危うい情報社会②

全ての生命体は 本来自らの生命を維持する装置として感覚器官やそれに代わるものを持っている。

「危うい情報社会①」で現代社会の人間の現状認識は報道機関が伝える情報に依存していることを記した。

それは同時に、生命の維持装置の働きが弱り機能しなくなりつつあることを意味している。

報道機関は商業ベースで、産業や経済を後押しする道具としての役割を持つから企業中心の報道になるのも仕方ない。私企業の是非の基準はは自社の企業利益であり、必ずしも道理や人間の安全や生命を守ることではない。

メディア情報を離れて自然や社会の異常な状態や変化は身近なところでもほとんど話題にもならず、公も間に合わせの感。温暖化・少子化・自殺・不登校等も対策らしいものが講じられても決して原因究明には向かわず、後手後手の言い訳めいた対応になるのは企業中心の情報処理としては仕方ないのかもしれない。

 単純化して言うと、企業にとって隠しきれないような例外はあるものの、基本的には企業にとって都合の悪い事は報道されず、結果私たちは企業中心の現状認識や社会認識を余儀なくされて生きている。

    情報と実際の乖離の大きさや、自分の社会認識の厳然とした背景をこの齢になるまで気が付かなかった。  不覚なり!

 

 

 

 

 

 

 

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

危うい情報社会①

研究者によると日本のスズメは半分に減ったったらしい。

見たことのないスカイツリーは殆どの日本人は知っていても、身近なところで見られ子供でも知っているカエルやトンボやチョウ、メダカが

激減していることに心を留める人はほとんどいない。

身近に起きている存在や生命にかかわる重大な出来事や変化も情動機関が情報として報道しないと、それを意識し対応して行動するのは難しく、逆にメディアで情報を流すと、見たことがなく、真偽が定かでなくても存在しているかのように強く印象に残り人の行動を躍起する。

メディアの情報無しには社会生活は困難だが、情報社会における現代政治はメディアが主権者かと間違えるような「メディア政治」で世論を操作し誘導する危うい1面を併せ持ちながら現代の社会は存在している。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

 心の準備 

メディアは賭博のようなアベノミクスをこぞって称賛し、「今が買い時!」と(笛や太鼓)の様相をていしている。思惑が外れても泳ぎ上手は、節操なく豹変するから心の準備だけはしておこう。要領の良い人間か悪い人間かの判断の付きかねてる自分が(無節操な人たちが臆面なく道徳を説く世の中)に目を回さないように…

 

 

 

 

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

自覚しにくい枠

情報の共有は個人と個人の間であってもむずかしいが、組織間にあっては困難さはさらに増すに違いない。

権力的な組織関係は上部組織は下部組織の情報を把握していることを前提にしているが、実際は前提にするほど簡単に情報を共有出来るものではない。

全体的な現状を返り見ず、提灯行列をしているような状況は、個人的責任は避けられないが、それとは別に全体的な仕組みやでき様の検証は必要。特に、仕組みや運用は保守的な意味も手伝い(従来通り)の言葉で                                                        慣例的になっている場合が多く当事者は自覚し難い。

「人間は社会的存在」この言葉も、社会に存在する個人が社会を自覚し難いからこそ現在に至るまで哲学的な意味を持ってきた。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

浮き足たつ

考えられる現状や実態と政府やマスコミが伝える情報との隔たりを超えた【違い】に困惑している。

マスコミの大量情報で世論はしっかり作られ、周囲の空気はそれになびき攪拌される。

世界にあっては孤立化する中で、大本営発表で国中が 連日 提灯行列をやっているようだ。

 

 

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

大本営は蘇った

 

情報を共有しない(出来ない)ことが、個人的な対人関係から世界の政治・経済・平和に亘る問題の本質かも知れない。

なのにマスコミは「大本営発表」を完全に蘇らせた。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

落ち着いて先を見る

日本も政府機関に安全保障の政府機関を設けるらしい。

 安全保障に対する世界的な潮流はアメリカもそうであるように、(総合)安全保障の立場に立っているのだが、どうも日本のは、武力による安全保障と言う伝統的な現在は狭義の意味での対応を考えているようだ。 視野の狭さからか、ここでも即時即物的な対応が目につく。

 

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

曲解なら良いのだが

総理の訪米は、マスコミも挙げて「良かった 良かった」で終わる、と予想していた通りで内閣支持率も予定通りの好結果?を生んだ。

しかし、実際には公式訪問の儀礼的な問題だけでなくオバマ氏の重要な(一言)をマスコミは恣意的かどうかは分からないが見落としていないか?

会見後の記者会見で【アベノミクス】について問われたオバマ氏は「日本の国民には高く評価されているようだ。」と笑顔?で述べた。

しかし、あの言葉の意図は 安倍氏や日本への賞賛のことばか、大統領が国内向けに言った言葉だったかによって

アメリカのアベノミクスにたいする評価は全く逆になる。

民族や言葉の違いはあっても、他人をほめる時(あなたにとって…)の言葉を前置きするだろうか?

これは読み取りの問題だが、何時までも12歳ではないのに試された気がしないでもない。

金融緩和のもたらすものへの嫌味ととるべきではないか?

 

 

 

 

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

実質的なニュース性

やがて人類は地球自然に依拠し、一元的な統治機構を獲得するのだろうし、今現在もそこに至る歴史的な道のりの一里塚であることには違いないのだが、

先はなかなか見えにくい。

世界のリーダーたちが少しでもそれを意識するなら首脳会談も楽しみなのだが、(石原流に言えば)難破船の船長同士の私欲をベースにした会談になりそう。

会談は例によって双方は(やったやった)と成果やエールの交換をマスコミも一緒になって大声でアピールするとは思うが、結果は一年も立たずに覆い隠せなくなるのも(例によって)避けがたいだろう。

大局的な方向感覚や理念を持たない者同士では致し方ない。

僅かな変化ではあるが(Iターン現象)や今月末から東京で始まる(全国若手農家交流イベントの「アグリステーションフェスティバル」)の方が歴史的にはよっぽど実質的なニュース性があるだろう。

 

 i

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

メディアは、どうする気?

日本がドルなど外貨建てで(貿易)を行う割合は、輸出の6割りに対して輸入8割り。円安は輸入により影響しやすい図式だ。円安への誘導は、貿易赤字をさらに長期化させる懸念もはらんでいる。(2月20日夕刊 東京新聞 2面トップ貿易赤字 単月過去最大 1兆6s94億円 1月燃料輸入輸出を相殺の見出し サブ見出し  円安はもろ刃の剣)

今頃何を言ってるのか。東京新聞含め私の目にした日本の全メディアが円安に誘導を政府と一緒になって繰り返し支持・応援してきたではないか。 

これは状況の変化によるものではない。

   

 

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« 前ページ