イージス艦事故の報道が変?

新聞やテレビのイージス艦報道を見ていて、何とも変なことが続いている。
 事故当初から、何分前に漁船を発見したか?大臣への報告時間、外部への発表や無断聴取の問題ばかりが報道され、衝突後、2人の人命救助にどう動いたかが全く報道されない。
 船と2人の命のどちらが大切かは言うまでもないし、その対処の仕方に、今回の問題点は、よりはっきりする。

 

事故後、2日後だったか、仲間の漁師が、「衝突後30分もしてから,救命に動き出した。そんな奴に国が守られるか!」と怒りと悔しさを押し殺すように言っていた。その映像がただの1回きり、映されただけだ。

失敗は誰でもある。問題は、その時どうしたか、である。

車で人を轢いて、30分も放っておいたらどうなる?

我々は報道機関の報道以外分らない。

だから実際、イージス艦の自衛官がどう動いたかを、知ることが出来ない。

どの報道機関も、今回の人命救助を報道しないことだけが共通しているように見える。

現地に飛んだ記者も殆ど反射的に2人の命がどうなったかは気になったはずだし、親族や住民はその事を追及しただろうから、常識的には記事にしているだろう。

全ての報道機関が、このど真ん中の問題の所を、空白にしている所を見ると、作為的なものを感じてしまう。

私の勘違いであれば良いと思う。

これまでも、国の大事な問題で同じような事が度々あったので気になる。

 (人命救助の追及はどの野党もしない。大臣の責任や

 対策の中心も2人の人命をどうしたかの具体的な行動にあるはず。)

    どういうことだ?

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不景気は最高の温暖化対策?

  世界や日本の景気は,先行き不透明なまま後退している。
 景気後退は、ヒトや物の動きや地球全体の掘り返しや燃やす活動の減少だろうから、地球の負担は小さくなる。
  原油の利用は減るから、炭酸ガスの排出量も減少する。減少の程度は分らないが、結果として
かなり大きな温暖化対策になっている。
 
実際にこの間、石油業界の元締めが,元栓を絞る意向を表明し、原油は101ドルと言う、かつて無い高値をつけた。
  原油の価値が上がったわけでも、地球が懲らしめのために上げたわけでもなく、石油の権利を持っている人たちが自分達の利益のため絞った。

地球は、理由に関わらず一息つける。
 我々は、収入とは反対に物価も悲鳴も上がるが、地球や人類の存亡の危機に対しては最高の対策かもしれない。

 これは、元締めが元栓を絞った事に意味があるのではなく、有限な原油(地球)そのものの意味の結果だ。
 
  これを是とするか非とするかはヒトによるだろうが、今後、同様なことが様々起きるのではないか?
  
       ヒトは否応無く受けざるを得ない。

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世界的な景気減速の根っこ

何百年と景気は上昇・下降を循環的に繰り返してきた。やがて、循環的に(景気回復?)の形で回ってくるとは思うが、実を伴うかどうかは今まで同様別の話し。今、世界が景気下降をたどり、先行きが不透明で、どこの国も景気回復の打つ手に困っているいる状態のようだ。日本も景気回復の話題が政府ファンド(国が公金で株で儲ければ、の発想)のような形でしか出てこない。世界も日本も対策らしい手を打てずにいるのは、私の記憶には無い。今までの不景気とどこが違うか?景気建て直しの手が打てないのは、従来の方法が既に使えない所まで来ていることもあるし、金融緩和とインフレの関係が現実問題になっているからだ。要するに世界的に経済の体力が落ちていることを意味している。何故経済の体力は落ち、引き上げる対策が出てこないか?全てではないが、今まで(現在も)あまり問題視されていなかった地球規模の経済環境の異変が影響し始めていると、私は思う。地球の地下と地上と上空、言わば経済活動する全空間に経済にとって都合の悪い変化が出てきているのではないだろうか。
①地下‥資源の限界や枯渇   原油だけではない鉄や軽金属など地下資源の世界的価格上昇
②地上‥海や陸地の地表の異変と地上の生き物の生態(系)の異変である。例  中でもヒトと言う生き物が変調をきたしている。北半球の少子高齢化、南半球の食料不足の中での人口急増。ともに生き物として見たとき順調ではなく、種の力を落と        していると言えないだろうか。人的資源の減退が経済活動に及ぼす影響は計り知れないはず。       
 ③上空‥   言うまでも無く温暖化や異常気象による経済的損失。トウモロコシや穀類等から端を発した世界的な価格上昇。               
 これだけ見ても、経済政策以前の経済の環境にマイナス要因が出ている。現在の景気減速の原因に占める割合は分らないが、この要因の割合が大きくなっていくことだけは確かだと思う。 

