世の中の見える世界から見えない世界まで思いっきり。特に、子供、教育、不登校、自閉症等 情緒に関心あり
天まで届け
無限な欲望への疑問
人類は 有限な自然を無限な欲望で喰いつぶしながら 正当な経済活動だと思い込み、ためらいもなくやっているようにも見える。せめてこの現状に過ちの仮説をたてて臨む人が居てもいいのに・・・・ まったくその声は 聞こえない。
必ず 気が付く時が来る
環境を壊してまでも地球を喰い食い潰してる人類は その間違いに何時 気が付くんだろう?
人類が長年かけて形成してきた社会の仕組みの間違いに自ら気づくのは 難しい事だとは思うが 人類が試行錯誤の学習理論にのっとって進行しているのが現状だろう。
「・・・たいな方式」
自分はいつのまにか(想像する主)になっていた。
地球のど真ん中に入って 大陸の分布を見ていた。そうすると地球全体の表面が海に覆われていたと言う時代の地球が見えてきた。そのころから現在までどう変わってきたかを想像していると 普段思い浮かばなかった新しいことが次々想像されて来て面白かった。(・・たいな方式)は 教師になって初めて教えた詩の指導方式を久しぶりに思い出した。
この世は天国・極楽なのに
極楽や天国は あの世の話だと思っていたが 今朝目を覚ますと 今生きてるこの世なんだと完全に思えた。
ひとは「極楽とんぼ」と言うかもしれないが それは一向に構わない。本当にそうおもえたのだから。ただ 自然環境と治安の悪化が目に付行き過ぎる。
世界の荒れ方は都市部が顕著か
基本的な判断をまちがえているからだろう 世界中が路頭に迷っているかのようだ。込み入った都市部が顕著に見える。
能力と性質
人間は 目に見える範囲のものを中心にして活動する動物なんだろう。それは個人や集団の別なく 持っている性質なのかもしれない。仮に頭では理解できても 持って生まれた性質が行動を目先のことに縛っているのかもしれない。能力と性質の違いを区別しないと 予測を誤まらせる。人類の地球資源に対する営みが これに該当していないだろうか。生物全般にみられる性質かもしれない。
気が付きにくいもの
人類は地球に棲みながら地球を喰いものにしている。こでは長く棲み続けられるはずがない.すべては このことに気が付くかどうかに掛かっている。都合の悪いことは なかなか気が付きにくいものだ。
世界は無政府状態
世界は 個人にとって 繰り返し予期していない出来事に遭遇し苦労して久しい。
考えてみれば 形式的にも世界が未だに無政府状態にあっては 仕方ないか・・・・
全てが 幸せ!
昨日 幸夫さんから電話をもらった。今までにないきれいな声だった。自分は一杯迷惑をかけてきたんだ! 全てが幸せに思え 幸せだった。
メリハリをつける時代
全てのものを合体させて分析して行動の指針を決める可能性を伺うことのできる そんな時代になったのかな?
宗教的に表現される煩悩や原罪や掟など 今一度時代に合わせて考えても良いのかな。
「自然を対峙させた過ちを本来に戻す」その過程を歩んでいるとは思う。そのメリハリをつけるのが大事なんだろう。その作業ができる時代になった。
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