世の中の見える世界から見えない世界まで思いっきり。特に、子供、教育、不登校、自閉症等 情緒に関心あり
天まで届け
[反知性主義]
欧米では 知識人が権力と結びついた弊害に対し「反知性主義と」の声がある。
「この表現も有識者が用いているが、 これを言うなら「反知性主義」ではなく「反知識至上主義」の方が 良くはないか。
相反する知識と知性は 一般的でさえある。 気をつけなくちゃ。
子供たちに顔向けできる?
世界も日本もだが 大人は 地球や子供たちをこれだけ傷めつけながら 「安全」だ「繁栄」だと 今だに言ってるが 信じられる訳がない。
自然の理は この状態をいつまでも 放ってはおかない。
子供のころ「お天とう様が 見ている」とか「バチが当たる」とよく諭された。
私たち大人は 日本的に言えば これ以上 ≪恥ずかしい≫ことは無い。
今が最高!
畑をやったり カラオケやったり 株をやったり 囲碁をやったり 時には お寺で座ってみたり 勉強会に出かけてみたり こうして 浮かぶ言葉を思いのまま書き出してみたり。
死活を初めて可なりだし 喘息で10分歩くのも苦しいのに この年よりは 何をやっているんだろう? この星の中の自分の位置を探している気分ではある。思ってもみなかった至福の時
知りたい2重基準の理由
これから約1ヵ月間かけて行われるNPT再検討会議の焦点は(核軍縮)だと言われているが見通しは暗いと言う。核兵器所有の(2重基準)の理由が分からないが その解決が順序だろう。
人間活動が世界規模で関係し動いている時代に 世界的な基準を脇に置いて 国際関係の何を語るのだろうか?
当のイスラエルもそれを話し合える環境を望んでいるだろうから、先ずはその体制を作ることだろう。何が障害になっているのか? 日本の「積極的平和主義」の地馴らし的な外交の真骨頂が 世界から問われる。
いづれ判明
安部ノミクスも 安全保障もTPPも いずれ政府の思惑とは正反対の結果が判明するだろうことは 確信に近い。
経済戦争たけなわの渦中にいるようなもので あのときのように情報はコントロールされ よっぽど気をつけないと エライことになる。
身近な災いが 無視され続けているのも 一つの証左。
信じてきた社会や情報と かけ離れた現実。
全体を見渡して
片や 「安全保障」 片や」「平和」や「命」の大切さを唱える人達の言葉が 裏打ちする (地球規模の自然の広がり)を伴わないことがしばしばで 話自身に 閉塞感を感じることがある。
概念や価値的には同根だから 裏打ちするものが確認出来れば 話は通じやすい。
現実を見ない言葉の空中戦そのものが 安全ではなく 平和でもない。 全体を見渡していない。
逆の発信
安部首相は先のアジア・アフリカ会議で「テロ集団には 世界のどこにも安住の地を与えない。」 と演説した。
アメリカ大統領がよく使うこんなもの言いは 日本人には馴染まず、別の言い方を期待していたから 少々がっかりした。
日本の自然観や仏教の伝統は 善玉と悪玉を2分し2者対立の関係にはしない。
大事なことは成敗することではなく解決すること。
森羅万象を自然の因果とする日本の伝統からすると 世界に向けて日本人らしい知恵のある言い方が出来たのではないか。
まして保守の政治家には日本の伝統文化を考えてものを言ってほしかった。チャンスを逃し逆の発信をしている、 もったいない。
拘ってはいけない外交
日本人の自己中心性を精神年齢にして「12歳」と連合国に評されて70年たった現在、 (自己中心性)は どう見えているだろう?
「相変わらず」でなければ良いが。
人間関係であれ国際関係であれ外交は自分の立場だけでなく 相手の立場に立って考えることは大事。
国家の神聖さや無謬主義に拘っていると どんな外交も難しい。
念頭に置くべき当然のこと
アメリカの情報誌( ウオリート ジャーナル)によると、 レアーズ元アメリカの財務長官は 「アメリカ経済はこれ以上良くならない。」とある映画の名セリフを借りて メッセージを発した と言う 。
世界で 一人勝ちしているとさえ言われているアメリカの その立場の人のメッセージは 現在のアメリカ経済だけを指してはいないのは当然で 世界を支配する顔の無い1パーセントをも念頭に置いてのことだろう。
数年前から「すでに 世界経済は縮小している。」と考えていたから 驚くこともなく、むしろ (経済成長)一色の政治や経済体制でやっている世界に、やっと大事な警告を発したと 歓迎したい気持ちになった。
IMFや世界銀行が相次いで経済目標の下方修正をしていることも この発信を裏付けている。
出来るだけ早く この世界経済の現状認識が 世界に共有されると良いと思う。この認識なしに実質を共なった本当の「世界の繁栄や平和」は ない。 このメッセージは 世界への警告であるとともに 未来に向けた≪鐘の音≫に聞こえる。
囚われと面子
今回のアジア・アフリカ会議は 世界の市場と主要プレーヤーの変化・交代の印象が強い。
古い歴史観と国家観に囚われたメンツに拘り 国際的な判断を誤り この変化について行けないことの無いよう 願っている。
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