世の中の見える世界から見えない世界まで思いっきり。特に、子供、教育、不登校、自閉症等 情緒に関心あり
天まで届け
うっかりできない決め台詞(せりふ)
権威ある政治家や有識者が「世界」や欧米の先進国の名を引き合いにして日本の現状を説明する手法が広く用いられているのは、歴史的なコンプレックスのせいか不思議と説得力を持つ。
スポーツの記録ならいざ知らず、ダントツの借金を抱えた日本が政治や経済で世界標準を用いるのは如何か。
独自性はもちろん、ある意味で世界のトップを走っている自覚が有ってっも良い。
手ぐすね引いて待っているのは…
アベノミクスの第1の矢である金融緩和を真正面から批判した政党・識者・マスコミを未だ唯一人として目にしていない。
アベノミクスに批判的な論者もリスクや副作用として危惧する留まっている。
私は以前から日本の経済をさらに壊す間違った政策だと考えてきたから、『今は 一人』か?
都合の良い経済指標だけを取り出して景気が上向いていると言うが、約束通り時間差で出てくるのは不景気の実感と実体だろうと確信しいる。
ここに来て経済面のトップを飾る(悪い物価上昇)はそのハシリだが、ほとんどの人はこの半年間のマスコミのキャンぺ―ン通り信じて今も動いている。
今あるのは 覆い隠せなくなる時期の問題だけ。 「風と共に去りぬ 好景気」 を進呈し、『今は一人じゃない。』を待っている。
地球は消耗品ではない。
「生産」は自然界の人間を中心とした言葉であって、自然界を中心にすると「消費」になるものが多い。地球は人間の消耗品のようだ。
ヒトを忘れた人間には地球の崩れと悲鳴が聞えないのかもしれない。
他人ごとでない自己中心性
勿論、除染は急がなければならないが、それで済むものではない。
人体や自然の被曝は取り返しがつかない。そのことを心配しながらも大方の人の具体的な行動は意識の外へそらしていることを、先日の選挙は見せてくれた。 他人ごとにする自己中心性は他人ごとではない。
都市より大事な自然
廃屋の並ぶデトロイトの住宅地の写真を見ていると、虫や小鳥の鳴き声の減った今の日本の風景と重なってしかたない。
デトロイトは破綻宣言をして救済するが、ヒトに必要な自然の崩壊は放ったらかしのままそこに住んでいる。
いつの間にか、人類が生き物であることを忘れてしまったのかもしれない。
大丈夫!
異常さを目にし耳にするようになって久しく、どうしたことかと心配にもなるが、日に日に伸びる朝顔のカーテンがそれをさえぎってくれる。
そんうち 花いっぱいになって アリさんも昇ってくる
情報力と情報源
スポーツ競技でも経済競争でも政治闘争であっても、戦いは相手に勝る情報をもっているかどうかで決まる。
競争社会は共同体を壊し情報の共有を妨げるから、1面的に競争に走っていると情報力を低下させ今日の日本のようになるのは必然であり、
学力の比較競争が知識の貧困化と単一化を招いていることを情報力の観点から見直さないと経済の再生はおぼつかない。
為政者・学者の現状に対する情報力(現実の中にしか存在しない情報源における情報の収集・分析力)は権力や権威とは無関係な事に当人も周りも気付きにくいかもしれない。
情報上は、自然界に行き違いは無いが、世界は行き違いだらけ。
情報が要
(遺伝子情報)と言われるように遺伝子も情報と考えるなら世界に存在するものは全て情報であり人間の営みも全て情報に依るとも言える。
弱肉強食の競争社会も情報によって成り立っており、超大国アメリカは情報の超大国と言い換えられる。
参院選が終わり勝者と敗者に分かれて悲喜こもごもだが、未来を問うなら勝者も敗者も情報力を高めることが最大の課題なはずだが、その意向は全ての与野党からあまり伺えない。
否応なく世界のグローバル化は進むだろうから例え日本の国家を中心に国益をはかるとしても、グローバルを視野に収めた情報力を如何に高めるかが求められているはずだが、与野党とも切磋琢磨する様子は見られない。
経済を再建し強い国を作りたいならなおさら目先の金融や軍事力に振り回されていては逆の結果を生むことになる。
参院選は与党の圧勝に終わったが野党は情報戦で圧倒されていたことを自覚しない限り反転はあり得ない。と自分は考えている。
異次元の空間?
選挙が終わっさっぱりした気分になれたのは単に騒がしさからの解放だけでなく(なるようになる)との感触を得たからか
もしれない。
特にこの間は世界の動きや地球の抱える課題とは切り離されれた別の空間のような感じが強かった。
投じられた一石
選挙結果はほぼ予測通りだったが、気分がスッキリしたのは騒がしさが通り過ぎただけではなく、時代が長いスパンで確実に前へ進んでいるように自然に思えたからだろう。古い時代は終わりを急いでいるように思えた。
選挙結果の報道を見ていて改めて思ったのは 日本の選挙が世界の動向、まして地球的な課題とは無関係な特殊な空間で繰り広げられていたことだった。
選挙結果の解説も(マスコミ仕立ての作られた)景気浮揚への期待感をベースにしたパーフォーマンスを紹介するスポーツ解説に似た目先を追ったものがほとんどで、背景や原因を探り今後の日本の政治や経済の予測に役立つような解説はほとんど目に出来なかった。
結局これまでやって来た悪循環を繰り返し(想定外の人的災害を)をマスコミの雑音を聞きながらひたすら待つことになるがようだ。今回の選挙で特別評価したいのは マスコミに真正面から向き合い全うに批判し当選した東京選挙区の若者である。
メディア支配に対して投じられた大きな1石が 今後 社会に広く波及してほしいと願っているが、 (当然ながら)マスコミはそれには全く触れない。
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