復興提言

6月25日、復興構想会議が提言をまとめ、管首相に提言した。

朝日新聞は社説で(さらなる深化が必要)との注文を付けながらも、編集委員の小此木 潔氏は(日本の創造的再生へ)と題して国の内外の期待に応える構想であると期待し、早急な政治的実現を促す1文を1面トップの提言の下に特別寄稿してあった。

 確認できた範囲ではあるが、概ねマスメディアは全面的に賛同し、加えてそのための財源確保や国会対策を促すよう求めていた。

 私は、この構想は反省の立場に立つことなく、従来の発想の延長であり、復興は困難だと考えている。

 今日に至った反省の上に、復興構想は描かれるべきで、これはこれまで財界が国に要求してきたものをベースにして構成しているだけ。

 疑問点を一つ。

 復興財源を所得税や法人税の臨時増税を唱えているが、経済や財政そして国民の生活実態ははそれで賄えるほどの状況にあるだろうか?

   経済格差が大きく開いた中での国難である。、個人・法人の持っている財産にそれなりのに課税するのは自然で、社会連帯の上からも仕方ないのではないか。(国有財産も売りさばくような事をしながら、何故か私有財産には手をつけない。)

 この提言では、さらに格差を拡大しかねなく、社会の崩壊に拍車をかけるに違いない。

 要するにこの構想はこれまでのやり方の強化であって、方向を変ええようとする意思が感じられない。

 委員の中には現場の知事や哲学者や芸術家もいると言うのに…従来の呪縛やl行動様式から抜けられないでいる。

 

  

  

 

 

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財界に変化?

特に勉強したわけではないが、子供の頃の記憶で大ざっぱに考えてみた。

戦前、権力を握っていたのは(軍国主義)と言われていたようだいし、時の総理も元帥だから軍部だったのだろう。敗戦後GHQが体制改革でやったのが(財閥解体)と(農地解放)であったことを見れば権力と財閥や地主階級の特殊な関係もあったに違いないが勉強もしていないし良くは分からない。

 戦後、憲法をはじめ教育から生活に至るまで価値観と共に行動様式が大きく変わったのはアメリカの影響によるだろう。

 1950年代から、今の新興国のように人件費の安いことを良い事に世界経済の中で日本経済は著しく成長した。

 次第に財界が政治権力をも左右するほどの力をもってマスメディアを尖峰にして(国民)や(民主主義)をツールとして用い、世界のグローバル化と相まって今日に至っている…大ざっぱだが、私の眼にはそのように映っている。

 

意向を酌んだマスメディアは、年から年中政治批判を繰り返してきたが、財界をテレビや新聞で批判したのを見たことがないだけに、

 今朝の朝日新聞の社説(楽天脱退 財界は「進取の精神」を)と物を言ったのは非常に意外に感じた。

 結局は、「財界が進取の精神を忘れて新陳代謝を阻害しているなら、三木谷氏でなくとも(経団連)に魅力は感じまい。」と仮定の話として囃子を入れてる程度のものでしか無かったが、それでも意外に感じた。

 本来なら、ここ何十年と財界の意向で世論を動かし政治をし、上手くいかないのは政治のせいとしてきた経過からすると、情報機関によって財界の提言とそれに沿って自ら果たしてきた役割を事実に基づいた本格的な検証が求められるはずである。

 実際には権力の2重構造にあっては、それは期待すべくもないが、(小さな変化)だからこそ、見落とせない。

  

 

 

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地球派対人間派

地球上に人間がいる。

世界の政党を地球派か人間派に2分すると、私の知っている限り全てが人間派のようだ。

人間派と人間派とが対峙し争っている。

こうやって分類するのも人間陣営の発想であって、地球派の主は地球だから地球と人間が対峙している。

地球派の主は国会に出られないから、地球派の代弁者が出てこない限り、人間派の組み合わせを変えても基本的な政治は変わらない。
  世界のどこに 政界再編で成功した国があっただろうか?日本は戦前にも似た大連立路線を進みそうだが、行き詰まりから抜け出す論理性を見出すのは難しい。

 これまでだって人間派が競い切磋琢磨して政治をしてきた挙句が今日のなであって、仲良くやっても基本的関係が変わらない限り政治は良くならない。

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【超】の世界

 何時のころからか、超(スーパー)の言葉が使われ、若い人が、やたらと使うとちょっと耳障りなこともあるが、自分も日記にアメリカは(超・超大国)だったと書いたり、政治権力をもたやすく動かす昔からある大きな権力構造を(超権力)と書いたりしてきた。

