進歩とは?

生き物にとって最も大切なのは(これからどうなるか?)と先を察知する能力ではないかと思う。
 生命を維持し、行動がどんな意味をもたらすかは、状況や情報から今後を予測しそれに合った行動が出来るかどうかにかかっている。
 世界の色んな行き詰まりを見ると、人間のその能力が良くなっているのか悪くなっているのか疑問に感じる。
 科学技術は進歩し、学問や研究も進み、より高い教育を受けるようになったと言われているにも関わらず(混乱や将来の不透明さ)は増す一方に見える。
 進歩が人間の視界や将来を拡げる意味で使うなら、今は進歩でなくて退歩かもしれない。
 
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昔のニンゲンの特徴

100年後、子供達は小さな星の歴史の教科書で「100年ぐらい以前のニンゲンの5つの特徴」、
 ①拝金主義
②勘違い
③やり過ぎ
④バラバラ
⑤時代遅れ

と学ぶかもしれない。
   
            子供達は冥福を祈っ手を合わす。
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「ムツゴローラプソディ」

田中愓監督が気に入ってミュージカルを追いかけて3年。いまは{ムツゴローラプソディ」を追っている。
 小学生以前から80過ぎの老人や障害者も、オーディションを受けた人は全員が舞台に上がれる。要所はプロが固めるが多くは素人である。
 土日が稽古日でそのたび会場が変わるので、そのたび追いかける。
 舞台も登場する全員も見る度に変わっていく。一人ひとり体から余分なものが取れていくようだ。そして自分を語り演じだすように見える。
 
 「よく追っかけるね」と言われるが、40年以上も教室で毎時間子どもを追っかけていたから、その時、人を追っかける癖がついてしまったかもしれない。
 追っかけながら監督の憲法感覚を学んでいる。(個人的な感覚かもしれないが)国や公共事業への疑問は己の存在をも含めた文化・産業の問題として捉えた方が更に深みと広がり広がり、鋭さを増すと考えている。
  そうすれば山田洋二監督が大袈裟な言い方だがと断りながら「ぼくたちの国の希望につながる。」と言われたが(大袈裟)は要らなくなり、正真正銘の日本や世界の将来に向けメッセージ性のあるミュージカルになると確信している。
 このメッセージならこの星を見ている遠くの星にも届く。
 (監督と自分の想像の弧は繋げられそうだし、繋がらないからと言って今の監督への尊敬は少しも変わるものではない。それは別)
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時代遅れ

あんなに遠くの小さな星で、ヒトビトは足元に穴を掘っては財貨を掘り起こし、その多くを争いやそれに備えて軍事力に使う。
安全を保障するためだと言う。
 ある価値観と目的を持ってする人間活動を総称して文化というなら、あそこに棲むヒトビトはどんな文化をもっているのだろう?
 昔からどの国もやっている現実で常識だと言うなら、世界の常識は不変かだろうか?
 一方で(常識を疑え)とも言う。
 
その昔、国境は無かった。
    天動説が常識だった。
     武力で領土をひろげ、国を盗り、植民地にするのが普通だった時代もあ     る。
     60数年前までは天皇は現人神様だった。
     
  安全保障のために掘り出した財貨の多くを費やす常識だけが不変だろうか?
  
身の安全上、銃を持つのが常識の国もあるし、持たないのが常識の国もあ    る。
  あの小さな星を掘り起こして取り出した財貨を争いの為に確保する常識が
  いつまでも続くはずがない。
  その計算が現実に必要になってきていないだろうか?
  
  話は飛ぶが、経済成長路線も似ている。
   
「高成長は望める時代ではない」とは積極的な成長路線を唱える人までが言う。
  経済成長の望めない経済活動とは一体何なのか?
  上記の言葉は「今の産業構造では高成長は望めない」と言うべき所である。
  今の産業構造が時代遅れになっている事を意味してる。

  子供達に希望を持たせられない社会や教育になって久しい。

  ヒトビトの安全保障や経済活動そして教育、言わばヒトビトが今持っている文  化そのものが常識かどうかが問われる時代に、既に入っていると考えている。
 
今の時代が時代遅れになっている。  
                       (小さな小さな星の話し)
       
