世の中の見える世界から見えない世界まで思いっきり。特に、子供、教育、不登校、自閉症等 情緒に関心あり
天まで届け
老のクオリティ
終末期のクオリティは 耳にするが老のクオリティを耳にすることは無い。
生産年齢を過ぎ社会的な位置はさることながら 人生としては終わってはいない。
老年期の価値や質が問われてもいいのだが…
少なくても自ら 老に成りきって社会の枠の外へ出たいとは思わない。老にしかできないことがあるはずだが。
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失う文化の担い手
盆踊りは 寂しく ハロウィンは 盛んになる。
気持ちによって文化が変容するのは自然だが 後ろにお金の影がちらつくと ちょっと複雑。
色んな文化や芸術 教育から政治までが 後ろにお金がちらつきコマ―シャル化している。
文化の担い手が人からお金へ移ってはいないだろうか。主権が 人からお金に移ってはいないだろうか。
「安倍一強体制」というけれど 「お金一強体制 と言った方が よりマッチしていると思う。
「お金」とコマーシャル が 連日 台風より大暴れし アップアップしている。 台風は過ぎ去るからまだ良い。
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国際的な一体感
世界は太陽暦で進んでいるが 1週間の世界的な一体感をほとんど感じていなかった。
この歳になって 少しだがそれを感じるようになった。
(世界のニュース)などで世界の情報が日常化してきていることも大きいと思う。
(1週間)だけでなく一体感を感じる範囲は広がっているようだ。
否定的なニュースが多い中、(世界の一体感)が 確実に進展しているのは喜ばしい。
一体感を基に国際関係を測るのも面白い。 アメリカや日本はどうなっているだろう?
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さてさて どうしよう?
政治に期待できない今日、 政治や文化の向上の為にも 地域の崩壊に対峙し 地域の共生社会化が 湧き上がったらいい。
地域は競争社会より共生社会がいい。 さてさて どうしよう?
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聞こえるのは 何時?
「未だに刀狩りも出来ずにいるアメリカと付き合っているんだから 世界は大変だ。」と考える人がいても可笑しくないが、聞いたことが無い。
今は 思想・表現の自由の時代 美しい国からも聞こえない 聞けるのは何時?
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そこそこに!
見えるものは 巨視から微視まで一続き
そこに 立場や壁 競争は存在しない
行く詰まりながら 今も在る 作ったのは誰? そこそこに!
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どうしよう?
要するに 大きいことも 小さいことも 全体的に感じられたら良い
感じられたら 後は 底抜けのフーテンで良い
午後は 不登校の親の会
この「南平のフーテンのドジ」 元気がもらえたら 最高! どうしよう?
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曖昧な学問における真理や真実の基準
学問の基準
学問は科学的な公正な基準で結論付けられると思われがちだが、学者も社会的立場を具有するから 純粋な公正や客観性を求めること自身が 権威主義に陥っている場合が少なくない。論理的には不可能だろう。
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ゴール アンド スタート
今日は 足立での教員のクラス会。
昨年は参加をためらったが 今年は喜んで参加する気になった。
クラス会が老人会のようにいなると (わが身を顧みず) ためらっちゃう。日野は複雑。
生きてる限り 現状と先を見て思いを告げる、 ゴール アンド スタート。
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ありがとう
久々に空高く 秋らしいあたたかな一日だった。
午前中は念願のオモチャを買いに妻と立川へ行った。お店の人も親切で 気持ちの良い買い物だった。
囲碁の帰り道は 大きなな空に上弦の月が光ってった。
夕飯は 子供の頃 憧れだった銀シャリとアジの干物 お代わりをして、煮汁をかけて食べた、今日も最高に良い日だ!
誰となく(ありがとう)の気持ちになるもんだ。
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