では、どうすれば良いか。急いでバタバタしてもしょうがない、今までの付けが回ってきただけなのだから

①目先の利益の追求から、中・長期的な利益を目途にした 利益追求の体制へ変える。  

②産業の発展方向を、金融産業から第1次産業へ徐々に 変える。           

  時間はかかるが必ず反転して経済の体力がついて来るだろうと思う。(今の政策は①②共、方向が逆だから、逆の結果になるのではないか。いざなぎ以来の底堅い好景気が収まらないうちに、経済が2流国家になるのと同じ意味で、今のやり方では循環的に形の上ではやがて景気は回復するが実質的な経済の体力は落ちる。) 

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おやじの言葉

とっくに天国へ行ったおふくろの言葉を思い出していると、今度は先に天国へ行ったおやじのことが思い出された。おやじの言葉を思い出そうとしたがおふくろほどすぐは浮かばない。それでも浮かんできた言葉は、人を評するときに、≪カタイ≫≪義理堅い≫否定的な意味で≪偉そうに≫≪ハデ≫《ゼイタク》だった。お袋も親父もいまだに残る言葉は人格を表すものが多い。思い出す言葉は当時の風景のように透きとおったものを感じる。あの風景と一緒にあの言葉も地上から消えたような感じがする。単に自分が年をとって思い出すものが美しく、目の前の現実がくすみ、壊れかけてるだけなら良いのだけど、と思う。

御蔭で、3度の飯は銀シャリ以上のものを喰って、何不自由無い暮らしに、極楽トンボになったのか、それは棚に上げ,バチアタリを覚悟して、この現実を

天まで届け!と大きな声で告げ口すると、

「焦るな!ゼイタク言えば切が無い、天国から見ていると、地球は、なるようになっているよ。大丈夫!」の声が地から沸くように聞こえなくもない。     そりゃーそうなんだけど‥‥

 

 

 

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世間ずれ

とっくに天国へ行ったおふくろさんが、世間話の中で、人の≪世間ずれ≫を卑しい人格であるかのようによく言ってたのを、ふと思い出した。
  目の前のテレビで、聖書の≪自分を世に倣わのではなく、理に合わせて
創る≫の解説に触発されたのかもしれない。
  キリスト教どころか、学校も出ていないおふくろは、教養とは程遠い、仕事と世間の中ばかり歩いていた人だ。その人が≪世間ずれ≫と卑しんでいた。
 今は、学校を出ている人はどこにも山ほどいるし、それに似たような肩書きを売りにして、テレビに出ている人たちはサンプロだけではない。
 おふくろさんが生きていたら、殆どの出演者は、「世間ずれしてる」と中身と関係なく言うだろうと思う。
 世間ずれは(ずる賢い)と同じような意味だろうが、なんで?と思うような人が、テレビに堂々とよく出てくる。
 
  流すテレビ局も見ている我々も、見慣れたのか?鼻が利かなくなったのか?
    戦前も戦後も現在も【教育】は恐ろしい。

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サンデープロジェクトが見せたもの

例の田原さんのサンプロを見た。内容の酷さはこれまでも書いてきた通りだ。今日は、さらにエスカレートしてる感じだったが、憤懣が高まるのではなく逆に今日の日本列島の現実を番組の作りを含め在りのまま映し出してくれたと、(なるほど)と納得してしまった。激しく対立し、やり合っているかに見えるが、どの人も内向きの話しばかりで、我々を取り巻く、地球に浮かぶ日本列島の現状には全く目を向けることは無い。登場してきた人たちが温暖化や新インフルエンザが遠い先の話だと関心が無いとしても、経済への関心は持ってもらわなくてはならない立場の人たちなのに、現在の日本や世界の経済の異変に全く反応しない、道路がどうだ?の類の話で終始。世界や日本が高物価と景気後退の渦の中にあり、地球資源にまで原因がおよび打つ手を失っている昨今の現実を前に、今日の経済状況は口の端にも乗らない。この番組の映像は、社会の全体的な機能不全の象徴的な映像だと思って見た。ただ私が、深刻にならなかったのは、現実を在りのまま映し出してくれたような気がしたからである。教員時代、日記は≪あったことを在りのまま書く≫よう求めた。事実に目を向け、認識し、表現できることが、そこを乗り越える前提だと考えたからである。「在りのまま書く」とは言うものの、そこまで子供の心を動かすのが仕事だった。だから、今日の番組を見ていて、どこかほうとしたものを感じた。社会の機能不全はそう簡単に治るものではないし、今日の番組はある意味で、遠い遠い道の緒に着いたとまでも行かないぐらいのことだろう。でも、いつもと違ったものも感じ、わるい気持ちばかりではなかった。
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「大学教授」と言う人たち。

