何をしているのか、分らない。

 経済が上向きだとか、2番底がそこまで来てるとか言われてるが、一体我々は何をしているのだろう?
 100年に1度の世界の不景気を予測できなかったのもどうかと思うが、その事が分って経済対策で何をしたと言うのだろうか?
 勿論、金融だ財政だの対策をしたのはわかっているが、本当に経済対策になっていたか?
 金融危機の引き金になったサブプライムローンの破綻が世界に知れ渡り震撼させたのは 2007,8,20だから、もう2年以上になる。
 その間にどれだけ国際会議をし、日本では首相を幾度と交替させながら幾度の景気対策を実施してきた事か。
 今は政権交代し、来年度に向けて景気対策に奔走している。
 事件が起きて2年半たち、今更応急措置だのセフティネットの修理でもあるまい。
 とっくに本格的な経済対策が求められているが、実施する政府は勿論、どの野党やメディアや専門家からも、納得できる経済対策が聞かされない。
 こんな《分際を弁えず》おおそれた事を言うのは
あれだけの危機を放置し、判明しても有効な手が打てず《2番底》を危惧され
 快復しないうちから、ウウォール街に新しいバブルの発生が語られる現実から
 逆算して発想している所もある。
 「景気対策をしなかったらもっと悪くなっている」と言う言い方が有る事も知っているが、それではこの世の中に間違いはなく我々は何時も正しいい選択をしてきたと言う、科学的な意味がなくなることを意味する。
 どうしても納得できないのは、我々が将来に渡って、どうやって稼ぐか?どうやって飯を食べるかの声がどこからも聞こえてこないことである。
 一見産業構造の転換らしき事を言っても、行き着くところは分配の話であり、新しいビジネスチャンスの話しに成る。
 経済対策としてはっきりさせなければならない原則は 第1次産業(地球資源の採掘を最小限に、農・林・水産を中心にした)の振興に国は最大限の資本を投入することではないか。
 この、基本にに立って、体系的に組み立てられた政策を実施すればいい。
 イメージだけで具体的に論じられない自分の非力を残念に思う。(内心では
 それでもいいとは思っているが、1年のまとめの言葉として おきたい。
さあ これから年越し年越 し‥
 
 
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《最高の年》

 何だかんだ言いながら、思っても見なかった面白くていい1年だった。
6時間後には新しい年になるが、地球の年は前も後ろも数え切れない。
 また、1度きりの《最高の年》が来る。    
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混乱を増幅させてるメディア

現政権が誕生した時、予算編成の年末年始にかけて行き詰まるだろうと予測していたから、今日の政府の混乱は当然の帰結だと考えている。

 ただ今日の日本全体を覆う混乱はそれとは違い、メディアが全体として、前政府に変わって、新政府や与党攻撃の前線を担い情報を撒き散らしている事ではないか?
 現政権は前政権とのバラマキ合戦で勝っただけだったのではないか?《少なくても自分はそう確信している》
 その合戦にニューアンスの違いこそあれメディアが荷担した。
 《政治より政局》と批判もしていた。
 今は、メディアが前政権等に出来ないところを変わって政治を放り出し政局にしようとしてはいないか。
 偽装献金、不正処理、30日ルール、普天間、新予算、でるもの全てを政局がらみに仕立てようとするが、(政権の如何を問わず)日本の抱えている問題から目を逸らせていないか?どれも喧嘩腰の雑言罵倒ばかりで問題の本質に迫ろうとしない。どの問題も前政権から抱えてきた問題ではなかったか?
 ヨーロッパでは国の高まる財政赤字の議論で《我々は日本人になる》をフレーズに使われることがあると言う。
 アメリカの議会で借金をして財政投資しても景気の良くならないのを指して《日本病》と例えられるとも伝えられた。 
   
 国際協調を掲げる日本の政治の問題はこの言葉につきており、この現実を
どうするかにかかっている。
しかし国内では 世論を深め形成する役割をも担うマスメデアが大局から目をそらし、政局に仕立てるべく企図し、世論を恣意的に形成してはフィードバックしてみせる。本質に迫るべき自らの責任を放棄して、騒ぎたてるだけ。
 子供達へのツケの問題が最優先ではないのか?
 日本やアメリカアジアや世界の平和と安全を保障すると言うなら、鳥インフルエンザと普天間基地とどちらを優先させるべきか?ワクチンとミサイルのどちらかと言われたらどうする?
 《致死率60パーセントと言われてる豚インフルエンザでは戦争などやってられないだろう。》
     大事な事が皆吹っ飛んでいる。
  離れて全体を見たらいい。
(尤も、自分のように片足突っ込んでいる人間は離れて見やすいのかもしれない。)

