ゆとり教育?と決別

朝日も読売も1面で「ゆとり教育決別」と歓迎の意を込めて同じ言葉の見出しで報じた。
 メディアは、かつて「ゆとり教育」と言われた時も、現在も子供たちにとって、ゆとりがあったと本気で考えているのだろうか?
 確かに文科省はその言葉を使ってきた来たが、メディアは独自に学校や子供の実態を確かめたのか?
  今の子供の生活を見て≪自分もやってみたい》と思う大人がどこにいるだろう。
 本音で(いい)と思っている子供は思い当たらない。
 
 子供は言葉に出来ずとも、不登校や適応障害(発達障害を含む)等でたっぷり表していないか。

 (学校教育のゆとり)と言うなら
 一度、学校の生活時程と学校内での子供の動きがどうなっているか見てみるといい。
 
政治やジャーナリズムに登場する的外れな経済対策と根が似ている。

 
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あるようでないもの

誰もが民主主義を標榜する時代だから、党派に関係なく誰もが民意を尊重すると言う。しかし、党派や無所属に関係なく【実際】にそれを実行している人や組織を見出す事ができない。
 世界がどうなっているかは分らないが、日本とさほど変わらないのではないか。
 この【回路がない】のはそれなりに必然性があるに違いない。何時か考えて見たい。
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「おいらはドラマ」の時代ではない

  地上に棲むヒトビトは 「世界の超大国はアメリカ」だと、答えるかもしれないが、地   球  や地上に棲む生物はどう答えるだろう?
 地球が損なわれ、種の多様性が失われている時、人と同じように答えるかどうか。
 地球やヒト以外の生物は軍事力や経済力を背景にしたヘゲモニー(支配力)で物を測らない。
 地上のドラマは 何時までも人間中心には展開されない。
 既に全体の中で動いていないか?
 ヒトや大国の反対側を見た方が答えは早い。
 
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ボケ

庭に来るスズメは1羽の例外もなく、身の安全と食べ物を優先する。
 ヒトは、そうでもない。
  しかし、ヒトも生物だから、退化したのか、ボケたのか。
   ボケだとしたら、強欲によるボケに違いない。
    自分も国も世界も、スズメとは違う。
    
   
   
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 スズメの立場

2~3日家を空けたら、毎朝来ていたスズメが全然姿を見せない
 来ないのに餌を上げるのもどうかと思ったが、一応上げてみた
 すると、どこで見ていたのか、たちまち集まってきていつものように群がって食べている
 待て待て、食欲はいつもの半分、食べ残している

「スズメはどう思っていたのかなー」
       
「じいさん!生きてたか
スズメにだって立場があるんだよ!」
 
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避難誘導しない情報機関

地震や台風に、マスコミの情報は欠かせない。それは全体状況を見て避難情報を流すからである。
 マスコミは自然災害だけでなく、全体的に水先案内のような情報を提供する立場にいる。
 マスコミ報道を見ていると、政治が混迷するのを見て非難はするが安心できる行き先を指し示す情報を伝えるのをほとんど見ない。
避難誘導を忘れ、混乱を攪拌し混迷を深める役を担っているかのようだ。
 非難するなら避難の方向も示して欲しい。それが情報機関の本来の仕事ではないか。
 「仕事を忘れた無気力なバタバタメディア!」と言いたくもなる。
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新しい視座の獲得は難しい

実際はは程遠いが、地球を視座に持ちたいと願いだけは持っている。
 そんな立場でマスコミに登場する人やマスコミ情報を見ていると、我々の一般的な視座は
 【世間】のような気がする。
 世間を視座にして物が語られ、政治が行われている感じだ。
 その視座で、(国・世界・地球)が語られ、それに専門的な知識が接木され、時には自然にも話しは及ぶ。
 地上の動きがグローバル化し、ダイナミックに変化する中では世間を視座にしていたのでは間に合わないと思うが、事が事だけに抜け出すのは難しい。
 
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論調

球体を覆う現実的なの問題や先行きの不安を(時代の変化・めぐり合わせ)として「仕方ない」と考えているのだろうか?
 けんか腰で罵倒し合い、バタバタ行動する裏返しに、無責任な無気力さを感じる。
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マヒしていないか

  
サンプロは22年の幕を閉じた。(正直に)良かった。
 今日は最終日とあって、鳩山首相の他は、与野党の全政党の党首が集まった。
 田原総一郎は自らをプロデューサーと任じ、メディアで政治を動かす事がねらいだった事を今日の朝日新聞の特別記事で述懐していた。
 あれだけのメンバーを揃えるのだから、(さもありなん)とは思う。
 田原氏は勿論、サンプロのスタッフ始め、呼ばれた全政党の党首も(サンプロを評価するような顔をして)感激?を共にしていた。
 この22年間の日本の政治・経済・社会・教育・暮らしを (感激している人たちは)良くなったと考えているのだろうか?
地球を始め 社会の閉塞感、先行き不安が増しているとは感じていないのか?
 最終回は、田原氏始め、サンプロのスタッフ、そして招かれた全政党の党首の無責任さのオンパレードのよだった。
 メディア政治とも言われるメディアの責任を指摘する人が、 唯の一人もいない。
 無責任さと同時に、社会的な感覚のマヒを感じた。(マヒしているのは自分かもしれないが‥)
 人の話を聞かず、口汚く罵倒し合い、会話も成立しない状態に異常さを感じないのだろうか? それを【政治】だと考えているのだろうか?
  

  

 
 
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マスコミの責任と良心は?

<菅谷さん無罪 誤判防ぐ仕組作りを>3月27日朝日新聞朝刊
 朝日の社説はもっともだが、検察発表を幾度も大見出しで伝えた自社の責任には一言も触れていない。
 菅谷さんは未だに陰口を叩かれ後ろ指を差され、外出時は帽子をかぶりマスクをかけることもあると言う。居酒屋の話題では 殆ど「疑わし」である。
 我々はマスコミ報道によって知り、後から無罪だと報道されても、拭い去るのは難しい。
  マスコミにはそれだけの責任がある。
 一言の謝罪もなく、今後の報道の対策も語られず、口を拭う新聞社やテレビ局の責任や良心はどこにあるのか? 許し難い。
補足
 この半年間の(カネと政治)でのマスコミの寄ってたかっての小沢・鳩山叩き。両氏の体こそ拘束しないが政治生命を絶つべく一方的に情報を流す。
 全政党に疑問を抱き、民主党にも両氏にも応援する気はさらさらないが、起訴もされず裁判にもかけられない前に、一方的に叩くのは、中味とは別に基本的に民主主義の手続きを
 欠いている。まして一方的に情報を流した上、世論調査だ、支持率だ、民意だと
 のたまうのは 2重に無責任な話し。
 (説明責任・不透明)を求めるが、党派の政治的な戦いで、完全に答えるのは元々無理な話。だから、司法がある。
 にもかかわらず、マスコミは政治的にもただ党派の争いを煽り、求められる政治から目を逸らさせ混乱を煽っている。
 
朝日は(誤判を防ぐ仕組み)と格好はつけたが言っている意味を書いている人自身がわかっていないのではないか?朝日やマスコミの考えている事が分らない。
 
 
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