糾弾されてもいいこの人権侵害





ずーっと違和感を感じてきたが やっぱり この土砂降りのような コマーシャルと宣伝に溢れた空間は おかしい。

    無断で 茶の間まで土足で入ってきて 突然一方的に この体に侵入してくる。人権侵害だ と叫びたくもなる。

   社会生活は情報無しには無理だから勝手に遮断することも出来ない。

   社会は大事な企業活動として位置付けているが 過ぎたるは… であって 人や社会 そして文化文明を傷め 結局は経済をも損なっている。

傷ついた人や社会は¥のまともな判断力の低下は避けられない。 

   (世界経済の縮小と無関係だとも思えない)

    この不快感を 人権擁護を唱える人を含め誰も口にしないのが 不思議である。

    

    

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責任者




私たちは専門家や専門家面した人たちにお任せしてきた結果 世界は今のように無事でなく危険な状態になったのではないだろうか?

   専門家の役割は十分認めるし果たす役割は大きいのだが 専門外のところまで任せてきたのが間違いだったのでは?

   ある意味で専門家は専門に専念するから 持ち場よりはるかに多い他の分野や世界の全体的な状況を把握するのは専門分野に潜らない一般的なひとより難しい立場にあると考えられる。


そんな専門的な人を全体の場に引っ張り出し、もともと無理な判断を求めて来た。その積み重ねの結果が今日では?  


社会的責任は丸投げしてきた私たちかもしれない。
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だから面白い



  今のところ 世界的指導者をあえて挙げるとバチカン法王とメルケル首相ぐらいかな?と思うが お金と国益志向の強いアメリカの支配や仕切りの前には影も薄くなる。

   こんなにグローバルに動く時代になっても 真っ正面に世界を置いて考えるリーダーは少ない。ましてその機構は 

スタートラインの手前。

   だから、このドラマは面白いのかもしれない。
   
   世界的に見ると だれが考えても馬鹿げたことが 繰り返しているように見えるが、歴史は完全には繰り返せないし繰り返さない。

    まだまだ続く…
 
   
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首相の課題




「世界経済の収縮」は 世界の政治家や専門家もはっきり認識してはいないようだが、欧米の動きを見ていると、それなりに計算しだして
   いるような気がする。 

   安倍首相も先の勉強会で 今は口にするようにはなってきたが、 消費税の実施時期はともかく 

(あの自分と過去への拘りの強さでは) 世界経済の認識を真から改めるのは難しそう。
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勘違いしたくなる心




経済成長や国家安全保障が 人の無事と両立しないことを多くの人は経験している。

   にもかかわらず顧みられないのは この2つのスローガンによって命や暮らしの無事が守られる人がいるからだろう。

    確かに大金持ちで 自国を戦場にせず家族から兵役に出さず済むひとなら 自分を守る最大の保障になるのかもしれない。

      身近には見当たらないが ひょっとすると 勘違いしている人が多くいるのかもしれない。きっとそうだろう。

  現実はさておき、だれだって思いだけは 良い立場に自分を置きたくなるものだ。おいらもそうだ。 
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期待




どれだけ知識あろうと 自然感覚を欠いていては 全体的な認識は難しいのではないか。

  自然感覚を欠いた高学歴社会を作りエリートや有識者を沢山抱え 今日の危険な社会を作ってしまった。

  
  
  顧みることなく今も専門的知識人?を養成しているが この状況下にあっては 自然感覚や全体的認識を求める知的な欲求は 自然な本能とし出てくるかもしれない。

 
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現状と認識の隔たりの大きさ





自然を守れずして社会や人間を守れるはずがない。

    この町は山も川も畑からも小さな生き物がたくさん姿を消した。生態系が崩れているが 多くの市民はそれを知らない。
    
      
   これに似たことが世界中で起きてはいるのではないだろうか? 失った損失はGDPに換算されず生命の危険は国家安全保障の対象ではない。

     政治によって 国家安全保障と経済成長の旗の基に暮らしているが 社会や人間の肉体や心は 守られているだろうか。

     とてもそうは思えない。

    今日ほど情報が混乱していては 状況を 自然を鏡にして見る他ないかもしれない。

    この町の小さな生き物の現状を知らないのと同様に 私たちの危機の深さを 自覚していないかもしれない。

    恐らく 思ってもみない状況下で暮らしているような気がする。 時々思ってもみないような出来事が出没するのもそのせいかもしれない。
   
  
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経済の処方箋



世界も日本も景気対策に「内需拡大」を与野党とも持ち出す。

   これが一時期なら分かるが 長期にやっていては景気対策以前の 経済対策として成り立つか?と疑問に思う。

  不景気が長きに渡っていては景気の問題ではなく経済の問題になる。
   
  経済活動の生産性が行き詰まったまま 消費を拡大してどうなる?

  もっとも 先ずは 今の持続不可能な産業構造を転換しないと始らないのだが…
   
処方箋に間違いは?

  
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ニュース?





世界や日本の状況の悪化は マスメディアの《情報の乱れ≫の形で露呈しているかのようだ。

    取り上げるニュースの優先順やポイントを意図的に外したような報道や情報で溢れている。

   この混乱した状況下でトランプ氏の「日韓の核保有容認」や「負担増応じなければ米軍の撤退発言」など本音が飛び出す。

    こんな状況がニュースそのもであり 取り上げる優先順位は高い。トランプ氏の本音の意味するところを解明するのが ジャーナリズムの緊急な課題だろうと思う。それが 余談のように扱われているのが情報機関の現状。

    
     伝えられるニュースは ニュースと言えるだろうか? 
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分析の基準



  
   午前中は最寄りでやっている「森の幼稚園」の卒園式に行ってきた。
    
    新しい時代を担う教育の最短距離にある実践だと思う。
   
   逆にこの実践から 現在の教育の問題や 進めようとしている教育を分析してみてはどうだろう。

 
   行き詰まった時代の転換期には転換する先の時代の基準で現在を測るのが普通だろう。


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