 
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身辺整理

暮れの大掃除のついでに私物の整理をした。
 既に何年も手がけてきたので元々多くは無かったが、写真や手紙など決断し難いものを段ボール箱3個分ぐらいに残した。想いの他と言うか案の定と言うか、結構大変な仕事だった。
 「飛ぶ鳥後を濁さず」でもないが少し旅立ちやすく身軽になった感じはする。
 家の中の私物はこれでも済むが、社会に残したツケは整理する訳にもいかない。
 出口の一つも探さなきゃ。
 
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年賀状の写真

年賀状の写真をどうするかで考えた。
 妻が撮ってきた高尾山の山道を人が行き交う写真で納得していたが、いよいよ印刷する段になって、やはり、自分の想いを伝えるには 今一腑に落ちない。
 デジカメを借りて、≪小さい秋見つけた》と同じように(小さいボウル(地球)見つけた》の写真がとりたくなった。デジカメを持って近くの淺川に探しに行った。久しぶりの川岸だったからか新しいい発見もいくつかあった。
 その中で、大きな石にとまっている1羽のトリが印象に残った。
 一度家へ帰り写真とり方のよく分ってる妻と、もう一度探しに行った。
 さっきの川へ行くと、まだあのトリがそのままいる(写真)
 これでいいやと思ったが、もう一箇所自然公園へ出かけてみた。
 今度は色の綺麗な家族のような3羽のカもがいた。それも写真にとって家へかえって印刷して比べて見た。
 淺川のトリの方が気に入ったが、どう受け取るるかが気になりだして、結局
 無難な家族のようなカモの写真にした。
 それにしてもあの淺川の鳥は2時間近くあの石から動かなかった。
 餌をとるでもなくあちこちを見ていた。
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政策インフレ

今の経済を見ていると、世界が早晩政策インフレを導入するのは避けられないのではないかと思ってしまう。
 特に日本の国債残高は並外れているので、戦後日本がやったように新円を使い、 貨幣価値そのものの単位を変更するのではないか。
 国民は物価高にあえぎ、給料を飛躍的に上げるようよう望ぬだろうから公正さの名目で行われるかもしれない。
 (実際は国の国債や銀行からの借りれ金で経営する大企業の借金がチャラになる。)
 政府がデフレを宣言し、日銀総裁がデフレの定義云々しているのはインフレを暗示した布石かと勘ぐりたくなる。
 金融の事だが直接国民生活に影響が及ぶのだから、 非核3原則のように機密にしてもらっては困る。今のメディアならやりかねない。 
 欧米の財政赤字は日本とは桁違いに小さいがそれでも(子孫にツケを残すと)
 大きな政治問題にし国民的な議論を巻き起こすのに、日本は大臣もメディア関係者も人々も、国の借金を気にしているようには見えない。
 結論が分っているかのようだ。
 