テレビに大学の先生が良く出てくる。政治経済からバラエテェに至るまで、よく出てくる。最近は同様に弁護士だの医師だの、世間でよく≪先生≫と言われる人たちも同じようだ。共通してるのは社会的に権威を持った人たちである。気のせいか、出てくる人たちの顔が悪い。肩書きを事前に知らされなかったら、殆ど別の職業を予想すると思う。特徴は、表情と,おしゃべりにある。目が、反応しすぎで、思索的、研究的者的なものより、営業マンか、不動産屋につううずる(いかにも)のイメージが合う。ものの言い方も、ぺらぺら喋り、思索的態度はは殆ど見られない。聖書ではないが、学者と言うのはもともとそういう人たちのことなのかもしれない。

勿論、ピンからキリまでとは思うが。ピンは殆どお目見えしない。


テレビに出てくると、何か良いことを言わなくてはいけないような、顔をしている。学者のの学究的態度と言うのは、どんな時も、

)の心を持っているもんだ。

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政府系ファンド

日本でも(政府系ファンド)を立ち上げようかと、与党の一部が動いているらしい。資金は、公的年金と,債権(国の借金)を合わせ250兆円ぐらいになるらしい。日本の国家予算の3倍ぐらいだから、経済大国の面目躍如と言ったところか。赤字再建国家のような状態にあって、国がさらに国民から預かったお金や、借金までして株などに投資をし、利ザヤを稼ごうと言うのだ。儲ければ国も、年金財政も潤うかもしれないが、株のリスクは常識だし、どうすると言うのだろう。?余裕があっての投資ならまだしも他人に迷惑をかけないから良いが、国民からお金を借りて賭けをする。普通の家庭や、リスクに責任をとらされる人は、上記のようなことは絶対しない。しないどころかさせてもらえない。いま、政府系ファンドをはじめたのはアラブの石油王国や中国などの飛びぬけた外貨黒字国である。個人投資家の場合であって資産の一部の余裕でやるのではないか。

すってんてんの赤字を背負った国のリーダーがその上借金して株で一儲けしようとする並外れた無責任さに呆れるばかりだ。この人たちも選挙になれば、責任を負わされる国民に大きな拍手で迎えられる。

わけのわからない風景をあっちでもこっちでも良く見る。

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人の不全

  内臓などの働きが悪くなると「機能不全」と言う言葉を使う。
  人が本来の発達や働きが出来ない時(人の不全)と言うのだ       ろうか。?
 発達や教育では(全人発達や全人教育)の言葉もあるが、自立や自己実現等の人の幸福にとって、なくてはならない分野も含めた、人が本来求められる生き方や、生きている状態を表す言葉が意外と見つからないものだ。言葉だけでなく、実際にも見つけにくい。それどころか、
自立を困難にし、世の中の役に立つ人になりにくい、そんな社会の仕組みが出来上がっているような気がする
  全うに生きようとすると、素直だけでは済まないかもしれな      

    い。  
    大人にも子供にも、素直ゆえ、ドロップアウトせざるを得な    

    かった人は意外に多いのではないだろうか。

      欲が肥大し、あだ花と化した現代文明の中で、人は本来の生き方を見失い、困った仕組みを既に作ってしまったのかもしれない。

人は仕組みの中で考え行動するのは自然な事だから、素直にに不全感を抱き、素直に不全に陥ってるのかもしれない。

そうだとすると、身を守るためだからと言って、流れに身を任せたり、周囲を見て行動する行動様式は当てがあずれるかもしれない。
        要領のいい処世術も通用しない所まで来ているのだろう。逆にごまかしがきかない本物が試される良い時代が来てるとも言える。

 

 

 

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教えることは学ぶこと

初めて教壇に立ったあのころ、子供達に何をどう話すか、どう教えるか、いつも迷っていた。
 やる度にいろんな気持ちになり複雑だ。
 だんだん慣れて来ると、教える子供への関心が多くなり、教え方より学び方にウエイトが移って行った。
 そうすると予期しないものが目の前に見えてくることが増えてきて面白い。
  この後も、あの調子でやれば、いろんな絵が見られるし、自分も周囲も得かもしれない。
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