そろって、リトル経団連会長

安心と安全を語るなら優先順位通り、お金の事より子供の健康のこと、敵の侵略より地球の崩壊のことを語ってほしい。 
現実は国会からマスコミのニュース解説や赤提灯で語るドジ・doziまで、そろって変形した(リトル経団連会長)のような顔してしゃべってる。

 

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地球を単位とした新・新人類の出現

単位は物を測る時に使われ便利な道具である。

 おおよその目途は、図るものによって異なる。体重ならkg、山の高さはmが使われる。

 世界がグローバル化し物や人やお金は国境を越えてダイナミックに動く時代にあって、地球を単位にして物事を見、語っている各界のリーダーや政治家がどれだけいるだろう?

 マスコミに登場する与野党に関係なく政治家やいわゆる論客のほとんどが、国家や特定の集団を単位に物を語っている。

 率直そうに見える売れっ子橋下氏や乱暴な石原氏でも地球を単位に物を見、語ることは出来ない、古い時代の(前世紀的な村感覚)のようだ。

それが拍手をされるのだから見通しは暗いが、目立たないが地球を単位(視座)にした新・新人類は齢と関係なく育ってきているようだ。

 

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二つのタブー

 目茶苦茶が通っているのは、【財界とマスコミ批判のタブー】 に因らないか。

  どれだけ政治を批判する人も、(政治経済の問題)で上記の2つを批判しないのは政界的なようだ。

 むしろ、タブーに触れて干された人の方が目立つ。

 

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おさまらない報道

地上が、とんでもない事になっても、社会は (正義や法)の名で、やめるどころかさらに進める。

 こんな絵の中で一人一人は、シリアやイランや消費税の報道を どう絵の中におさめたらいいのだだろう。

  (正義と法)に基づかない争いや収奪が、歴史的に1度でもあっただろうか

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足元を暖ためながら


世界の出来事を見ていると、(doziは、長いこと真面目に誇りをもって、とんでもないことを手伝ってきたのではないか。)  と足元を温めながら思うことがある。

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小国が核を持ってはいけない理由

 スポーツのように限定されてた条件下の競争は相互の発展や進歩を生むが、

、国益をかけた(経済戦争)とも言われるほどのサバイバルな国際競争は、国々を自国の存亡に関わる対立関係に至らしめてるとも言える。

 そんな世界にあっての核兵器の戦争への抑止力効果は国の大小の違いとどう関係するか?の話を聞いたことがない。

 弱小国こそ戦争の抑止力は必要かもしれない。

 世界の統治機構が確立されていない現代の国際関係は、分かり易いルールが求められるのは当然で、核を保有する大国の説明責任や公正さを求め

      る公的なマスメディアは最低限の責任として果たすべきではないか。 

 

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テーブルに載にくいテーマ

地球的消費が生産の大部分を占めていては経済の先細りはまぬかれるはずはなく、世界経済の縮小や崩壊が言われながら、生産の在り方は、政治・経済のテーブルに載らない。

 経済活動に支配的な立場の加工貿易を中心にした大企業にとっても、当面の利潤追求が求められるから、(地球的消費云々)は論外なテーマなのかもしれない。

 本来なら、ここで政治の役割が問われるところだが、政治そのものがその経済に組み込まれているから、いくら貿易赤字に至っても、両者はこのテーマを政治・経済のテーブルに載せられないでいるのではないか?

  分からないのは 財界に嫌われてる観の社民党や共産党もこのテーマにしたのを聞いたことがない。意味がないと考えているのか、その認識がないのか? 

 (立場がテーマにするのを阻むのかもしれないが)目立たなくても、主張する学者は内外に珍しくはない。

 

 

 

 

  

 

 

  

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一方的報道

 国内問題なら消費税率を上げTPPに参加するのが国益上当然であるかのようにテレビや新聞のマスコミは声をそろえて報道し、イランやイラクの問題は当事国の政府が国際世論を無視していると、一方に加担したⅠ方向の情報に終始している。もう一方の言い分や情報もあるはずだが、それは伝えない。

 全体的な情報が提供されないから(世論)とか(民意)と言っても、判断のしようがない。

  しかし、(世論)や(民意)の名で一人歩きする。

    内外に困難を抱えながら こんな事を繰り返している。

 

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 「 さすが、リーダー!」

   1920年のオリンピック開催を目指して、石原東京都知事を中心に、野田首相、森元首相、米倉経団連会長、日商会長等、

 をひな壇に並べ、決起集会が催された。数兆円の経済効果を期待しているとも言う。

 前回は100億円を超える宣伝・工作費を使い、ブラジルに敗れた後を受けリベンジの意味もあってか、並々ならぬ決意を込めているようでもあった。

  目論見通り、日本で開催されるかもしれないが、今後どんな展開になるかは 見ものである。

  何故なら、日本の政治経済のトップリーダーの総力と現状認識や先の見通しが試されるのだから。

  未だに、オリンピックに経済効果を期待したり、世界的経済の縮小や日本のデフォルトを目の前にしては、

  考え難い。     「  さすが、リーダー!」だといいのだが…

  

 

  

  

  

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埋まらぬ絵

地球は今日も70億の人を乗っけて回っているんだから、良いと言えば良いのだけど、木の芽が膨らみだしたこの町も、あちこちに空き家とシャッター街が姿を見せ、10日に一人が自ら命を絶ち、同じ数だけ老人は一人で死ぬ。


     向こうの妙高は、何メートルも雪が積もっているらしいが、こっちの山は畑にまばらに残っているだけ。
  
    帰路の菅平スキー場は、人影もまばらで、ホテルもひっそり。

  朝から新聞やテレビのニュースを織り交ぜながら1枚にまとめたいのだが、空白だらけで 埋まらない。

     今日も、埋まるはずない絵を埋めようとしている。

 

  

 

 

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