲わせる仕掛けを作っていると思っているかもしれないし、 猫だっておいしそうなエサが食べたいのに、ジャンボなじいさんに大声で脅される。私も超大国の大統領にも似た感じで、エサをまいてるのが良いのか悪いのか複雑になってしまう。
 今朝もすずめは用心しながらも沢山きてくれる。
 通ってる碁会所は、すずめは窓の敷居に止まってこちらを見たり、時には部屋の中まで入ってくる。エサをあげようとすると寄って来る。あそこは2階の部屋だから猫の心配がないからかもしれない。
 でも、やるだけやって見よう。
 最近は気のせいか口笛を吹くとどこからかすずめがやってくるような気がする。
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地と図

私は社会の出来事の不平不満を日記によく書く。その不満の基になるところを別の観点から述べて見たい。
  同じ赤丸を白い画用紙に書くのと黒い画用紙に書くのとでは、違って見える。(これは形態心理学の地と図の関係である。)
書かれたものを、絵として見たら、その絵は別のものになり、意味は変わる。
 この原理は図形や絵画だけでなく音楽や文章
、話し言葉も、さらに延長すると、地上の出来事の全てに通ずると思う。
 例えば、ある人が、同じ長靴をはいて、雨の日の通りを歩いているのと、雪の日の通りを歩くのでは、長靴の役割も全く変わる。極端だが、戦場で敵を討つと褒められ
るかもしれないが、街中で敵と言えども討つとたいていは罪になる。
 人は、ずーと地球の資源を掘り起こし活用してきた。それは天の恵みのようなもので少しも悪いとは思わない。しかし、今の時代、世界中で24時間、大がかりで、地球を掘り返し燃やし富を得るのは天の恵みだろうか?
 温暖化のように地球に異変を起こし、地球を壊して天の恵みとは言えないのではないか。
 同じ資源の活用が、恵みにもなり罪にもなる。
 平安時代、【子供は遊びをせんとや生まれけむ】と歌われたが、今、同じように誰かがそれを歌ったら、どんな意味になるだろうか?
 地の変化に対応しないで意味の曖昧な図を書く我々。
 今日の地球の風景にどうしてもは思えない、ドバイの奇妙なマンション。同じような奇妙なビルをアメリカもロシアも作る計画があると言う。
 地の変化に無頓着で思考パターンを変えられない我々。私の言いたいことの根っこに、この事があるようだ。

【地】あっての【図】であり、【図】あっての【地】ではない。

(面白い事に、日本でも「地金」とか「図に乗る」のように

地や図の言葉がどこか似たような意味で使われる。)

 

 

 

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目まぐるしいが緩慢な動き

世の中どこもくるくる変わり、そして忙しそう。とりわけ、テレビのワイドショーの語り口調や、次々出る新製品のコマーシャルはせっつかれる感じだ。
 ところで私はまだ読んだ事はないが、今、小林多喜二の書かれた「蟹工船」がブームのように読まれているという。ワーキングプアと言われる若い人たちに読まれているらしい。
 この人たちのニーズにあった作品がこの60年近く書かれてこなかった事を意味していないか?との評論を読み、尤もだと思った。
 そして、小説だけでなく、文化として見た場合、他の多くの領域や分野でも似たところはないかと考えさせられた。技術は進歩し、ある意味で文化の多様化は、昔とは比較にならないが、果たして本当に必要で求めているものが溢れているのだろうか?逆に、本当に欲しい物は、さかのぼって探さなければならないような感じすらする。
 教育関係でも、世に出てくる言説は人の知恵がますます立ち枯れしているようでむしろ、我々の親達が普通に言っていた言葉や諺に教育の生命力を感じ、用いることが増えた。
 だから、状況を基準にすると実際は我々が感じているのとは違って、緩慢或いは方向違いの動きや変化になっているかもしれない。
 そうしないと、これだけ文明文化が発達したといいながら、人類が水や食う物に困る状況の説明は出来ない。人類の6分の1が飢餓に苦しむ時代が、かつてあっただろうか?
 子供の頃の感覚だが、敗戦後の日本でも6人に一人が飢餓状態ではなかった。まして温暖化なんて。

テレビや街の風景にある、忙しさや、豊かさ、楽しさを、今一度

振り返らないと、とんでもないところへ行きそうだ。 

 

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世界同時不況

地球環境と世界経済を危惧した報道のない日はない。
世界の経済はスタグフレーションの様相で、かつてなく深刻なようだ。
 しかし共に、出口や余裕がないとも思えない。なぜなら、無駄とは言わないが、不要不急の戦争や宇宙開発に膨大な予算が使われているからである。
 本当に切羽詰ったら、そこに予算は回らない理屈は個人も家庭も世界も変わらない。
 地球からの稼ぎ方から、稼いだお金の使い道まで、余裕の内にある。
 実際がどうかは別にして、その(思い)で動いている。
 業だ欲だといっても、ヒトも生物だから、いよいよになったら、目を醒ます。

クライシス!(危機)と声高に叫びながら、眠ってる自分も例外ではない。
 オバマ氏の【チェンヂ】が、(あちこちで聞くような、自分も言ってるような)寝言でなければいいが

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ビジネスチャンス



地球環境の破壊はビジネスチャンスでエコビジネス。

食糧危機はアグリ(農業)ビジネスでモンサント社は遺伝子組み換えで大儲け。

戦争がビジネスチャンスになり、恩恵に浴するヒトも少なくない。
 
こう来ると、地震対策は耐震偽装だけでなく、ここへ来て大声で進められてる学校などの耐震化も気にならなくもない。
 子供の安全上、優先順位は高いし、大地震で学校が倒壊した事を考えると、尤もだとは思うのだが、スッキリしない。学校で月1の難訓練をするが、毎日、子供を前にすると、もしもの話ではない目前の心配は山ほどある。いやいや学校へ来て、傷つく子供達。その学校へも来れないでお家に篭る子供達。
 話を広げて、国民?の安全を見ても、毎日決まって90人から自殺し、10年たつ。この10年間に30万人以上が自ら命を経った。元々、好んで命を絶つヒトなどいるはずがない。でも放ったらかしみたいな物だ。

半鐘ばかり打ち鳴らし、さっぱり消防自動車や救急車がやってこない。


 自殺者や自殺予備軍をこんなに抱え、地震どころではない大災害になりかねない疫病の不安を抱え、それらは今も後回しになっている。
 ちょっとしたら、ビジネスとして採算が合わないからではないだろうか。
 確かに、不登校や自殺、疫病対策がお金儲けになるとは考えにくい。
 道路やダム建設が難しくなると、今度は天変地異の対策がビジネスチャンスか?
 「地震、雷、火事、おやじ!なのだ。」と啖呵を切るバカボンのお父さんも、「これで良いのだ!」とは言わないのではないだろうか?

メディアもこの辺の感覚は0ではないか? 

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今、大事な事は

今日、日本ペンクラブは、政府に鳥インフルエンザの緊急対策を要請した。自民党の一部でも同様の動きがあったようだ。地球の危機とも繋がる人類が抱えてる最大の危機は疫病だと考えてきた。とりわけ鳥インフルエンザは最優先の課題だと思う。ペンクラブは、いわゆる専門家ではない。しかし、急いでこの行動を起こした。人類の優先課題に対しては、専門家も一般人もない。職種や立場に関係なく、地球や人類の優先課題に向き合っていなければ、基本的にはおかしい。テレビに次々出てくる人たちを見ていて、それぞれの役割はいいのだけど、基本的な関係は大丈夫かなー?と感じさせられる事が多い。
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