模写

追っかけてる田中暢監督の制作関係者へのメッセージの言葉の後半を模写したい。
  
     日本語には幸いに「そうぞう」って二つあります。   
     創造・Caeation 形を作る   
      想像・Imagination 思い煩う 
  
 この二つの事を同時にする事がミュージカルである・歌って踊って演じます     つまり 歌舞伎です・私達も歌舞伎の順番で仕込みます‥   
     因みに文化はCULUTURE カルチャー・   ドイツ語でKULTUR・「耕す」     

      さあ稽古です‥    身も・心‥耕す事です‥    柔かくすることです    
       アンサンブルです  
        ミュージカルはアンサンブルです  
             床に流した汗の量が実りです    n o b u    

    (そのほか気に入ったフレーズを2箇所)

     森羅万象を100名で演じてみたい

     引いては満ち・満ちては引く太古から繰り返される時の刻み・それは地球の                        息づかい  

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メディア離れ

メディア離れが言われるが当然だろう。
 どのマスメディアも連日、政局だ・選挙だ・人気知事を登場させ舞台を回しているが
 どう転んでも良い結果に成るとは考えられない。
 これまでこうやって国民を引き回し今日に至っている。
 メディア如何で世論も選挙も国政もどうにでもなる国の責任がメディアか国民かは分りずらいが建前は国民、現実的にはメディアだろう。
 国民の知らない間にGDPは世界3位に落ち、温暖化対策のリーダー宣言した国が国連や外国から<野心的目標を>と励まされる?
 豚インフルエンザ、今後の経済、国際的地位(信頼)子供の将来など、ほとんど
 闇雲で先の見当すらつかない。
  必要な情報が伝えられないからである。
国民が選択できる前提条件を整える事が先でマスメデアはその責任を果たしていない。
国民のメディア離れは自業自得で、出直さないと間に合わない。
 飛ばしたブーメランをゆっくり見ていられるような時代ではない。
 知らぬ間に自分に向かっている。
 
 
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いい初日

今年の憲法ミュージカルの第1日が終わった。
 丁寧なストレッチや発声練習をした後、一人2分間の持ち時間で夫々が自分をアピールした。舞台に上がるのがやっとな子供から
80歳近い高齢者、普通の人から芸達者までオーディション自身ミュージカルのように楽しかった。
田中監督の「一人ひとりの花をどう咲かせるかこれから苦労するとは思うが、一人ひとりのやる気が、岩に花を咲かせる。」の講評の言葉と、ニュースの中の<大地はヒトのものではない ヒトは大地のものだ)<宇宙から見ると‥森羅万象を100名で表現してみたい。)の言葉が帰りの土砂降りをふっ飛ばしてくれた。
 
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追っかけ始まる

昨日、テーマ<グローバル定常型社会の社会保障)を受講した。
 ざっくばらんでお話し上手な講師だった。知らなかった事も多く勉強にはなった。中で日本のGDPは中国に抜かれ世界第3位になったとの日経新聞の報道を紹介されたが<今のところ、たのメディアは一切報じていない。)それには驚いた。
 これまで再来年早くて来年と、伝えられる所よりかなり早く予測していたがそれをも超えていた。
 講座の全体は経済と倫理の両面から世界的な現状を伝える中での日本の位置を超党派である意味文化論的に解説していた。話としては勉強にもなったし面白かった。
次回も誘われたが、(自分の関心は地球的な【産業構造の転換】で焦点が少し異なっていたかもしれない)と関心の向けてる違いは率直に話して置いた。(ちょっと追っかけるには難しい。)
 今日の午後からは例のミュージカルの追っかけがはじまる。
    あなたがいること
    わたしがいること
    そこに憲法が息づいていること
     という田中監督のメッセージにつられて追っかける。
    こんな当たり前のメッセージだが、なかなか自分のものにならない。
    地球を視座にして地球と子供を守り、人間がそこに棲む一生物として
    【産業構造の転換】に思いがいくにはどうしても越えなければならない
    ような気もする。
    それははどうあれ、追っかけているだけで力がもらえた。
    過去2年間は一方的に力をもらったが、今年はどこかで擦りあわせができるかもしれない。そんな予感も無いではない。
    この世の全がミュージカルになるような不思議な面白さ。
    地球のミュージカルは目の前で始まっているような気もする。
   雑草一杯の庭先のあちこちでスズメがさっきからずーとが飛んだり歌ったりしている。どくだみの白い花と傍に大きなアジサイが2つ咲いている。ここもなかなかいい線イッテルよ。
   (○○ありがとう。○○は誰でしょう?)
   