 大地震も想定外だから頭に(超)をつけても良いかもしれないが、(想定外)を基準にすると現実には超を付けた方が良いものが意外に多いから、我々は「チョウ(超)よ花よ)の世界を舞っている事になる。

 

 

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  餓鬼の命乞い

 地球にとって大地震は科学的因果の結果だが、人間社会の科学者は(想定外)だと驚いていられる。

 宿狩りが(想定外)と言って驚いても、宿主は如何ともし難い。

 地球の自然と人間は宿狩りと宿主のような1次的な関係があるにもかかわらず、我々人間は、個人と個人・組織と組織・国と国 のような人間と人間の関係が1次的な関係だと錯覚しやすいかもしれない。

 そもそも科学や芸術は(自然に従う)の意味があったと言うし、世界のどの宗教も人間が超人間的存在ある神や自然に従うようにと教えてきた。

  だから、我々はキリスト教で言えば世界が原罪を負った迷える異邦人になり、親鸞で言えば世界が宿業から抜けずに苦しむ餓鬼のようなものかもしれない。

  別に成人君主になることもないし俗人で十分なのだが、放射能を浴びて病気になったり、食い物がなくなったりして野垂れ死にするのだけは、虫けらだって、増して餓鬼の道中にある自分だって泣いて助けを求めるに違いない。

 

 

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学習会参加への心の準備

今日はこの日野社教センターで月1の(森のようちえん)の学習会がある。

 準備のためいくつかメモしておきたい。

 ①この学習会の役割は、プロジェクト(森のようちえん)全体をカバーした基本的な方向付けに資するための話し合い。(視界と緊急課題の確認)

 

 ②内容・経営(運営・財政)全体にまたがるが、特に健全な財政運営に急いで着手するための端緒を探る。

 ③内容的にはメルクマークとなる探索行動や対象の物語により耳を傾け寄り添えるようになる為、想像力を鍛えている。

 ④学習会そのものが励みと希望を、参加者全員が十分吐き出し言い尽くせてる場になるように。

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どこから動くか分からない

 人間が自然に依拠して存在している厳然たる事実を認識し自覚しているなら、今日のように社会が変調をきたしている時、まずもって自然に立ち返ろうとするのではないだろうか? そうでなければ、認識や自覚が乏しいのかもしれない。

 日本はもとより世界全体は人間活動によって環境を壊し、経済は行き詰まり、国の内外を問わず争いを繰り返し、病的な現象は子供に至るまで拡がり深まるかに見える。

 自然に立ち返ろうとする大きな動きはみられない中では、本来的な動きなら、どんな地点のどんな小さな動きであっても大事にしたものだ。

 何故なら、本来的な変化は人為的で形式的なシステムによらず、あたかも自然現象であるかのようにどこから動くか分からない。

  新しい小さな芽の発芽を見落とすまい。

 

 

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理か?

ああやって朝から晩まで畑で真っ黒になって仕事をしている人たちより、お金儲けに走りながらこぎれいにして大きな顔しているのが、世の習いか?理か?

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自ら、こける

 後20年もすれば地上の人口は90億に達すると言う。今ですら、世界は食糧の高騰を招いているのに、食糧の増産の声が陰に隠れている。

 まして、経済大国を自負する日本は自給率40パーセントそこそこにありながら、貿易の自由化の名で政策の表に出てこない。

 一体、経済活動は何のためにあるのか?の基本的な問いかけが今必要ではないか?

( 国難 )と言いながら、自らの食糧に向き合わず、相変わらずカネ勘定と政局に身をゆだねる権力構造は、自らこけ崩れるに以外にない。

 

 

 

 

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まだ、田舎には残っている

 

日本にはまだ、自然も暮らしも人情も残っていると思った。

 (東京砂漠)が少しも大げさでなく聞こえる都市にあって、田舎は都会の余波を受けながらもしっかり残っているようだった。

  恐らくズボッと底が抜け落ちるのは都会ではないだろうか?

  長野の山奥から住んでいる東京まで下の道を走って帰ってきた時の、根拠のはっきりしない漠然とした印象だった。

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