新しい芽はどこに在る?そこに在る、ここに在る。

地球に棲む人類のリーダーの皮膚の色が黒くなった。いつの間にか新しいが芽が大きくなっていた。おとぎ話にもない不思議な話。
 ところで新しい芽はどこにあるのかな?
 昔からどこもかしこも敵だ味方だと争い勝った負けたとやってきた。
 そして、大丈夫?と聞きたくなるような地球や子供。
 でも、ようく見ると
 若い人、年寄り、偉い人、偉くない人、与党、野党、保守、革新 関係なく新し芽が出てきてる。勿論子供にだって。
 そうだ、新しい芽は仕組みや看板にくっついているのではなく、一人ひとりの心の中にあるようだ。だから見えない。
 生まれたての赤ちゃんは例外なく、新しい芽そのものだ。やがて人の手が入り
 小さな芽は見づらくなってはいるが、奥のほうにちゃんとある。
 持って生まれたのだから、なくなるはずがない。しかし、現実との乖離を免れない。
 親しくさせていただいた知人は羨ましいほど真似のできない才能に恵まれながら、家庭を持った後、国策で炭坑を追われ、東京へ出てきて苦労された。ずーと、政治権力を持った立場の熱心な応援者だった。政治の犠牲者に見えたが、彼は最後まで片方で応援し、片補で家族への思いを詩に書き続け、孤独・孤老死された。
 書かれた詩と彼の表向きの立場や言動は全くかけ離れていた。彼は詩の中で芽を大事に温めていた。
 社会の仕組みと、俯瞰されない情報の中にあっては仕方ないのだろう。
 自分も同じようなもんだし、似たりよったりはあちこちみある。多分、そう言う物なんだ。
 立場を超えないようなものは、新しい芽であるはずがない。
 地球の黒い新リーダーの出現は立場を超えた新しい芽が(私の知らない間に)
 ちゃんと大きくなっていたということだ。
 うっかりしてると、生まれながらに持っている個別の才能と新しい芽は見落としそうだが、看板は違っていてもは、それが新しい芽なら無限につながり広がる。新しい芽同士は仲がいい。
 
 
 

 

 
 
 
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どう言う事か?

経済成長の指標であるGDPを検索すると、
国内総生産 (国内の生産やサービス等の付加価値の1年間の総体)の意味とある。
 08年度の日本のGDPはマイナス3~4%になるらしい。100年に1度の世界的不況だと言う。
景気を立て直そうと各国は借金しても需要を高めようとしている。
 分らないのは、上記のGDPの意味は生産と消費の合算した数字と言っても良いはず。世の中は不景気でお金がなくて、困っているのになぜ、借金してまでお金を使うのだろうか?家庭では考えられない。
 筋は通らないがアメリカの保守党が財政支出は国の借金を招き子孫にツケを回すからと反対するのは当たり前のことである。
 経済の大きさを(生産)量と、食べた量(消費)を合算し、国が借金してまでしてお金を使う。お金を使えば、物を生産するようになるとの理屈(景気刺激策)だと言うが、果たしてそうだろうか?
 日本はその理屈で今日に至り、アメリカ政府の赤字財政が危惧されているが、日比率でアメリカの10倍を軽く超えているはず。ここにきてアメリカの借金のペースがやっと日本に追いついたと思ったら、日本はまたその先を行く。
 経済学には無知だが、無知な自分が変だと思うのだからよっぽど経済学がおかしいのではないか?と私は考ええる事にしている。
 経済学が正しければ世界に多くの経済学者いて、理論的に研究し、政治家は経済政策を持って実験し、実業家はそれを持って実践している。世界にはそんなエライ人たちが山といて、100年に1度の経済危機を自から招いて、「循環だバブルは弾けた」と言い訳がましい事を聞いても、やすやす経済学?を信じるられるわけがない。
 先に経済を生産と消費に大別して書いたが、具体的に見ると地球資源を消費して(生産)と称しているものも多い。地球資源は紙幣と違って有限だから、循環したり再生産できない資源はいずれ底をつく。
 人間が生きていくのに必要な衣食住などの暮らしに必要なものを生み出すのが経済だとすれば、一般的に生産と言われるものも見直さなければならないはず。
 経済の建て直しは基本的には産業構造の改革しか今の自分には考えられない。
 だから、経済学者の言う事も、国会の議論も、まして、不景気で倒産だ、首切りだと言いながら、テレビで賑やかに面白おかしく消費(浪費?)意欲をかきたてているのは、なんとも?と思う。 
 これらの情報も無意識のうちに間違いなく刷り込まれているはず。 
 地球、人類、子供達はそんな空間にいないだろうか?
 