    
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危うい地球のどこかでは、(とりあえず!)


  そのどこかで、

新聞やテレビに距離を感じ出し、朝から大してやっることも無く、スズメにエサをやった後は座椅子に長くなって昼頃までうとうとしていた。
 途中で奥さんが<大丈夫!)と声をかけていたようだが、起きたらお昼で、熱いラーメンを食べた。
 今日の午後は<未来学)の勉強会、同じ街に住んでいる知人が講師だからそれも楽しみ。
来週の土曜日は、偶然知り合った彫刻家の個展。
芸術などチンプンカンプンのドジだが、ひょっとすると探し物が似ているかもしれない。
 そして、よく日曜日からは憲法ミュージカルの<追っかけ)3年目が始まる。
 平日は(株のドラマ)と(碁石で陣取り合戦)が続くし、へんてこな地球にだって面白い事はたくさんあるようだ。
 危うくへんてこな事と面白い事の区別がむずかしくどっちをやってるか分らないけど。

 ‥だから(とりあえず)でいいのだ。
 
 
 
 
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高幡不動の門前

蒸し暑くどんよりした曇り空の下、高幡不動の門前の交差点はアジサイを見に来たお客で一杯。
年とった夫婦や手を引かれたご老人が一杯。
 
 
 
 
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少し濁った地球の中に見たもの

ある星のある地文台で地体望遠鏡を覗いたら、少し濁った地球のある家の庭先でスズメがお米を食べていた。
昼過ぎたら近所の子供がゲームをしに来た。
 家の中の爺さんは宇宙の星を見に碁会所へ出かけた。
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ピカピカ光る家

夜深く、軒下にピカピカ光る飾りのついた家があった。
クリスマスでも無いのになぜ?
 地球が温暖化したと頭を抱えながら、幸福そうに飾る。
 
 新聞の広告も配達されたままお金をかけてゴミにする。
 テレビの番組も見ないで捨てられるものが山ほどある。
  そういう中で暮らしてる。
 
 
 
 
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根っこは大事

5月以来、月が出たのは1日だけではないだろうか。  
 昼間は天気が良くても夜になると何故か曇る。
 
 毎日、じめじめムシムシで、カビだウイルスだと冴えない感じもするが、高幡不動はアジサイ祭りでお客がいっぱいだし、いい事も沢山あるに違いない。
 昨日、都心へ出て映画を(満蒙開拓団)を見に行った。1時間半の待ち時間は何となく近くの靖国神社へ向かっていた。(今回で2度目)
 体に頭が素直についていった感じでうんと子供だった頃を取り戻したようで後の映画より良かった。
 子供の頃、近くの神社が遊び場の中心だったので体にしみこんでいたのかもしれない。特攻隊を賛美するようなものもあったが、それはそれで特別違和感はなかったし、全体的に落ち着いた。
 保守の感覚を味わっていたようだ。
保守か(改革・革新・革命)かは狭い範囲の話で、(森の鎮守)の感覚はいろいろあったにせよこの根っこはたとえ革命であっても、反革命であっても大事ではないか。
 今は、どこもそうでないから浮ついて、政治も経済もインフルエンザも、明日の事が分らない日々を過ごす事になる。
 
  
 
 
 
  
 
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外向きの創造性

 アメリカでよく使われる褒め言葉は(クリエィティヴ・創造的)で日本では(才色兼備、~出の秀才、~を首席で卒業)だと言う。
 世界中が行き詰まっている今、どんな人間の力が求められているのだろう?
 日本が今頑張ってる(学力)は求められてるものからは、2周遅れの感じでここでは論外。
 少なくても総合的な人間力、広い意味での創造性がその中核かもしれない。
  (まずはバックギアからニュートラルへ)
 しかも人類的な行き詰まりは、アメリカで使われるようなエリア内での創造性ではなく、エリアを越え自然や地球をも包含した大きく外へ向いた創造性が求められているのではないだろうか?
 
 
 
 
 
 
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