もしかしたら

もしかしたら‥(昨日のメディウム(情報の培養液)で思いついたのだが)
 人は、自然と培養液の中で生きているのかもしれない。
 自然なしに生物として存在できないし、培養液(情報)なしには社会生活が困難になるだろう。
 自然と培養液が調和して人は安と心安全が図られ、不調和の中で安心と安全を損なうのではないか。
 培養液の強さが自然を凌駕し押さえ込むとバランスを失い、自然的な刺激の受け入れをも狭める。 逆も真。

 ゆっくり穏やかに、自然に戻すことかなー?  
 

 
 
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自覚せずに導かれるもの


 4・29の朝日新聞の科学欄で、福岡伸一氏(青山学院大教授・分子生物学)は 「生物学の世界でメディアと言えば、それはシャーレの中で培養栽培を浸す栄養液の事を指す。細胞は、37度に保温されたあたたかいメディム(メディアの単数形)の中で育つ。細胞たちはおそらく自分達を取り囲む、この媒液の存在を、ちょうど水の中に棲む魚が水という媒体の存在を知らないように、或いは、私達が空気や重力や温度と言った媒体の存在を気にしないように自覚してはいない。しかし、彼らはその媒体と確実に接している。その接点で媒体に支えられている。その意味において、細胞を浸すメディアは、現在、私達が一般的に「メディア」と呼んでいるものと全く同一のものだ。」さらに「メディアとは、それに接すると流れが導かれ、反応を引き起こすものである。」氏はメディアの実態は【手触り】にあると述べている。(ここの詳細は省略)
 
 メディアを「水先案内」「道案内」と呼んできた自分は嬉しかった。
 自覚が困難でしかも流れを規定するのは細分化された縦割り社会や上意下達の社会の仕組みも同じではないかと考えた。
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時限爆弾

「生業がおかしいから」と言えばそれまでだが、地上はテンヤワンヤの連続ではないか。
 サブプライムローンの後始末も終わらないのに、今度はギリシャの財政か?
 寒波や地震は諦めもつくが、市場の異常は、他人事には出来まい!
  あんたの所の借金は、ギリシャとは桁ちがいだよ。
  「お金を使え」と言う人が居ても「お金を使うな」と言う人が居ない。
       仕分け?あれは支出の再仕分け、バレル前に 格付けの対策を急いだほうが          いい。
   
  自爆の時限爆弾を抱えている様な気がするけど‥ 
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(世論)の名により

先に書いた松本氏や舟橋氏から危惧された通りの展開である。
 【メディアによる専制支配政治】と名づけられそう。
 メディアは自らを、(市民・世論・民意・民主主義)の名を使い、個人の政治生命から政権に至るまで、殺生与奪の権(剣)を振り回す。
個人も政権もいかなる権威も反論や裁きの具を持たない。
     法治国家の法と国民生活は放置される。
      
 作られた【市民の目線】が我が物顔でのし歩く。
   
 民主主義の名でする魔女狩りや人民裁判とどこが違うのか?
  外に向かってとやかく言える柄ではない。

   今日も100人からの自殺者を出し、24万人に及ぶ不登校や発達障害と言われる子が苦しみ、若者には、満足に仕事も与えられず、子孫に大いなる借金と壊した地球を残す。
     
 (世論)や(民主主義)や(~政治)はどうでもいいから国民の最低限の生活と、子供たちだけは守って欲しい。
願わくば、茶の間まで醜悪さを持ち込むのは、ご遠慮願いたい。
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マスコミによる呪縛

前項に続き、舟橋氏は
  「朝日新聞は、日独伊三国同盟を支持する事を決めた。」
   「大本営の発表」記事は戦後も,官庁の発表記事の形で生き続けている。」
    「社の発表以外の記事は書けないんだと言うことに慣らされてしまった新聞記者、
     それはもう既に新聞記者ではなくなっていた。それは、今も昔も変わらない」
    「中国の文化革命の報道は社論として掲げた『日中友好早期快復』キャンペーンが先走り、問題を否定するかのような紙面が続いた。それが正確、公正な報道を妨げる結果になった。」 と、あけすけに語る。
 あけすけに語ったところが救いだが、その反省が生かされてるとは思えない。
 舟橋氏や朝日新聞が特別なら、新聞を代えれば済む話だが、他の新聞やテレビは更に輪をかけているのは言うまでもない。
 ならば、一切マスコミをシャットアウトすれば良い事になるが、一切シャットアウトしては災害や疫病への対応はじめ社会生活自身が困難を来たす仕組みにもなっている。
 ヒトビトは既にマスコミから完全に目を塞いで生活できない立場に立たされており、逃れる事はできない。
マスコミの呪縛にからみ取られている。
 
