世の中の見える世界から見えない世界まで思いっきり。特に、子供、教育、不登校、自閉症等 情緒に関心あり
天まで届け
認識空間の狭い政治論議
社会の部分的に見え事柄も総合的な観点で対応するのが政治の仕事だと思うのだが、与野党や主張の如何に限らず登場する政治家はどうして部分的な観点でものを言うのだろう?
だから視点の違いから一方的に主張が違ってくるのだが、生じても視点以前の視界の違いが論ぜられないからお互いに論拠が乏しい。政治的には視点より視界の広さが大切ではないか。
どんな事象も全体的な関係によって生じているはずで、縦や横へと仕切られた頭の空間で問題を論じ強弁しても、知的とは言えず非科学的だとの誹りを免れない。
原発事故や膨大な借金がそれを物語っていると思うのだが…
「反応なし」
氷が融け水位が上がり、陸地では木が弱り砂漠が拡がり7人一人が飢餓に苦しみ5秒に一人の幼子が飢えと疫病で命を絶やしている。
国内だって昨日も今日も明日も90人からの人が自ら命を絶ち、学校へ通う事さえままならない子供たちが10万を超えて久しい。
恒久平和を謳う日本の総選挙は全く反応してない。
生命や子供に目配りも出来ない政治って何なのか?
漫画チックな世界
そりゃあ歴史的な意味で現代文明や民主主義の果たした役割はそれなりに大きいとは思うが、今日のような矛盾や混乱そして子孫への膨大な危険を伴う災害やツケを残していることを考えると、これまで持っていた歴史的な発達や発展観に疑問を感じる。
今回の総選挙のように民主主義の名で人々はがんじがらめにされ真の民意が封じ込められた現状を見ると、議会主義であれ絶対王政であれ、一党独裁であれ、政治の形態より実質的な統治の実態の方がが重要そうにに見る。
カジノのような経済社会の中では、トンチンカンンな安全保障や景気対策を騙しのテクニックで並べ選択させるのは特別な事ではないかもしれないが、人々ががシャーレの中で培養液に浸かって泳ぐ単細胞動物と重なり漫画チック。
道筋をつけたい安全保障
地球からの収奪によって現代文明と言われるものが成り立っている。
収奪は競い争って弱肉強食が原理であるかのようにして強行され続けられてきた。
有限な地球に合って収奪に限界が出てくるのは当然で、既にマキシマム(最大)を超えたのではないだろうかと考えている。
日本では失われた10年とか20年と言われるが、世界経済そのものが成長から縮小に転じているのではないかと思う。
自然災害や人為的災害の増大がその目安ではないか?
安全保障上、平和を脅かす最大なものが戦争であるとして、それから守る為に武力の備えをしているが、現代社会において平和を脅かす最大のものは、戦争ではなく上記の自然災害や人災になっていないだろうか。
紛争はそれに立ち会った人間の意志で避けることができるが、災害は避けられない。
収奪する現代文明を転ずること無しに安全保障を語っても意味が無い。
子供たちに本当の意味での安全保障に道筋をつけてあげたいものだ。
意味のない安全保障
地球からの収奪によって現代文明と言われるものが成り立っている。
収奪は競い争って弱肉強食が原理であるかのようにして強行され続けられてきた。
有限な地球に合って収奪に限界が出てくるのは当然で、既にマキシマム(最大)を超えたのではないだろうかと考えている。
日本では失われた10年とか20年と言われるが、世界経済そのものが成長から縮小に転じているのではないかと思う。
自然災害や人為的災害の増大がその目安ではないか?
安全保障上、平和を脅かす最大なものが戦争であるとして、それから守る為に武力の備えをしているが、現代社会において平和を脅かす最大のものは、戦争ではなく上記の自然災害や人災になっていないだろうか。
紛争はそれに立ち会った人間の意志で避けることができるが、災害は避けられない。
収奪する現代文明を転ずること無しに安全保障を語っても意味が無い。
伏字を埋めた説明と議論
総選挙を控え政治ニュースが賑やかだが、中心は経済だろう。
経済では大企業の役割は大きく政治へ与える影響も特別大きいはずだが、説明や議論ので肝心の(財界・大企業)の言葉が滅多に登場しない。
肝心な部分を伏字にしている感すらする。
国を支える土台になっていることは事実なのだから、代役の官僚や政治家や専門家に名を借りて説明や議論をするのではなく財界に正当な立場を与え参加してもらって議論に据えるべきではないか。現状は与野党とも意識的に財界性悪説であるかのように登場させず口にしない。
アメリカについても同じことが言えるが、もっとオープンにした方が分かり易く互いにやり易いのではないか?
白票に思いを込めて
3年以内に【財政破綻】するだろうと予測している自分はその対策を講じるどころか破綻をはやめるような政策を堂々と掲げる政党が軒並み出てくるぐらい懸念すら表にしない選挙では選択のしようが無い。
原発をも凌ぐような損害に無頓着さに、棄権はせず白票でその意思を表したい。
ここまでくると、金融緩和を要請してきた財界自身が困惑しているはずで、(選挙公示までには何らかの調整が入るとは思うが)経済を無視した(景気対策)の選挙結果がどうあれ、自分の予測の過ちを願うしかない。
内外への影響はリーマンショックどころではない。水先案内のメディアが金融緩和の太鼓持ちをしているのだから、選挙民はその政策から逃れようがなく、巨大な支配構造の中で民意自身が貶められてる。
現実は地球の自然や環境に依拠し、国境を超えて人も物もお金も寸断なく動いているのに、選挙になると
急に視界載せまい団体益や組織益を競い民意を問うと言う。政治が機能せず経済や社会が行きづまり、崩れから崩壊さらに破壊へと進むのはこれまた自然だろう。
「主権者」の限界
今の時代そのものに疑問を持っている人は 総選挙にどう臨めばいいのか?
多少主張や政策の違いはあって基本的な方向性は同じだから、これでは氷山にぶつかるのが早いかおそいかの違いだけ。
(主権者)と言われても、意思の表わしようが無い。
政党がどこかの要請を受けて政策を作るのではなく、国民の声を聞いて一緒に政策を作るようになら
何時までやっても同じこと。要するに政治文化の問題は 今の民主的と言われる選挙のシステムでは解決できないのかもしれない。
状況が分からず総選挙してどうなる?
今日の財政状況にあって「金融緩和策」を公言する(できる)日本は一体どうなっているのだろう?
従来からのアメリカや日本の財界からの強い要請を受けてのことだろうが、そんな一般的な経済状況では無いはずで、特攻隊か自爆テロを思わせる。
財政破綻(デフォルト)がメディアや要人の目に入らないのだろうか? 選挙どころの話でない。
現状をどう打開するかを考えてから選挙をしないと、益々自滅を速める。もっとも破壊して新しく作るのも一つだが、自覚し皆が承知し納得してからにしてほしいものだ。
長年失敗してきた政策を並べて、選んでくださいと言われても、魚屋で腐った魚を並べられているようで、選びようがない。政策の立案と選挙の順序が逆になっている。
問いたいマスコミの民意
既製品のような民意と政策を政治権力にでっちあげるかのような総選挙。
毎回そんな選挙に期待を持たせ、結果である今日のにっちもさっちもいかない現状にかかわらず、立場の如何を問わず反省の声がないまま、
政党の離合集散や新党らしき党の立ち上げはあっても理念や政策は旧態依然か逆行したものばかりで国民に「民意}を問うと言う。
ここまで道案内してきたマスコミの責任の民意をどう問えばいいのか。
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