二つの理

人間活動が地球の自然の理に適っていれば地球や自然と共に持続するだろうし、適っていなければ持続しないのは理だ。
 現在、地球環境が異常をきたし生物が年間4万種から絶えている現実や経済が行き詰まり、子供達の将来どころか、リーダーが命と暮らしを守ると連呼せざるを得ないほど多くの成人や若者が困難に直面しているのは人間活動が理に反している事を示している。
 ヒトビトは どう舵を切ろうとしているか? 少なくても両リーダーの演説からは 内に準備しているとは考えられないが、持続しない人間活動は新しい人間活動を生み出す必然性(理) を内包しているのではないか。(逆もあり)
ただ、内包しているものは 気が付きにくいかもしれない。
 

 
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メディア独裁

刑事責任であろうと政治責任であろうと争い事は法律に照らし、司法の場で判断し責任があればそれを全うするもの。
 それを無視した国会やメディアの動きは異常と言うより他ない。
 政治が現実と乖離している今、マスメディアはまたしても政治を格闘技であるかのように一方的に煽っている。
 メディアの判定はだれがするのか?出来るのか?
 虚偽報道、やらせ報道、情報隠しの裁きは無く、いつも曖昧にして終わる。
 やりたい放題で船は益々あらぬ方へと進む。
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我々のいるところ

 オバマ大統領の年頭教書や鳩山首相の施政方針演説は国内だけでなく世界的な意味を持っている。
 雇用を重視した経済対策や地球や人の命を守る政治を呼びかけた演説は「理想論」「美辞麗句」と言われてもそれなりに共感もした。
 しかし同時に「経済が(将来に渡って)第2位になる事は受け入れられない。」と延べ間満場の拍手を得たり、「地球と人の命を守る。」の後に、「環境・医療、観光を新経済戦略に据え、需要を喚起して経済成長を図る。」は我々やリーダーの矛盾した認識をも示していないか。
 順位に拘り、産業を見直す事無に、世界の繁栄も平和も果たせるはずはない。
 
 午前中、政治討論会を見ていた。討論とは名ばかりで、日本語の会話が成り立っていない。
 司会者はプロレス実況よろしく、バトルを盛り上げるのと似ている。
 政治は智恵を集め智恵を生み出すはずのものが、国会同様相手を罵倒攻撃し、互いに智恵を減殺し合っているのだから政治が良くなるはずはない。
 党派や個人に関係なく展開している様は社会のシステムになっているかのようだ。  
 競争の行き過ぎは目的と手段を逆転させる。
 
これは、 社会の中にあって串刺しのようになっている我々個人は、他人事にはできない自分自身の抱えている問題でもある。
 
 
 
 
 
 
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一般的認識と事実

一般的な認識はメディア情報などによるが事実との乖離や誤認は避け難い。
 例えば、
100年に1度の経済危機は突然起きることはなく、単にヒトビトが一般的な認識として持っていなかっただけである。我々はそういう中にいる。
 外部からの情報なくして外界の様子は知りえない一方、ニンゲンは本能的に内部からの直感的な情報も持つことが出来る。
 誤った情報はそれなりに察知する能力も無くはない。
 情報社会にあって情報を追い求める一方、時には外部からの情報を断ち静かに内部からの情報に耳を傾けなければ、一般的認識を拡げるほど、事実から離れていきかねない。
 情報化社会に流されがちな中にあって、我々に求められてる生き方かもしれない。
 
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定数と変数の取り違い

経済成長を目指し経済活動のトータル的な指標にGDPが使われる。
 GDPをはじき出す式がある。
式に必要な数字を挿入するとGDPが算出される。
 (ここからは論理的な意味で)
 GDPをはじき出す時 資源を定数として人間活動を変数として挿入してでてくる数字だが、
 現在、有限な資源を定数扱いしているだろうか?逆に無限な資源として変数扱いされていないか。
 
 経済の見当ハズレれの多過ぎは、そんなところに原因はないか。
 仮設実験なら仮設が間違っていなかったかと検討するところだ。
 
 
 
 
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 珍 地球物語

おごれる者は久しからず‥ ではないが
 権勢を誇ったものは  ジタバタするほどみすぼらしい
 宇宙へロケットを打ち上げても 核をいっぱい保持しても 戦へ勇ましく出かけても
   借金してやっているのを 周りは知っている
   
    木を見て森を見るのが苦手なヒトビト そして我々
 
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 霊長類の国会を見て

昔は、夜空にはいっぱいの星が綺麗に光っていたのに 近頃はそんなに星は見えない
 こっちから星が見えないのだから向こうの星からもこっちの星は前ほど綺麗に見えないかもしれない
 
そこにいるのは 強欲な生き物だとは思うが 自分達で(霊長類)と誇る程賢くはない
 何故かって?
  
他の生き物と違い、身の安全と仲間への伝達が 最も悪い
   
     電線に止まっているすずめは皆 流線型で凛と風に向かい 
アンテナを張りめぐらしてる
        そして 例外無く 皆 呼応して動く
 
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木を見て森を見ず

 来年度の国家予算の質問や答弁を聞いていて何れも(木を見て森を見ず)だと思った。
 少子化・郵政・ダム建設など割合具体的な問題から、予算編成の全体的な仕組みに至るまで質問する人も答弁する人も(有限な地球)ではなく(無限な地球)を前提にして話している。
 (コンクリートから人へ)(地域グリーン政策)(命と暮らし)
 夫々の言葉は尤もだが、結局質疑は 
 産業的には従来の形のまま或いは新しく環境問題までGDPに繋げようとしている。
 (病人が出れば薬屋と病院が儲かる。人が死ねばお寺と葬儀屋が儲かる。)式の論理に道徳的な不純さすら感じる。
 
 超大国アメリカも財政赤字解消のため国家予算を切り詰めるようだが、
 国防費は義務的予算?として始めから除外して特別な予算として組んでいる。
 国民の命と暮らしを守るのが最優先される責任と義務ではなかったのか?
 ここでは国防が国や国民より大きく見えているにちがいない。
 日本では 蛇口をひねればなんぼでも水が出てくると思っているにちがいない。
 有限な地球のことは誰でも知っている。 
 しかし、知識を持っていることと、それを念頭に考え行動する事とは全く違うことを知らないから、とんでもないことになる。
 
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i命はどうなっている?

大元が大切だと言う意味で「命あってのものだね」と言われるが、 物事の基盤になるところを命と表現すると人・国・経済・家庭・地域等 の命に該当すつところはどうなっているだろう?
 
 
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本当の安心

自分が人一倍勝気で貪欲なヒトを長い事やっている事を認めた上で‥
 
  ヒトは地球と子供達にこんなにツケと傷を残してどうするつもりだろう? 
  最も大脳の発達してたニンゲンは脳に血液を送ってくれる体を忘れ今を最大に生きようとしているようだ。
 
 バーチャルな空間を最大に拡げているが、自分の根っこが、体であり地球であり、子どもであるのを忘れているかもしれない。
 長い時間と犠牲を払うが、結局は仮空の繁栄から、実ある命の源を求める事になると(この貪欲な自分でさえ)思う。
  
  
        
 
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