世の中の見える世界から見えない世界まで思いっきり。特に、子供、教育、不登校、自閉症等 情緒に関心あり
天まで届け
きちんと向き合っていない
率直に言うと、日本の現状は 憲法を「変えよう」とか 「守ろう」とかを言っている場合ではないだろうと
心から思っている。 それによって子供や若者は幸せになるだろうか?
本気でそう思える人がどれだけいるだろうか。
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息吹き
昨日から少し冷え込んでいるが 札幌は桜の開花がいつもより1週間早いそうだ。
経済の悪化をよそに 人は はしゃぎ季節はめぐる。
道端の名の無い草花も 一斉に咲き出した。
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闇は付き物
難民を追い返し、テロ集団を壊滅せんと空爆し、景気良くしようと借金したりお金を増刷することが馬鹿げていることは
ほとんどの小学生でも分かる話。
ぐるぐる回って明暗を繰り返しているのだから この世に明暗はつきもので 見える部分も見えない部分もある
この世を仕切るなら 見せたい部分も見せたくない部分も 見せられるところも 隠してでも見せられないところもあるのは 世の常か。
表舞台と裏舞台 表と裏。
政府であれマスコミ情報であれ 明暗と同様で 表と裏はつきものなんだ。
核、武器、金庫 内緒の話など おっぴらにする大将がどこにいよう。
私たち下々の常識は 天動説的認識習慣から抜け出せないでいる。
こんな人が小学生に勉強を教えてきた。
大将と下々とは 相対的な関係性であって 絶対的な境はないから 紛れちゃう。
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ほどよい道草
今日の陽ざしを感じながら
遊んだり 勉強したり 仕事をしたり
そんな日に向かってはいるようだけど 道草が多い
多過ぎなければ それもおもしろいとは思う
道草は喰っても 晩飯前には帰らないと ヤバイよ
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(老人)では済まされまい
「受験戦争」と言われ出した頃はまだ良かったのだが、昭和35年頃はすでに 空気は変わっていた。
子供たちはどこか小奇麗になり(子供らしさ)が無くなってきていた。
都会へ都会へと人は動き核家族化が急速に進んだ。
1965年 初めて学級担任したときは 子供たちは夢を失くしていたようだった。
あれから約50年がたつ。若者や子供たちは将来の夢や希望に代わって 何を見ているだろう?
夢や希望を持てるようにするのは 大人の役目。私は子供や若者ではなく だからと言って(老人)では済まされまい。
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機能しない国際政治と棚ぼた
国際政治がほとんど機能しているようには思えない。
難民やテロの問題もかなり時間も経ってはいるのに 解決へ向かっているような情報は全くない。 そのはずで根本的な解決策を探っている
るようにも思えない。
結局はマッチポンプを繰り返しており 世界は 体力を消耗するだけだろう。
首脳会議、主要国会議、サミット、国連 何れの国際会議も先に課題解決に限界を感じるものが多い。
そういう中で、メルケルさんの動きが 特段に光って見えるのは 視野の違いだろうか。
内外の圧力で苦労されているようだが 素直に応援したくなる。
機能不全に陥ったような国際政治だからだろうか 国の内外で長いこと表には出なかったことが吹き出すように出て来るのは
ある意味で自然で 人類的には有益だが、社会的には(棚ぼた)のようでもある。
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不思議又は当然
世は貨幣経済。 カネ儲けのためなら 公が カジノであろうと原発であろうと戦争であろうと危険を承知で手を出すのは 当たり前かもしれない。
テロ集団への長きにわたる武器や資金の流れを 今日の世界のネットワークが把握出来ないことが不思議なような当然のような…。 タックスヘイブンのこともあるし…
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良かった!
人間同士 多少の差はあれ 情報に流されている者同士のコミュニケーションだと認識すれば 立場や見解を異にする相手が認識する前とは違って見えてくるものだ。
この歳になるまで あまり意識しなかった。 遅ればせながらも 気が付いて良かった! 人は皆、多少の差こそあれ 間違った情報や
情報を取り違えて理解している存在。 その中心に自分がいる。
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注目したい日米・米日関係
私は(感覚的ではあるが) 日米関係に緊張が生まれ 少しずつではあるが 増しているように感じている。
その点から 来月の訪ロやサッミットの公式な報道ではなく非公式な端々の情報に注目したい。
(論理的には)ナショナリズム色の強い日・米の台所事情が共に 利他的に行動することを 難しくしている。
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見落としていた南米
これまで私の頭の中では 世界経済における南米の存在は薄かった。ここに来てマスコミに取り上げられることが多くなってきたからだろう 以前より意識するようになってきた。
世界のマーケットは東南アジアからアフリカへと向かうだろうと考えていたが、むしろそれ以上に南米の可能性が高いかもしれない。
いずれにしても マーケットは1本道にではなく北半球から南半球へうねるように進行すると考えた方が良いようだ。
マスコミ報道に左右されている自分を改めて意識した。 今考えると 大きな盲点を長らく抱えていた。
マスコミも リオのオリンピックをはじめ キューバ、ブラジルや、ムヒカ氏、ローマ法王など政治や経済など 別の面から取り上げることが多くなってきた。
南米を入れると、ひどく大まかだが 全体的に見渡せているような気がして気持ちが良い。
(アマゾンの探検を夢見ていた自分なのに 皮肉なことだ。)
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