     地球の神様はどうして教えてあげないのだろう?
   ‥‥あれ!
   目の前の夏みかんの木に、スズメがスズなりになってチュンチュン跳びまわている。そこに今年初めてのみぞれ見たいな雪が降ってきた。
  ‥もう止んだ。

 
 
 
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ミュジカルの要諦

多くの子供や市民が不安を抱えバラバラになってるところで、日野市全体を舞台にミュージカルがはじまる。
 舞台監督がどれだけ強く正義の自己主張してもはじまらない。裏方をしたり、舞台を作ったり、舞台の上で踊ったり、客席からの視線と息使いもあってはじめてミュージカルになる。人が繋がってはじめてミュージカルがはじまる。
 従来の選挙は、とかく支持拡大を(賛意を得る)優先しているように見えた。
 ミュージカルは拡がるよう心を砕く。
一人ひとりが自由に動き、他者とつながって初めて繋がった動きが出来、作品に仕上がっていく中で結果として拡がる。
  
  しかしいい加減ではない。つながりの広がりや中身の変化は細かく厳密に見て、さらに拡大深化すべく
  脚本に慎重に手を入れる【追加修正】
【支持拡大のない選挙】とまでは言わないが、全体的な構想と順序は大切だと思う。
憲法 ミュージカルでも切符の販売は苦労されたようだが、本来的には不可避な事ではなく、途中の脚本の修正が不十分だっただけ。
焦って、本末転倒したらそれまで。選挙の要諦は支持拡大ではない。
日野市民全体が日に日に元気になり笑顔が増えるミュージカル【日野市長選挙】がいい。
何たたって、選挙はコミュニティを確認し取り戻す祭り〈政)のようなものじゃないかなー。
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「生きさせろ」若い声が変える

タイトルは2/25朝日新聞 作家の雨宮処凛さんのインタビュー記事の見出しである。
 彼女の「生きづらさを感じ『生きさせろ』と声を上げる若者達の繋がりが社会を変える力になる、と私は希望を持っています。」とのまとめに力強さを感じた。
 生きづらいのは非正規雇用の若者だけではなく、農林水産業で働く人も、零細事業者や高齢者も、元気なはずの子供も、
よく目を凝らしてみると、あっちにもこっちにも、一見
勝ち組で上手くやっていると思われる人からも生き易さを感じた記憶があまりない。(大体、地球が生き辛さを感じているのだから当然かもしれない。)
多くの人はその心を共有したくても、おかれてる状況と、刷り込まれた情報で実際はバラバラになって、生き辛さを味わされている。

 だから、地面から湧き上がるような彼女の言葉に力強さを感じたのだと思う。

 
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逆走

普通日本では、車は道路のセンターラインの左側を走る。右側を走ったら大変。
これも時と場合で、工事中なんかには、センターライン右側を走らなければならない時もある。
事情はどうあれ逆走は困る。

 ところが、逆走の例は身近な所でも意外に多い。

 高校時代、何時もいつも勉強している青白い顔をしたクラスメートがいた。
 成績も落ちる一方で、ノイローゼで退学したと言う。
 これは、「子供は勉強すれば学力がつく。」も時により逆走することをを意味する。
 私の趣味の囲碁では、(石の方向)は勝敗を決める決定的な感覚である。負ける人は一生懸命、石の方向を逆の方に考える。
 小さい子供がドッジボールをすると、怖がって後ろ向きに逃げる子がいたが、
 最も当たりやすい。サッカーでもバスケでも金魚の糞のようによくボールに群がる子供がいるが、コート全体が見ていないからで、あまり役に立たず本人も疲れるばかり。教員のソフトボールの試合で、バッターの女の先生が3塁に向かって走ったのを見た事がある。  
 身近な可愛い例などは良いけど、これが、地球や子供の安全や将来に関わることで、世界で、国で、住んでる町で、公の制度を用いて力で逆走されてはかなわない。
 新しい動きはあるものの、我々は全体的に逆送の仕組みと情報の中に放り込まれている感じがする。
 地球の事も、小どもの事も、俯瞰されないていない情報を我々は連日刷り込まれ教育されているようなものだから、逆走を止めるのは大変。
 しかし、いいことに地球も子供も、正直に形に表して我々に見せてくれるくれる。それを基にすれば、情報と逆走の如何は分るのだが、変化を見る我々の眼を維持するのが難しい。
 それだけに変化を追うのは面白い。

