選挙

家の前の路地を大きな音量で選挙宣伝カーが走る。
この町は今選挙戦だ。宣伝かー、ビラ、講演,政策 出来るだけ見るようにしている。保・革や元・新の主張は異なるが誰も、自殺・病気・不登校など隅々に至る病理現象を問題にするのを聞かない.主張は違っても結局目に見えるところの話が中心だ。一人一人の幸福を考えた時、話が逆さまではないか。単なる物取り合戦の綱引きになってはいないか。1日に100人近くが自ら命を絶ち、120人が思いがけず事故で死ぬ。126000人もの子供が通えないような義務教育の学校にしておいて、あなた達はどうしたいと言うのですか。
でも選挙には行かねばならぬ。
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知らぬ間に

[よく遊びよく学べ」のことば。 「○○ちゃんあーそーぼ」の子供の声。休みの日の戸外で群れる子供の姿。 これらの光景は何時遠退いたのだろう?どの町でも夕方(愛の鐘)が聞こえるようだ。果たしてその時間、子供達は、どのぐらい戸外で遊んでいるのか。ほとんどの子供達は家の中にいないだろうか。時たま空き地で、1人ボールで壁あてしたり、広い校庭で数人の子がボールけりをしてるのを見る「と,はぐれガラスにさえ見える。  現実から離れた大人の常識と善意。
あいさつ運動  これも結構だ。しかし、あいさつの出来ない大人がこんなに多いのに、どうして?と思う。
ケニアはひどく貧しく、学校に行けない子供も多い。しかし顔を合わせるto
むこうから,「ジャンボ(こんにちわ)」と手を振る。考えると、自然に包まれ、人との絆の強い彼らには当然なのだろう。私も長いこと、あいさつをするよう指導してきた。自分の仕事は本当は違っていたのではないかと、考えさせられた
定年後の旅行でのことだ。
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不登校やADHD

次のようなことを基本にしていたように思います。項目的に列強すると
1,本人からの情報の把握とその読み
2,自分と本人の基本的な関係への調整(関係・自己決定)
3,本人にとって意味あるコミュニケーション
4,原則的な教育的関係(信頼・順序)
5,身体感覚を高める
6,食事と生活の改善
7,場合により適切な医療
 情緒に関係する問題の全体に言えそうです。
 解決の糸口にでもなればと思います。とにかく1人で背負い込まないことと、専門家に任せ放しにしないことが大切です.
感想やご意見が聞けると嬉しい。
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聞かせて

自閉症や不登校など特に子供の情緒に関心をもってきました。経験だけは多く持っています。心配なこと、嬉しいことも、今の子供の話が聞きたい。現役を退いたのでおじいちゃん役をやりたい。どうぞ!
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ゆとり教育

ゆとり教育のつけ!?
 ゆとり教育  この言葉自身おかしい。教育に ゆとり? おかしい感じです。第一今の子供達の生活にゆとりがあると思いますか?子供の重になる時間がどれほどあるのでしょうか」。大人はそれぞれの基準で
 感じてると思いますが 自殺、犯罪 不登校 精神的病気 障害児  の激増   これらのデーターをみるとはっきりわかります。大人が鈍感で無責任で人ごとです。 また事件が起きたら 
〔特に目立たなかった」「今後このようなことの無いように万全を期す」とおなじみの談話が出ることでしょう。
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鍋ガエル


 「鍋ガエル」少しずつ変化していくのならカエルも鍋から飛び出さないと言う、あるとの様の教えとか。
  344000人  126000人  これは昨年、日本の自殺者と小中学校不登校児童生徒数であ  る。世界1の長寿国と言われる日本だがこの数字も世界1だ。不思議とこの数字を知っている大人や教育 者が少ない。政治家や学者やメディアもこれを論じない。周囲の人々もこれを口にしない 。
 要するに放置されているのだろう。対策はみみにすることもあるが、原因を探っている様子はなく    むしろ隠しているように見える。文部科学省の発表したこの数字は実体とはかなりかけ離れている。
 不登校児の減少は、現在既に(障害児)として席を移しているし今後その流れは、底知れずと言っていい これらは明らかに天災ではなく人災である。しかも責任ある人達が口にせず隠そうとさえしている…

 1日に100人近くが自殺し、小学校なら平均1~2人 中学校は5~6人学校へ行けない子供

 がいる。すごい国だし、すごい大人達だと思う。原因感覚を失った まさに鍋ガエルのようだ。
 
  
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インサイダー


インサイダーとは内部のこと、株の売買では禁止されている人。
教員もインサイダーとアウトサイダーの2種類のタイプがある。
子どもの内面に入り、内面を見て関わるタイプと外から見て関わるタイプだ。
人格の形成や、幸せに向き合うと前者になるし、「学力」などは後者になる。
前者の教員にはあまり出会わない。同様の意味で親にも言える。
これは職業や立場と関係ないように見える。個人のの感覚だろう。
しかし、子育てや教育が人格の形成であったり、子どもの自立にある
とすれば、重要なことだ。指導と教育、教員と教師の分かれ道かもしれないし、また広く人の言動を解釈したり自分を振り返るときの大事な観点にもなる。しめんどくさい理屈になってしまったが、人はありのままがいい。
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