世の中の見える世界から見えない世界まで思いっきり。特に、子供、教育、不登校、自閉症等 情緒に関心あり
天まで届け
参議院選挙
地上の異常さ 人類の基本的な安全が脅かされてる今日 地上の安全を問題にする政治家がいない選挙にどんな意味があるだろうか?
軍備 憲法 消費税 年金 教育の無償化 子孫に残す最優先すべきものは 兵器でもお金でも見かけの学力でもない。 見当違いな選挙を何時までやるんだろう?
異常さ
人類は 世界中の海や空気の異常さをやっと気にし出したようだが お金への関心とは比べ物にならない。 人は お金が無くても生きたが 異常な地上では生きて来れなかった。
異常なのは地上の自然だけだろうか?
全ての人が先ずやるべきことは
可能な範囲で良いけれど俯瞰する範囲を広げていたら 世界は今とは違っていただろうな。全ての人が地上で生きている事実は子供でも分かる。
誰でも分かるその事実を人類はきちんと継承せず今日に至り 偏狭な視野を基にアクセク バタバタやっている。
経済も平和も政治も芸術も学問も大事だけど 成り行きに任せず 人は先ず・・・ 出来ること や やるべきことから手を付けたら良いのに・・・
邪魔するな!
日本中が梅雨と大雨の混じった6月30日
G20も終わり 少しは静かになったが 自然からの盗品をショウウインドウに並べ コマーシャルは相変わらず
終日 茶の間まで忍び込み 頭の中まで邪魔する。
そうだよ! この人権蹂躙を次のサウジアラビアのG20では 取り上げてほしいものだ。
天気予報とスポーツばっかり垂れ流しては 季節の味わいが半減する。生き物の端くれのおいらには 季節の御馳走が必要なんだ。
G20の意義
資本主義と言われる市場経済の世界のどこに「倫理」を見出したら良いだろう?
G20大阪では 多くのリーダーが集合したことが 一番の倫理だったのだろうか。
「見えざる手」が無くなったのか 「最大多数の最大幸福」は遠ざかり、
近づいているのは自然な営みか グローバリゼーション。
今反省 それでイイのだ!
G20が身近な所で開催され 世界の動きが身近に感じられたのは望外だった。
自分なりに想像していたドラマを近くで見られたようで良かった。
結局は世界の行き詰まりとその背景を自覚出来ていない現状がさらされた。
必然的に進むグローバル化の時間が もう少し必要ということか。
自然と人の関係を もっとしっかり教育しておけば良かったと 今 反省している。
否否 今だってこの自分も口で言うほど 解っていることか? ・・・それでイイのだ!
教育の見直し
世界の行き詰まりは 至る所で顕著に現れて来ているが 根本の原因は教育だろう と思う。
人と自然との関係が 文化的にもうまく伝承されず きちんと教育されていないからだ。
進んでいる欧米ですら教育理念として自然を位置づけてはいない。
日本では 自然や人に先んじて国家を教育理念の中心に据えている。
国家は人の集合体であり 人の一形態に過ぎず 自然の全体やそのものではない。
自然と教育の関係を教育されていない現状にあっては難しいが 根本的な理念の見直しは何人も必要であり 特に政治的・社会的に急がれる課題だろう。これがG20大阪の全体的な感想である。
直感
年寄りでやたら新しもの好きがいる。
流行に後れないように 否先取りするかのように ハイカラな人がいる。
我が国の総理大臣が その絵に重なって仕方ない。
マスコミを意識した器用な振る舞いは傑出しているが 国内的にはともかく世界的に何時までももつとは思えないし それどころではないだろう。
議論の順序が違う
G20で環境問題が取り上げられ 安全保障が直接議題にされなかったたのは 世界政治の発展として喜ばしい。
しかし 1デジタル 2政界経済・貿易 と議題の3番目に位置していたのは 世界の到達点として仕方ないが残念でもある。世界は 3の地球環境を中心にして1.2が議論されるべき現状だろうと考えられるからだ。
ゴア氏が「不都合な真実」を著して20年経ち 地球環境の問題ははっきり世界政治のテーブルに載った。
議論の順序が整うことを願っているが その声はどこからも聞こえない。
確かに自分を振り返っても 人は 人中心の世界観から脱するのは 半端じゃない。
「 だから面白いのだ」と 強がりが言いたくなるのも本音。
夢ではない 世界のまとまり
大阪G20での?開会の友好ぶりを見ていると 戦争や普段の争いが嘘のようで、
世界がまとまり 努力次第で統治が一元化する日も夢ではないように思えた。
世界は確実に共有する部分が増しているのに 見た目とそんなに違うのだろうか?
人を信じたい。
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