 



 
 
 
 
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アマーティア・セン氏

米ハーバード大教授、、98年にノーベル経済学賞をもらったインド人。
 今日の経済危機を1年半前に論文で予告していたことでも有名。
 2/24朝日新聞で大きくインタビュー記事をのせていた。私とレベルは違うだろうが、経済の分析や対処法はそれほど感心するものではなかったが、後半で述べていたことに感動した。
 「教育が重要だ。学校教育だけではない。例えばメディア。どうニュースを伝えるか、どんな意見を紹介するか、それは教育的意味を持つ。」
 メディアもグローバル化しなければならないと?(記者の質問)
 「新聞などは、もっと自由になるべきだ。愛国主義的である必要はない。自国の視点から離れた報道や論の展開は可能だ。友人の大江健三郎氏は、日本人であると同時に、グローバルな普遍的人間でもある。知識人はこの二重の役割を担わなければならないが、それはメディアについても同じだ。」と締めくくっていた。
 彼が知っている世界の新聞やテレビなどのメディアが愛国的で一面的な情報を伝えており、俯瞰した世界的な情報を伝える事の必要性を言っている。
 日本でで目にするメディアは全く彼の言うとおりだし、これが世界的となれば、100年に1度の経済危機を世界も日本も予知できなかった原因や責任がメディアにもあったのかと納得できた。
 (コマーシャルやお笑い、ワイドショーどんな形であれ耳目に入る情報は無意識に刷りこまれ教育され行動を惹起することは心理学でまなんでいた。)

 
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大きく膨らんで欲しい【新しい芽】

1、4月の市長選挙に現市長に対抗して新しい候補者が出たことをどんな方法でも良いから広く市民に知らせる。
 
2、今の時代に、生活基盤であるこの日野の地域に何が必要でどう地域行政に繋  げ新しい流れを生み出すかを多くの市民に考えてもらえるように、具体的に場を色々な形で設定し、個々の市民の課題を俯瞰して全体図の中に位置付ける。
 
3、選挙は教育同様至って人間的な営みである。ミュージカル【日野市長選挙】?の発想で練習?し、自分を見つけたり、確認 したり、人間的に(他人と繋がるチャンス)と、意味をしっかり位置づけして運営する。その時、子供と老人から
 焦点がボケないよう最大限注意する。何故なら弱者はどんな場合も【授業もそうだった】最も敏感に反応する。
 
4、パソコンやネットの活用(工夫すれば伝達手段として少数者も有効に使える。オバマ氏も活用したと言う。)


 この発想だったら、選挙の勝ち負けは別にして必ず、新しい芽は大きくなる      はず。
   
(授業も全く同じで、思っていてもこれが出来ないときは授業は失敗し授業後、子供は散らばり、何とかできた時はお互い充実感を感じいい顔になって集まってくる。間違っても、自分がどうこうすると考えたり短絡的に支持者を増やすような発想を持っては、失敗の元を自らが作るようなもの。
どんな人も、思いや言葉と事実が一致しなかったり、他人からどう見えようと、子供も市民も例外なく、自分に合った価値を常に求めているものだ。)

  こんな事を期待しているのだが、どうだろうなー?

