人智の現状

 

      未だに、世界には世界を単位とした統治機構は無い。 その面から言うと、世界は無政府状態であり、世界に通用する法律もなく無法地帯とも言える。

      世界が争いや矛盾がはびこり秩序の無く乱れているのは当然の帰結と言える。

   「 積極的平和主義」を唱え軍備を拡充しようとする動きがあるが、本当に積極的に平和を実現したいなら、世界に【世界の統治機構】の建設を提案すべきであり

    無政府状態を放置して軍備を整えることでは無いだろう。

   戦後一時、世界共通語のエスペラント語や湯川秀樹氏の(世界連邦)の提案やコスモポリタニズムの動きがあった。あれからほぼ70年たち内外からその声は全く聞こえない。

    地球の自然までもが破壊されている今日の人類の安全の現状は70年前より悪化しているのは自明であるにも拘らず世界は熱さがのど元を過ぎたかのように70年前の動きすら見せない。

  生命体としての人類は危機を避けるべき全体的感覚は退化してしまったのだろうか?

   取り返しのつかないような犠牲を払わないと取り戻せないのが私たちの【人智』の現状なのか?

    

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政治家は出来のよくない目立ちがりやか?

 

        確かめの無い信念ほど危ういものは無い。

  「 安全保障」の名で軍備を整え、現実に安全が保障されるかどうかは 全く別で、安全は軍備だけでない他の多くの条件との全体的な関係の結果であって、 場合によっては軍備が安全を損なう原因になりかねない。

   テロにしろオーム真理教にしろ当事者は悪を懲らしめる聖戦だとの信念に基づくから戦前の特攻隊の様に自爆を覚悟し ポアと称して他人を殺した。

     政策は 仮説の社会実験であって 結果は時間を待たなければならないが、仮説は単なる信念や他からの要請や力関係で決せられるものではない。

   政策は過去の経験や内外の現状分析によって最大の人智を以て作られるべきものである。

   内外の為政者を見ているとあまり勉強を得意としない小学校の中学年の(目立ちがりやさん)と重なる。

 

   

 

   

    

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専門家の誤認

 

       専門家と一般的市民の共通点と違いはどこか?

     専門家は専門分野の知識を多く持ち専門分野の判断はし易いかも知れないが、全体的判断は 全領域を総合してはじめて得られるものだから、専門家と一般市民の判断力に差異は無い。

   全領域の専門家はいない。 全体的判断はデーターや知識や経験を越えており、現時点では最大の情報処理能力直を持つ人智は直観ではないだろうか?

 マスコミ等にやたら専門家が登場し、その権威を以て専門分野を越えた全体的な論評は良く目にする。

 見えない人に道案内してもらっているに等しい。

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後を濁さずに飛び立ちたい

 

     「 飛ぶ鳥 後を濁さず。」と言うけれど、果たして私たちが今やってる事は子供たちに良い事をしているだろうか?

    温暖化、原発、武器輸出、カジノ、非正規雇用と手当なし残業の拡大、軍拡、

     これらから、将来の子供たちの笑顔はなかなか思い浮かばない。

    時代の大転換期だろうと思うが、大きな勘違いをしているように思えてならない。

    

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申し訳ない風景

 

    車で遠くへ出かけると あちこちで道路工事をしている。そこでガードマンが車の誘導をやってくれてくれているが、あれを見るたびに

     「申し訳ない」気になってしまう。 自分には無理に思えるからだろう。

      新築している近所や 昨日からは家の前で水道管を交換する工事がはじまり、道路の出入り口に黄色い作業着を着た人が何人か

立っている。 

    申し訳ない気持ちがどこからどう起きているのか良くは分からないが 行き詰まった社会を目にしているようで 辛いものがある。 お金の価値が違っていないか?