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インフレとデフレ

先進国はデフレを心配し、新興国の中国などはインフレが心配されている。
 グローバルな経済でどうして同時にそれが危惧されるのか分らない。
 経済ニュースは時間的なずれや状況のの違いを一色たんにして説明していないだろうか?
 金融緩和を目一杯した日本やアメリカなどはデフレを心配し、同様の対策を採った中国はインフレを心配する。
 経済ニュースに関心あるが、そのまま信用してはいけないと思っているからかもしれないが(デフレとインフレは)スポンサー(国のGDPや企業成績)
に都合よく使い分けている感じがする。
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無駄な事業の仕分け


政府は来年度予算編成に向けつめてやっているようだが、
自然を含めた地球的な視野で無駄の基準を考えて仕分けて欲しいと考えている。
本来なら政府の国家戦略会議が世界や日本の将来の設計図を描き、それを基に、行政刷新会議が当面する予算編成の大枠と基準を示し仕分けの作業に入る手順だろう。
 戦略会議の動きが急がれるのにその気配がないのは、政府自身先が不透明すぎて戦略会議の意味やイメージの始めの段階で躓き人選に手間取っているのではないだろうか。
 世には有形無形の無駄が官民問わず多く溢れてる。地上全体が無駄で汚染されているような現実をしっかり踏まえて欲しい。
 「専門家にお任せ」だけはやめて欲しいが、メディアはそこをどう見て追っかけるだろうか。
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あれは、やり過ぎ

世界中がマネーゲームを原理として動いているとしたら、現代の文明文化の価値観の中心は(お金)と言えるかもしれない。
 語弊のある乱暴ない方だが、目に入る様々な事はその範疇に意外と坐りよく納まる。
 それを一人ひとりが心から願っているとは思えないが、いつの間にかそうなっている。
 願いと現実の乖離は、まだまだ続くだろうが、一人ひとりの心の奥は自然の営みであり、お金は自然の営みではないから、どこかで本来の元の形に戻るだろう。
 その過程が楽しみなのだが、ちょっと変なこと(悪ふざけと犠牲を払う寄り道)が過ぎるから、どこまで付き合えるか‥

 
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メディアよるメディアの為の政治

案の定、民主党政権は混乱を見せ始めてきた。
 各メディアは批判するが、批判基準そのもが恣意的で混乱を増幅させているようだ。
 例えば、郵政の社長の交代を(元官僚)を理由に(朝日新聞は民営化の逆回転)(「脱官僚」の揺れる看板)と題して批判している。
 これでは門戸による差別であり、検証のない決め付けによる実質的な政治支配である。
 与野党の政治家も国民以上にメディアに気を使い、メディアに注目されようと力を尽くす。
 情報による影響力を武器にするメディアに対し、政治家はメディア様1様!であり、メディアは横柄にあぐらをかいている。
勿論、これは一面であり、メディアは権力に追随し、スポンサーに社運をかけて奉仕する一面も持つ。
 いずれにしても、国民の命と暮らしは脇に置かれ、状況に合致した新しい政治理念を求める素振りすら感じない。 それでは、その事を人々が意識しなくてもマスメディア離れが起きるのは自然だろう。人は情報だけでなく感覚でも動くのだから。                  (小さな星の不思議な政治)
 
 
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老人も

老人は、あちこちで気を使ってもらう反面、最初から割引かれる事も多い。
 確かに年を取るとすぐ疲れるし、若い時のようには動けない。
 だからか、老人は自然と無駄を省くようになる。
 無駄の分るのが【老】の役割だろうが、これも割引かれる。
 尤も、老人そのものが(無駄)との考えが、老若共にあるかもしれない。
資源?不足と言いながら、社会は老人をも無駄にしているようでもあるし、使い過ぎているようでもある。老人も同じだ、役割は自分で見つけるよりない。


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新しい芽は若い人から出てくるとは限らない



「自然は確かな行動のための源」
「自然は人権の源である」
 上記の2つは、大江健三郎氏が10月20日朝日新聞の文化欄に寄稿した文章の中で引用された言葉である。
 自分の言いたい事が著名な文学者が端的に表現され、大いに励まされた。
 同氏には以前、【身体感覚と自我】の文章で励まされた。
 新しい芽は若い人から出てくるとは限らない。
 
 
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