どうしても補足しておきたい事がある。
  5、党派的な力関係は現職が強いに決まっている。
   「新しい小さな芽」を大きく育てそれを凌ぐには、 【子供や(地球)を守る】のはあくまでも具体的な考え方や対策如何であってどんな間仕切りも害あるだけ。
   俯瞰して全体を見れば当然の事である。
   むしろ、話を聞いて一緒に考えたいのは子供達を守れるか心配になる市民や市政に関わる人たちではないか。「違いがあるから話し合いに意味がある」の原則を大切にした方がいい。知らなかったり、「思いと事実」の乖離が大きいだけのことかもしれない。(ある意味で)多くの市民も政治家もマスメディアで日常的に一一面的に(教育・刷り込み)されているのだから現実に気が付かず分らないで行動するのは普通で仕方ないとも言える
 身近でもそういう勘違いのようなことは多過ぎるぐらい多い。
世界も日本も日野市も私もあなたも、立場があるのは当然で許されるべきだが、立場にしがみついて縛られてるいられる状況では既にない。言い換えれば、これまでのそういう立場優先の思考や行動が今日を招いたとも言える。同じ立場の中での動きは敗者の論理にも等しい。
 今日の具体的な状況は責任の一端を感じながら、立場を超えた新しい思考と行動を急ぐ事を求めている。
 「新しい芽」の新しいはその意味である。
 子供も、地球もそれを求め、それなくしては、勝ち負けどころか、誰もが一蓮托生、共食い共倒する、巨大に見えても、泥舟のタイタニックに乗っているようなもの。
【芽】は人間本来の生きる本能から必然的に生まれるべくして生まれるの意味である。
 
 

    


   
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大きくなれ!新しい小さな芽

この春、日野市の市長選挙がある。
 今日、現市長(馬場氏)に対抗して(窪田之喜氏)が記者会見で立候補を表明した。
 昨夜、30年来の友達と居酒屋で月1の一杯をやってると、彼氏の奥さんからの携帯でこの事を知った。
 私は感動し、その場で出来るだけの応援をしたいと強く思った。
  窪田さんは30年以上も前からの知り合いで、これまで年賀状始めそれなりのお付き合いをさせていただいていた。
 彼の奥さんが同僚の教師だっり、年も私より3歳年下で、子育てが同時期で、二人が夫々子供を連れて耳鼻科の病院で顔を合わせたりしたのは確か私が33歳、彼は
30才前で、確か弁護士ほやほやだったような気がする。
 立場等、必ずしも一致しないかもしれないが、知り合いの中でも神経の細やかな気持ちの通じる数少ない一人である。彼は教師でないのに、これまで出会った多くの教師より教師らしい細やかさ(あまりいい表現ではないが)を持っている。若い頃スキーをコーチしたこともあった。
 そんな事はどうでも良いが、私は地球と子供を守る政党を作って党首にでもなりたいぐらいの気持ちだと、3年ぐらい前、思いの丈をこの日記に書いたことがある。
 世界も日本も現実は制御なくその反対方向に進み、政治集団のの現実は選挙制度そのものに疑問すら抱かせ棄権したこともあった。
 希望の星のオバマ氏も歴史的には限定された役割だと考えているが、
窪田氏さんにもオバマ氏と同様に限定的ではあるが今必要な役割を期待している。
 窪田さんが学童や保母さんなどの要請で立候補することになったようだが、(子供を守る)ところに私の願いが一部だが重なっている。全体的な漂流からアクティヴに脱してこの小さな日野市だけでも、流れを変えて欲しい。
 (飲んでいた友人の奥さんも長く日野市で学童の先生をしていた。)
 窪田さんを応援すると言いながら【内心は】当選するかどうかの結果より、 この日野市と言う自分の住んでいる地域が、新しい芽吹きを持った空間に今よりなってくれれば良い。
 これまで、世界が どれだけ行き詰まっても、名もなくあちこちで【新しい社会の小さな芽】が育っているはずだと考えてきた。
その意味で今回の市長選は、(地球と)子供達を守るた新しい息吹きを持った空間を拡げる仮説実験である。論理的には成功するはずである。
 実験成功の秘訣は、【ミュージカル 日野 市長選挙】の主役が窪田さんや選対本部ではなく、一人ひとりの子供や市民を主役にできるかどうかだろう。
その意味で授業も選挙も同じだと思う。今日の記者会見会場は終始保育園児の心休まるあの綺麗な声したざわめきが聞こえたが、あの感覚がいい!不足は地球の俯瞰図とそれから必然的に求められる産業構造の転換の日野の構想【大まかでいい】。今の時代が求める声にならない声を束ね【新しい流れを作る。】
そんなだったら、 自分も脇で何かできるかもしれない。 
 (この日記が、どのメディアより早くこのことを発信出来たのは、偶然が重なったとは言え、ドジの誇りである。)

 

 
 
 
 
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大もとと比べたら小さいこと?