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軍隊の増派より不倫騒動

オバマ大統領がアフガンへの3万の軍隊の増派の演説をした翌日のアメリカの4つの主要メディアはニュースのトップにタイガーウッズの不倫騒動を伝えたと言う。
 世界を牽引するアメリカの情報もこんな按配だから、日本のメディアのいい加減さは押して知るべしと言うべきか。
 毎朝、ポストから新聞を入れて主要な記事をチェックして食後じっくり読むのを
 日課にしているが、ここ数日、チェックに時間がかからない。
 それほど注目するような読みたい記事がないからである。
 自分が年をとって細かい事に反応しなくなっているのか、新聞自身が大した意味を持たなくなっていいるのか、自分では分らない。
 それにしても、普通多くの人はメディアの情報によって世界を知り行動している。どれだけ個人が尊重されようと、一人ひとりは情報屋?ではないから、世界の情報を集めることは出来ない。
 今ある情報網から選択するよりない。我々はその空気のような情報を吸って社会的発言や行動をしている。
 しかし、ニュースが変だと感じメディアの信頼感が薄れるのは情報を越えた本能的な感覚かも知れない。
 新聞を読んでも読まなくても、テレビを見ても見なくても、さほど変わらない。 変わらないどころか、これまで伝えられた情報で今日を招いている。
 大事な報道が伝えられていれば、世の中がこんなに行き詰まり崩れているはずはない。必要で正しい情報があれば人間はそれなりに考え行動する。
 大事な事が報道されてこなかった結果今日を招いたのだと思う。
 新聞やテレビ離れが言われて久しい。
 新聞やテレビは商業的だと言われるが、信頼をなくしは情報屋?も商業的にもマイナスではないのだろうか?メディアが必要で正しい情報を提供しないだけでなく、《えげつなさ》を感じるのは 私だけだろうか? (政治は道徳)とも言われるが論評するメディアに不公正さ・乱暴・品の無さを感じて仕方ない。こんな空気を吸っていて、皆大丈夫だろうか?
 要らないおせっかいかもしれないが、ボタンをかけ違い糸の切れた凧のような経済や政治に輪をかけて、人々が行動する道標となる空気になるべき情報のいい加減さに気持ちの持って行き場が無くなり、皮肉の一つも言わなくては 身が持たない。
 ヒトは何時から子どもや孫のことは考えなくなったのかなー。
  私たちヒトは 地上の珍しい生き物になってきた。
 
 
 
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 変化についていけない曲芸師

我々のやっている事はボウルの上の曲芸師すら
連想させるが、これまでと特別変わったことをしている訳ではない。
 
 ただ、気候やら何やら周囲の環境が変わっているのに、 相変わらず同じ事を続けているから妙に見え、行き詰まっているのではないか。
私達が周囲を変えたのに、その変化に私達の意識がついていけないでいるのだろう。
 
 
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全てがラッキーと思えたら

 全ての事物や出来事はそのもに善悪やラッキーやアンラッキーの名札がついている訳ではないから、全てがラッキーと思えれば面白いだろうなあ。
 生き方も行動もどんなに変わるだろう?今とは違う自分が出てきそうだ。
 (分っていても)自分の思いにしがみつき手放せないから出て来ないだけだ。
 
 
 
 
 
 
 
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鳩山内閣支持率急落(指導力発揮せず)

見出しは 21日付け朝日新聞朝刊のトップ見出しである。
 (マッチポンプ)を絵に書いたようである。
バラマキ合戦で政権をとった鳩山政権が早々行き詰まるのは多くに人が指摘していた通りだが、 朝日新聞は2大政党論をもとに自民党をたたいてみせて政権転換に大いに寄与した。
 その動きは以前も今も似たようなもので、国民の世論の利益や声を代弁するでもなく、行く先を照らしてくれるでもなく、ジャーナリストの良心を示すでもなく、スポンサーや、国民の総動員体制を図る権力との連携や意を汲んだ社益中心のものだった。
 ここに来てまた朝日新聞社は 視座を国から更に狭め後ろ盾に意を用いたような社益中心の情報を発信している。
  政権に問題のあることは始めから分っているのだから、せめて経緯や全体的なバランスを考えて役に立つ情報を発信したらいい。今のやり方はバランス感覚を欠いたあたかも壊し屋のようで、再び自民党政権に戻り、行きつ戻りつを繰り返してもしてもそれは国民にとっては単なる混乱でしかない。
 混乱を助長するのを事としているマッチポンプのようである。
 このような動きは テレビはなお更でどの新聞も似たようなものでマスメデイア全体に見られる傾向なのが残念である。
 (新聞離れ、テレビ離れ)が言われているが、これでは仕方がないし、いい事かもしれない。
 本来のジャーナリズムは権力の監視や時期を得た適切な情報提供が仕事であって、
 実際そう言う良心的な記者やジャーナリスト少なからずいるはずだが 
 ほとんど、表に出ない。(出してもらえない)
 人々は深くシステムに組み込まれ、為にする情報に覆われているようだから、行き詰まっても思考は停止し、閉塞感にさいなまされ手も足もでないでいるのかもしれない。
 またまた暗い話になってしまったが、一方ではCOP15に世界の首脳が集まったように、地球や人類にとって最大の避けられない共通課題が認識され始めている。また事実と認識の乖離や矛盾は大きくなり過ぎると、自然に近づける力が働くだろうし、
 全体的には 後者の動き>後者の動き は日に日に進むと考えている。
 
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