世の中の見える世界から見えない世界まで思いっきり。特に、子供、教育、不登校、自閉症等 情緒に関心あり
天まで届け
言葉の強さより事実
マスコミのリードで用意されたような激しい国会論戦を繰り返し、何にも良くならず借金ばかり増えるのは 、 激しい言葉に事実や実態が(恥ずかしくて)隠れてしまったのかもしれない。
事実の解明には静かで丁寧な言葉が似合う。
人間の身勝手な言葉
「生産」と「消費」は人間が中心であって、地球を中心にすると両方とも(消費)にならないか。
地球無くして人間は在り得ないから、地球を基準に物を言った方が分かり易く、我々は足元の地球を消耗しながら「経済成長」と言っているかもしれない。 (そうだとすると少々飛躍はあるにせよ)行き詰まる宿命を持った経済。
個人の自己中心性は周りの人は気が付きやすいが、人間全体の自己中心性は気が付きにくく、
仕方ないから、地球は黙って結果をだけを見せるしかない。
企業の論理
一見、政治が経済を動かす上位概念であるかのようだが、実際はその逆で経済が政治を動かしている方が多い。
目先の利潤を競い合って求める(企業の論理)は特殊なのに、それぞれ異なる原理で動くべき政治・教育・文化・家庭・地域、時には個人の心の中まで影響し、支配しているような錯覚さえ覚えることがある。
経済問題の合理的議論
企業の業績は経営方針や戦略の適否が影響するだろう。
国の経済は企業の業績関わり、国の経済の行き詰まりは企業の在り方も問われるとになる。
政治と経済の関係は政経分離を原則としてとして、 政府の経済政策は、経済活動の当事者且つ主体である企業やそれを束ねる経済団体の要請される意向を基にして政治的に政策化してきたことは原則と実際の経過が物語っている。
経済の行き詰まりは財界の要請した経済政策そのものが問われてしかるべきで、政治家や官僚が財界の代弁者になって現実を、元東京都知事の青島幸夫は「男妾」と揶揄したが、そのレベルだけを問題視するのは的外れの誹りを免れない。
その辺の検証と合わせて、経済問題では財界が直接登場して、議論のテーブル着いた方が分かり易いのに、実際は財界に触れることがタブーであるかのようで、逆に奥ノ院を想像させる。
立場を白日の下にした方が、国民は経済を理解し協力もし易い。
現実は、旦那が誰であるかを知りながら誰も口に出さないが、これは原発神話同様、合理的ではない。
俯瞰できないリーダー
昨日、オバマ大統領や野田首相の世界観が自国中心だと書いた。そこを捕捉したい。
相互の関係を一方的に見るか俯瞰してみるかは認識上の能力問題で人格とも深く関係し、
、望んで出来るものではない。
例えば、売り手や買い手の一方的な都合では売買は成り立たず、商売する人には両者の関係を俯瞰する能力が求められる。
一方的に力で通しても持続せず結局は商売そのものを萎えさせる。
グローバルな経済活動(売買)には向いていない人間をリーダーを戴いていることになる。
こんな事の繰り返しが今日の行きづまりを招いたのだから、政治の問題と言うより(文化)の問題と言えなくもない。
。
「巧言令色少ないかな仁」
ここに来て、オバマ大統領と野田首相の年頭の所信表明を続けて聞いた。
二人の演説に共通した感想をメモしておきたい。
① 演説は最高に旨い。
② お二人の世界に対する視点は自国中心で世界全体・地球全体を俯瞰して見る目は全く持っていない。
③ 「時代の転換期」と言われながら、深刻な先進国の借金や環境異変に対する認識を欠き、装いや目先をを変えるだけで、今日を招 いたこれまでの政治路線をひたすら踏襲し、(お金の筋)による支配体制は変わらない。
④ 時代の転換は、期待できない政治の中で、(新しい草の根的な芽生え)への期待は相対的大きくなる。
地球儀をゆっくり回して考えよう
マスコミ報道から見ると、いわゆる「アラブの春」騒動からイランへの核対応に対する経済封鎖が世界的な争いの中心を成しているように見える。
とりわけイランの経済制裁とそれへの反発は世界的に緊張を高めているようだ。
核兵器が世界平和を乱すなら、世界的な核兵器廃絶が世界的なテーマだろうし、小国は信用できないと言うなら5大国のほかに5か国が対象になるのではないか。
民主主義の名で各国の主権を尊重するなら、よっぽど分かり易い論理がないと、仮に今回イランを抑え込んでも、火種は世界の矛盾としてより広がるのは経験済みではなかったか。 (先進国が財政出動などの景気対策を繰り返して、軒並み借金漬けになったのとも似ている。)
国々の内情をあれこれ斟酌する前に、地球儀をぐるーっと2~3ゆっくり回して考えると、いい知恵が浮かぶような気がする。
愛人
甲州街道を走っていたら、目の前に~産業のでっかいトラックの背中いっぱいに大きな筆文字で ー敬客愛人ーと書かれた一見右翼っぽい車が走っていた。その会社の経営方針を謳ってるのはすぐ気が付いた。日本で「愛人」は公の夫婦以外の異性との関係で使われ、中国では夫婦そのものを表すことは知っていたが、-敬客愛人ーと通して読むと、「愛人」の意味は全く次元が違ってくる。
右翼のトラックどころか、会社の哲学の深さを背中に見ながらずーっと走っていた。
教え子が敬客だったか愛人だったかは分からないが、人を愛する「愛人」は一生ものだと教えてくれた気がする。
知らぬ間に人をも壊さないか?
グローバルな行き詰まりや混乱の中で
人間の組織がする行動であれ自分の個人的な行動であれ(自滅や共食い的な行動)は少なくない。
人間の成長や発達?の反対側にあるとも言える思考停止や感覚マヒはもともと避けがたいものなのかもしれないが、気になることはある。
(マスコミ全体にも言えることだが)特にテレビ番組を再三中断するコマーシャルの人間の思考や感性に与える影響の事である。
テレビが普及し始めたころは コマーシャルも物珍しく興味もあったが、やがて煩わしくなり最近は不快感そのものを否定し抑え込むような感覚を自らに覚える。
頭に描かれたイメージは一方的に外部から中断され壊されるのだから、思考力や感覚に良いわけがない。
思考力や感覚をマヒさせながら情報を受け取っているとすれば、マインドコントロールされたに等しく総合的な判断力は低下し、世界を行き詰まらせ自滅的な行動に走るのは必然的な結果とも言える。
かつて評論家の大宅宗一氏は「テレビによる1億総白痴化」を予告するかのように言った事がある。
子供の授業で再三中断させられたら、その影響は勉強どころではない。
心理学・医学・情報科学…でも、専門的に研究されているなら評価を聞きたいし、所轄の文科省や公共の電波を管理する行政にはその対策を求めたいが…。 ただ支配の構造から言って、何所も指一つ触れられないのが実態なんだろう。
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