地球上の人類の異常とも思える行動をベースにして人間社会は成り立っているようだから、多くの理解し難い行動があってもその矛盾は感じにくい。
 金融政策でする中央銀行の量的緩和と公的資金の市場への注入もそのひとつ。
 経済政策の重要な施策なのに、なぜ国会で議論しないのか。政党の公約にもならなければ、政府の政策にもならない。
 秘密が多いとされている軍隊の動向は国政の範囲内にある。
中央銀行の銀行券の発行如何は国民生活上も、経済や国政上も重要な位置を占めるはずである。
 国会で取り上げないだけでなくマスメディアもあまり取り上げない。
 触ちゃいけないタブーであるかのようだ。
それでどうして、国の経済政策や景気対策がが立てられよう?
 大もとの矛盾に比べこのレベルの問題は小さいと言うことか?
 
学校教育にも、到底常識では考えられないようなことが公然と、法律や行政を使い【子供のため、教育のため】の名で行われている。教師生活の40年間はどこへ行ってもずーとそうだった。人々の真面目な努力は陰になり、幅を利かすのは責任転嫁と言い訳ばかり。
 そうでなければ今日の教育問題、子供の問題はありえない。
 これも大本の悪と比べたらちっちゃい事か? 
相手は子供 そんなことで済むと思うか?


 
 
 
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曖昧にできない【地球と人類】の関係

例によって、朝方布団の中で考えてしまった。
 【地球と人類】
 地球上で、人類はとんでもない事を(当たり前のこととして)やっていないか。
 疑問と言うより、はっきり良くない事をしていると確信にも近い思いになった。
 【とんでもない事】とは、人類が生きるために今やっている産業のやり方である。
 特に、工業化の名で、地球から一方的に節度なく資源を掘り起こし工業製品に作り変え富として貯え、さらに大きくしようとしているようだ。
 地球の資源は、(特に地下資源)減ずるだけで人類の手で戻す事はできなく、自然の連鎖調和共生は壊れ、既に地球は人類も望まない異常な現象をあちこちで見せている。

地球を壊し、他の種を絶やす事は、そのまま人類自身の将来をも危うくしている事ではないか。 地球と人類の関係を超えて、人類が人類の将来を壊している。 
 
地球自然の調和と種の共生の破綻は、種の滅びと疫病などの他の種の異常発生を促す原因とも考えられ、人類の生をも危うくしている。人類の安全を脅かす予知できない最大のものになってはいないだろうか。
 地球や他の種からすると、人類は一方的に地球を掘り起こし、持ち去り、種は生きる場を奪われるわけだが、人類は憲法や法律、国際的には条約によって正当化し己を守って、この行為を正当化し続けている。
 でも、人類が地球に対してやっていることは強盗のようだ、と頭に浮かんだ。
 そして、国は1強盗団かと、続いて浮かんだ。
 世界の盟主アメリカは最大最強の強盗軍団なのか?
 【テロとの戦争】は強盗軍団同士の奪い合い、小競り合いにも見えてきた。
 

これらは、文明文化をベースにした問題だから、簡単に結論付けられないが、今は【地球と人類】の関係を曖昧にして済む時代はないと考えている。
 今、人類は正当化しながらも基本的には地球に対して異常行動、犯罪的行為をベースにし行動していると考えている。
 (以前も書いたが、今やっている産業の形態が昔から間違いや異常行動だとは考えていない。現在の産業の規模や技術と地球の現状の如何で意味合いが変わってしまった。)
  物事の価値や善悪・意味合いは行動する主体の思いや、やっていることとは別に背景に見るもの、背景の変化によって全く変わるものだ。
 (こんな大上段に構えエラそうに言う自分が異常?と思わないでもない。こんな事に触れた本を探しているが今のところ見つけられない。これに関して他人の話だけでも聞きたいが、突拍子もなく妄想のようで乗ってくれそうにない。
 自分がとんでもない事を考えていないかと気にはしているが、考えてしまうからどうしようもない。)
 
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