己を見失いやすい時代



   国家の財政は拡大し 国民の財布には緊縮を求める。

    この構図で 世界は動いているようだ。 

    この構図は 支配権力の立場からは当然でもある。

     支配される国民が 自らの立場を見ず 願望である支配の立場に(知らぬ間に)立っている。

     社会生活を避けられない国民は 国家の情報機関(マスメディア)から脱して立場を守るのは

難しい。

       

   
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時代の文脈



戦争の目的が国土を奪ったり市場や権益を拡大していたのは昔の話で、西谷修氏(立教大教授 思想史)が言うように、現代は 兵器産業を守る公共事業のような意味合いがあるとしたら、我々の思い違いは甚だしい事になるが 「目からうろこ」の感が無いでもない。

 地上は本来の概念は 自然>人>社会 だが 現代は 自然<人<社会 の関係になっている。    


特にお金が社会を支配しているような価値観や時代感覚にあっては 西谷氏の主張に必然性すら感じる。

「腹が減っては戦も出来ぬ」の たとえが教えるように  何時までも続けられないだろうから 

過度な心配は必要ない。

    こんな文脈で 物事が進めば良いのだが。  
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分からないことの一つ




兵器産業の実態がほとんど見えない。これでは 軍事脅威論やテロとの戦い しいては外交の実相は分からず 分からないままでは 選挙の意味を半減させていないか。

   マスコミは 何故 報道しないのだろう? 機密の範囲もあろうとは思うがそれにしても少な過ぎる。 分からない。

    

     
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「哲理」以前に単純なものがある



「 哲学者」梅原 猛氏は最近書いた一筆で「今日のような時代を深く悲しむ私は、このニヒリズムの時代 デカダンスの時代においてそれを克服し
 人類を生き永らえさせることが出来るような哲学を思案し創造して人生を終えたい と思う。」と書いている。

   簡単ではないか?
  
ニヒリズムもデカダンスも人間中心の思想であり価値観であって 行き詰まるのは当然で もともと世界は人間中心には出来ていない。

地球あっての生物であり 地球あっての人間という関係はどんな哲学や 宗教をも越えた単純な科学的事実があり 

現代のの倒錯した意識を本来に戻せば良いだけではないのか。
 
自然を基ににする考えはギリシャ時代からあった思想であり その後 神中心から近代になって人間中心になっただけであって

人間中心の歴史はそう長くはない。 大げさに新しく創造するほどの哲理ではないと思うが。



   
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国際社会の平和力




    ボタンのかけ違いだとしても世界の平和力をもって シリア紛争は どうにかならないのだろうか。

     政府と反政府 の双方の言い分の違いを これまでの報道では 未だに聞いた事が無いが、私だけだろうか。

     

      

     
      

     

     
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ボタンの掛け違い




アメリカが政策的にお手上げし 大きな蓋が取れたのに 何処の国からも新しい提案が出て来ない。

    各国政府だけでなく各界や各分野からも その声が聞こえない。

    人類的な行き詰まりをひしひしと感じる。最初のボタンの掛け違いには 直すのに時間が掛かるんだろう。

      
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宝探し




為政者の繰り出す政策や言動を見ていると 体裁をとるものの 現状に お手上げしているやに見えることがある。それを支えるメディアやそれに繋がる人たちや それに群がる人々。 

     現状にお手上げしてはいられないのが個々の(生活者)ではないか。為政者やそれを支える人々は 一般的な意味で(生活者)の立場にはいない。

     一般的な生活者はお手上げしていられないから 生きる為の知恵を持たざるをえない。

     行き詰まりを乗り越える力は生活者の中にこそ埋もれているのではないか と思う。

世界に広く見られる異形のトランプ現象がそれを暗示してはいないかと 希望的に観測し、身近なところにある 知恵の掘り出しが出来ないものか。 


余生は宝探しか。
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目を開けて




地上の人間は 先ず どんな努力をするべきなんだろう?

    地上は 原発を動かしたり海外派兵へ優先して努力するような状況だろうか。もっと優先させるべき課題は無いのだろうか。

    地球環境が壊れかけ経済も行き詰まっている今、地球の再生や経済の構造転換を優先すべきで、

   原発事故の処理能力を持たず経済が破たんしている現在 正に人類の安全を保障すべく努力した方がが良い。

    地上の状態が見えているのだろうか? 

   
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思考停止の教育をして来なかったろうか?




    首相が自分の言っていることを理解しない野党の批判を「デマゴギ―」と罵り強行採決に及んだと言う。

     社会科学的に検証する場である国会の議論で 同意しない相手を「嘘つき」呼ばわりしレッテルをはるのでは
検証はおろか 科学的態度にも劣る。

     現状の行き詰まりからの出口を見出すべく時代にあって 立法府の議論が こんなに非科学的な態度で進められている現状は 政治がお手上げし投げ出しているとも言える。 

社会は 議論の如何に依らず 事物の関係に依るから 当てにしなければ良いだけかもしれないが、自分も むやみに信じること(思考停止)を教育してこなかったろうか?

   ちょっとしたら 大事なことを教えず間違ったことを教えているのに 首相と同じように「先生」と呼ばれていたかもしれない。
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心のお風呂




山あいにいると季節のお風呂に入っているような感じになる。

    昨日、 おしゃべりサロン(哲学カフェ)に行くと心のお風呂に入ったような感じがした。

   疎外感の溢れた時代に 風呂に入り ゆったりと思いっきり体を伸ばしたような快感。

     自分の心が 色とりどりの(心模様)の一つを成していた。
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