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やっぱり

船橋洋一氏は朝日新聞の主筆。これまでも何度か社説等でお見受けした。
 朝日新聞が『真実をどこまで伝えたか』を検証するいかにも謙虚な企画の記事だった。
 船橋氏は「調査報道こそ歴史の審判に耐える」と小見出しをつけ、文末は「『他者の視点』と『世界の潮流』を鋭利かつ鋭敏にとらえ、それを読者にいち早く伝え、日本の世界との共生と平和に生かす。そこにこそ戦後、再出発を誓った朝日新聞のかわらない使命があると確信している。」と結んでいた。
 この言葉と、実際の朝日の報道とのズレはともかく、主筆の語るこの認識そのものに、今日の状況からズレ、交通整理すらできないマスコミの視座を見せられた思いがした。
 『他者の視点』と言いながら、日本を中心に世界の潮流を見る事を真実だと言ってようなものだが、果たして物事はそう言う関係で動いているだろうか?
 しかも(世界の潮流)そのものが行き詰まっていないか?
 寺島実朗氏(でさえ)は安全保障をはじめ視座を(世界)に据えなければ動きは捉えられないと説いている。(素人目にも当然)
 地球規模どころか自然そってのけで、国と人間中心のこんな狭い視座で、 
 現状を捉え対応できるのだろうか?
 君主制や軍国主義に取って代わったとも言われる独占的なメディア政治の視座を、直接責任者から聞かされたような気がした。
 その上、連日流されるマスコミ報道が主筆の言葉に合致しているので余計に現実味を感じた。
      
         やっぱり。
 
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「私の知る限り‥」

人は誰だって「私の知る限り‥」の範囲内で物を考え判断し行動することしか出来ない。
 その自覚があれば、他人との間に一定の節度は求められるし、言葉遣いや言葉の端し端しに出ることにもなる。
 そんな空気が薄くなってきているような気がする。特にメディアへ登場する政治家や有識者それを感じる。
 知的判断の前提になる知的な自覚を欠いた政治家や有識者の知識が氾濫する。
ヒトビトは、知的でない知識の外に立つのは難しい。
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情報の壁

確か、「バカの壁」と言う本があったが、無数の細胞のような細切れ情報もまた、一つ一つ厚い壁に覆われ、情報同士が繋がりにくくなっているのかなー?
 情報社会の情報の厚い壁。
 
 
 
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伝達する立場と手法の問題

ヒトビトの混乱は情報の混乱に因ると考えられるが、ニワトリと卵の関係とも言える。
 特にテレビ・新聞のマスコミ情報は、内容や価値とは別に形的に、細切れかつ、突如コマーシャルが挿入される。
 否が応でも思考を中断させられ、まとまった思考は難しい。
かつて大宅壮一氏(評論家、故人)が「1億総白痴化」を予測したが、いま思うと、全く見当ハズレだったとは言い難い。
  マスコミが情報を受け持つ企業であり、内容的に後ろ盾であるスポンサーの意向に沿わなければならない立場にいることは想像に難くないが、息もつかせぬ速さで思考を止め思考を分断する手法そのものにも弊害を内包している。
   一般的には、マスコミ情報に耳を傾け無ければならない立場にいては、情報に贖うのは2重の意味で難しい。
  自然災害のような、スポンサーも立ち入れないほどの困難がないと、人力ではこの壁を破る事が出来ないのだろうか? 
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身体感覚と感覚統合

自然から離れると、自然への感覚は鈍り、身体感覚が希薄化し、感覚器官や身体機能は統合する力を弱め,ばらけるのは自然の成り行きかもしれない‥ 
 自然へ戻す事によって、感覚や身体機能は統合的に機能する‥なんてないかなー?‥
  本当にどうかは分らないが、確かめられたら面白い。
 

 
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