              

 

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みーつけた のおもしろさ

 

     東京新聞の社説(24日 朝刊)は ー新成長路線 「奇策や禁じてばかり」ー と題し なりふり構わぬ手法が「国民の利益を損ないかねず いずれ破綻するだろう。」との危惧を表明した。東京新聞にして「経済破綻」を 将来的な危惧と見ている。

  個人的ではあるが私は「とっくにアベノミクスは破綻している」と判断し その確信を深めながら現在に至っている。

   国際問題や国内問題についてマスコミが伝えるところとはかなり基本的ななところから認識を異にしているようだ。

   勿論、自分の判断が基本的に間違っているかもしれないが、自分の感覚や判断を信じたい。

    今後、 内外の問題の事実や実態がどう推移するかを見極めながら追いかけたい。

   子供の頃始まった「 みーつけた」のおもしろさが 今だに 止まない。

     

    

    

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 逸れていないか 安全保障

 

  アラスカで地震、イラクやシリアで武力紛争、ブラジルでサッカー、飢餓難民は溢れ、今日も温暖化は進み絶滅種は増える。

 そんな地上のこの国は 人々の周辺から小さな生物が姿を消し、連日70人からが自ら命を絶ち  子孫に残さざるを得ない借金の山。

    

    そんな地上のこんな国に居ながら 安全保障の名で お隣りの軍備が脅威だと言っては 軍備を強める。

    軍備を強めていたら 本当にどんな場合も 子どもや孫に 安全・安心が 保障されるだろうか。

むしろ「安全保障」の名で、現実的には(戦争が出来る・出来ない以前の)日常的な安全がさらに損なわれるように思えてならない。

    

    

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最優的に人は信頼に値する存在

 

       (昨日この件で疑問を記した)22日早速、イランの最高指導者とされるハメネイ氏は 「米国は 宗派抗争として描こうとしているが、実態は違う。 米国は再び傀儡による覇権確立を画策している。」とい国営放送で批判したと言う。(24日東京新聞 朝刊9面)

   氏の全てを肯定する気はないが、前半の宗派抗争を否定した部分については経過や関係国の様子を想像ると納得できる。

     国際問題など 遠く離れていて現場の現状を知り得ない世界の大半の市民は 政府や情報機関以外から情報は 得られない。

        報道を信じる他ないのだから、上記のようなことが事実だとすると 市民は(国の内外を問わず)まともな社会的判断や行動は出来ない。 

          「民主主義」と言いながら こんな事が罷り通ってる現代社会(少なくても 私にはそう見える)をどう建て直したらいいのだろう? 

          普通に考えると 支配者やその道具が立ち行かなくなるまで無理なのかもしれないが、人はそんなに単純な生き物ではないと(私の)思いは変わらない。

      

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本当に宗派対立か?

 

        欧米の政府やマスコミはイラクの紛争の背景を(宗派対立)としているが果たしてそうだろうか?と直感的に疑問を感じる。

     イラクの原油を巡って外国企業が関与していないとは考えにくいからである。

      宗派対立なら アジアやアフリカなど他の多くの地域で同じような宗派対立が起こっているはずである。アラブの春も違っていた筈。

       ご都合で(宗派対立)とするなら 原因や事実から世界の目を逸らし国際世論を欺くことになる。確認できるような情報が欲しいものだ。

         

            

      

     

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止めて欲しいい前時代的政治手法

 

   どの国も企業経営を中心にして富を得ているからか 体制に関係なく「規制緩和」が叫ばれているが、必要なのは反対に「規制強化」ではないだろうか?

     方向の転換や誘導の為にはある意味で規制でも緩和でも良いのだが、企業の利益追求を中心にした 規制緩和は さらに矛盾を深め易く 事態をこじらせる前時代的な手法になる。全体t的な調和を計りながらの 企業向けの言葉なら 「自由化」や「規制緩和」ではない大所高所からの新しい交通整理の規制が必要だろう。

   特に急がれるのは 情報が産業化・企業化されtいる中では情報は企業利益と結びつき 今日のように 事実や現実から遊離した情報が飛び交う。 さらなる「規制緩和」は

  今日の様に(これでもか 々)の時代しか生まない。

    時間外手当の支給変更は企業にとっては規制緩和で有利だが経済全体では企業が自らタコ足を喰うに等しく、経済の縮小の悪循環であって「好循環」とは相容れずアベノミクスの根拠の無さを露呈している。

 

 

      

     

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