遅れる原因の一つ

     人・物・お金が国境を越えて動いているのだらグローバリゼーション《地球化》は、世界の共通語かもしれない。
   政治家は当然支持基盤を中心に政策を考える立場にいるだろうから、立場上国益を考えること自体難しいかもしれない。
  まして グローバルに考えるのはなお距離がある。 
  政局が忙しければ忙しいほど、内向きになりグローバリゼーションから遅れる。 
  (第2の開国)も  そんな内向きから生まれた都合で語られる。  
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

TPP

   TPP(環太平洋パートナーシップ協定)加盟をめぐり、利害の異なる業界や政界が 対立している。
 一般論として、国際間の壁を低くする自由貿易の拡大に異を挟む人はいないが、実際は 国際競争力上、輸出産業は積極的であり競争力の弱い農産業は否定的である。
 政府はGDPの大半を占める輸出産業で得たお金を農家の保障や農業振興に回せば良いと加盟に積極的で、 メディアの論調は11月半ばまでに加盟への結論を出すようせっついてるが、これは競争力の問題だろうか?
  問題の本質は論議されてる対立する競争力ではなく、現在の産業構造におけるGDP(国内総生産)をどう見るかにかかってはいないか。
  端的に「稼の良い産業で稼いだお金で食糧を買ったほうが得だ。」の妥当性である。
   全世界がこの論理を用い発展したら、人間は何を食べて生きるのか。
  それでなくても人間の経済活動が地球を壊していると警告されている中にあって、自分たちの食べものをも失うようなことを、なぜ急ぐ?
     欲は大事だが、全体を見渡すぐらいの我慢はしないと、先々悪くなるばっかりで、楽にはならない。
     欲に駆られた視野狭窄のようだ。
   
  
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

一体で動く

 

      今朝もすずめが 「エサがほしい」とやってきたけれど

アメリカはお金を使って中間選挙で騒ぎ 
  アフリカは相変わらず疫病と貧しさと闘う
 ヨーロッパは財政立て直しで争い
 アジアは市場の移動で忙しい
 
          大人はチャカチャカ走りまわるが 子供の笑顔が減っている

          暑さが続いても秋が来る
   
        一体で動き 時節は変わる

            
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

 このままは あり得ない

    COP15の意味を考えたらメディアの取り上げ方はあまりにも小さく詳細は分からない。
  BS放送を見ていると、どの国も同じようだから、世界的なのかもしれない。
   メディアの背中を支えるものが、お金か政治的権力かの違いこそあれ、いずれにしても報道される情報は受け手である多くの人々がメディアに期待し、求めているものからは、かなり遠いような気がする。 
      アメリカの中間選挙の様子が伝えられるが、これもメディアのさじ加減一つで動いているのだろう。

    メディアとそれを支えるものとの関係がつまびらかになり改善されることが、求められているはだが簡単には動かない。
    しかし、最終的にはメディアも支えるものも地球的な被害をこうむるわけだからこのままではあり得ない。
 
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

 情報の中に閉ざされている自分

 1年に4万種からの生物が絶滅し地上から姿を消していると言う。
 生物の多様性を守る国際会議COP10が名古屋市で開かれ間もなく終わらんとしている。
  人類の存否に関わる地球的な課題に 世界のリーダー的存在のアメリカはどうして参加しないか?
  オリンピック招致に各国のトップリーダーは競ってコペンハーゲンに集まったのに、この会議には主催国の首相ですら参加しない。
  主催国も含めどの国がどんな主張をし、どこで折り合いがつけられないでいるかも分からない。
  人類が地球的規模で 遭遇している課題に各国の政府やメディアがこうも関心が低いのは何故か?
   異常気象や抗体ウイルスによるパンでミックもどこかへ遠ざかった感すらする。
   安全保障上も武力衝突は人意で解決できるが、上記の課題は人意を越え、容易くは手に負えない事は、分かっている筈。
   メディアがCOP10の情報をあまり取り上げず、国会では誰一人質問すらしない」中では、そこには問題が無いものと思いこみ、多くの場合、不足や違和感を感じずやり通してしまう。マスコミ情報の中でしか思考していない自分を自覚し、怖いものを感じた。
(社会が細分化・専門化したからなのか) 地球上の出来事を地球を視野に置かないで思考し情報を繰り出す人たちがほとんどであることを念頭に置かないと、いつの間にか断片的な情報の中に閉じ込められてしまい、それが普通だと勘違いしてしまう。
 
 
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

大局観の無いメディア政治

 午後の国会中継で、予算委員会の集中審議と称して
  某美人議員が国会内でモデルのような写真撮影をしたことを1時間以上も追及しもめていた。
  
 ( 政治家とお金)も未だやっている。

   
  いつまでもエンドレスに大声で相手を罵り合う、集団的な井戸端会議のようだった。
 
   日本の国は他に問題は無いのか?  大局観の無いメディア政治。

    地上を盤にした囲碁は初心者のようだ。 

    
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

 我侭

 周りの草木は季節に合わせて色づいているのに、人間は仕事も子育ても思いを優先し次第に自然から離れて困難に向かっているように見える。
( 親孝行したい時には親はなし)と言うが」、親を離れて親の有り難味が分かるのは確か。
 
  人間は我侭な大自然の子供なのかもしれない。 
  
 
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

筋違い

 古来、「人間は社会的動物」と言われてきた。
  社会、なかんずく経済社会が変調を来たしてきたら、人間も変調を来たす理屈になる。
 
 社会の諸問題の原因は先ず背景である経済社会に求めるべきだろうが、経済の仕組みを変えるのが難しいと見ると、原因を遡らず、周囲に原因を求め、時には原因を求めず問題の処理に終始する。
 そんな傾向が地球上を覆っていないだろうか。
  全体的に子供の教育上の問題ですら同様に扱われているようだ。
     昨日の米国の心理学者の話も、《別次元》と前置きして遡ろうとはしなかった。
 
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

錯覚

 人・物・お金は 国境を越えて産地と市場を求めて移動する。
 50年前は、地方から都市へ、今は、中国やインドへと移動する。
 焼き畑農業のように次々移動し、残るは焼け跡。
 地方は荒廃し、都市は空洞化し、ゴーストタウンも散見。
 中国の利上げで世界は曇り、通貨安競争を否定しながらわれ先へと走る。 
 錯覚から生まれた余裕なのか錯覚そのものなのか‥
 世界に錯覚がなければ、面白くも可笑しくも無い。ドラマもお笑いも、もともとそこにいる誰だって錯覚の産物なんだ。 
 
  
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

人は何を求めてる?

 
   見かけのお金を追い求めるのが、世界的な世論なのだろうか?と勘違いしそうになる。
      熾烈な通貨安競争。  目下はドルがリードしているようだが、簡単な話   通貨の値打ちを下げる競争のことだ。 
  お金を貯めて欲しい物を沢山買うために競争して働いていながら、一方で通過の値を下げる競争もする。
    圧倒的な(世論)で 金融緩和や為替介入をする。
   だから、勘違いしてしまうが、こんな馬鹿げた事をしないですむような仕組みにすれば良いのに。
   

   
      
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« 前ページ