世の中の見える世界から見えない世界まで思いっきり。特に、子供、教育、不登校、自閉症等 情緒に関心あり
天まで届け
幕開けに大事な事
今日の混乱は 全体と部分の関係 全体的情報と部分的情報の認識上の混乱だ とも言える。
言葉そのもは 全体と部分を区別する機能を持たないから 部分的情報を全体的に統覚する 個人の認識能力に依拠せざるを得ない。
その能力の開発が求められるから おしゃべりや世間話(井戸端会議)で他人の話を聞くことが必要なんだろう。
情報を一方的に押し付け喋るのは 幕閉じの役割は果たせても幕開けにはならないだろうと思う。話す術より聞く術 時代は変わった。
為政者にその術が見えない。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
限度
詐欺事件が大流行のようだが 中には騙される方にも責任を感じることがある。
騙される人がいる間 味を覚えた人は騙しを拡大し続けるものだ。
時は 商売感覚のご時世である。 公と私に区別や節度があると誰が言えよう?
公や他人のせいばかりには出来ない限度を超えた現状にあって 外のアジサイは 今年もきれいに咲き出した。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
【想定外】に翻弄される
企業感覚の情報が多い。
経済が企業によって維持されてはいるが、企業の利益と国や個人の経済的な得失とは必ずしも一致しない。
企業感覚の情報の限界を知らなければ 国家も個人も【想定外】に出くわす。
皆が 【想定外】に翻弄されている。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
面白い世間話
世界規模での経済の動きは見えないが 感じられるようにはなって来た。
少しずつ見えるようになるだろうが、それは希望に繋がる。 そんな世間話が出来るとおもしろいだろうな!
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
見え隠れ
昔は物事を世界規模で想像する事すら難しく 言葉にするのも口はばったかったが 近頃は ニュースが(少々オーバーだが)田舎芝居を見ているような感じがしないではない。
舞台全体が見やすくなったのと 舞台裏が見え隠れしているからかもしれない。
一昨日見たミュージカルとは違い,昨日都心で見てきた(不登校・発達障害児・者の全国親の会)も 田舎芝居と重なる。
決してすがすがしくはなかった。 (本当の田舎芝居は大好きなのだが…)
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
いい加減にしたら?
何でも運動会のように 赤・白に分かれて競争し争わなければならないのだろうか? 国会もどこも…
そなんことをやって来た結果が今日の姿。
子どもでもあるまいし いい加減にしたら?と思うが 運動会にも そんな意味があったのかもしれない。
〇✖教育も似ている。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
目立ちがりの裏の顔
G7 の報道を見ていて思う。
グローバルなドラマにおける 国の派手なパフォーマンスは チンドン屋かピエロのようで悲哀が漂う。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
自分が問われる時代
NHKの深読みニュース見ていての感想
番組自身 如何ともグローバルな変化への反応が鈍く遅い。
原因は色々あろうが、ここまで来ると 誰のせいでもない 自分をはじめ一人一人の個人が問われる時代。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
どの道?
グローバリゼーションの山を登っている
高い山ほど 登山は大変だが
多くの犠牲者を出しながらせっかちに登るのと
花を愛でながらゆっくり登るのと どっちが良い?
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« 前ページ |