慢性的な脳波の乱れ

 

         長年の念願であった、「僅かな刺激であっても 脳に影響し脳波を変え乱す」仮説を検証する実験を定年後遂げ確かめることが出来た。その喜びと裏腹に気になったのは、

       テレビ番組を遮断してコマーシャルが次々挿入されるが、脳波は可なりひどく乱れ続けているだろうことである。

          意識の緊張と分散が連続しているから集中力を無くす練習をしているに等しい。

        テレビは有効な情報媒体ではあるが、今日のように用いられると人体への害も無視できない筈。その辺の科学的な検証は関係分野ではされているはずだが、コマーシャルで成り立っているからかマスコミマスコミはそれに関する情報を流さい。

 大人はまだしも成長盛りの子供への弊害は明らかにすべきでないか。

     

  

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一体、何物?

 

   地上の自然界で 子孫を絶やさんとするかのように行動する生物が 人間以外にいるだろうか?

    ちょっとしたら人間は自然を手離し すでに生物ではないのかもしれない。そうだとしたら、一体人間は 何者だろう?

     

       

    

 

  

 

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避けがたいマインドコントロール

 

      

   人は自分が自然の一部を成し自然に依拠して生きているのに、自然から離れ四角い箱を覗き 情報とお金と数字を追いかける。

   箱にのめり込む人々の視野はだんだん狭くなり、周りの変化に気付かず動きだす。しかし、外からは個があたかも自然に動いているかのように見えるだけでなく、個人は 己の意志で動いているよう自覚する。

  マインドコントロールにも似た感じもすらするが、これが我々人間の立場を越えた一般的な認識と動きかも知れない。

    大人は仕方ないかもしれないが翻弄される子どもはたまったものではない。

  来日中のセバン鈴木が環境問題で子供の時に世界の大人の一人一人に向かって言った「『愛してる』と言うなら…』を思い出す。

   子供にとっては 大人が「だまされた」では済まないだろう。 

   

      

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「鳴くに鳴けないかごの鳥」

 

     マスコミは 国際関係のウクライナの問題は1面的に、政府の約束事である春闘による全国的な賃上げの結果は出ているはずなのに、ほうかむりして知らん顔。

  (だから)(にもかかわらず)なのか、何がどうおかしいのか気づくのは難しい。  私たちのほとんどの社会的認識や社会的行動は伝えられる情報に依拠し、間違った情報は間違った認識と行動を引き起こし、情報が無ければそこに認識も行動も生じない。

 これは 国の体制の如何を問わず世界の現状だろう。

  何れも民衆は『なくに泣けないかごの鳥』であることに変わりないが それは現代社会の宿命なのだろうか?

   だからと言って、市民権の無い子どもたちを  (鳴けないかごの虫)にして良い筈はないが、論理的にはそうなるし、現実もまたそうしているようでもある。

 

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   世界史的評価は別

 

      クリミアをめぐる 米・ロ対立は世界の国々の関係をダイナミックに変えるきっかけになったのではないだろうか?

   これまで、超大国アメリカの圧倒的力によって 「世界の警察官」を自他共に認め許して来た世界は  力関係の変化を目にして

    国際関係は 変わる。

   国際関係を世界的な政治文化として見ると、文化の担い手が増えるのだから良い事かもしれない。世界史的評価は個別の国益とは一致しないかもしれない。

   

 

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  世界は広すぎるか?

 

        より 弱小の国を武力で支配する国、より強い国がその国を経済制裁する。

    その争いを世界は当然のようにやり過ごす。

    人間が作る国同士は争うように出来ているのか。 人間は政治を忘れたか?

    世界は広くて見渡せないのだろうか。

 

 

 


 

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世界は年貢の納め時

 

   あまり好きではない哲学者の 梅原 猛氏 のある文章の1文に「赤児のような心を持っていると真実が見える。」があった。

  これだけは全く同感である。

  真実は知識や経験によって見えるかのように思われることが多いが、実際はその逆で過去の知識や経験の先入観が 目の前の物をありのまま見えないようにすることの方が多いような気がする。

  見かけの良い 砂上の楼閣のような人格を育ててきたから、社会が行き詰まるのは当然で年貢の納め時とも言える。 

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  外の自然だけを壊すならまだ良いが

 

  生命体としての 地球や人間から自然を奪ったり壊したら 生き物としての地球や人間は 良い状態とは言えない。

   人間活動が異常気象をもたらしていると言われるが、そんなに人間が自然に無感覚なら 人間は自ら持つ自然をも人間活動によって平気で壊す理屈になる。

 実際に、地球も人間もあまり良い状態ではないようだ。



 

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雑音

 

 植物は何も教えなくても 条件さえ整っていればちゃんと育つ。 条件がないと育たない。

 動物は静かにしておくと必ず自分から動き出し、騒がしすぎると 動きを止る。

  もともと動物や植物は そのように出来ており努力でそれを打ち破ることは出来ない。

  人類は行きづまり出口を見いだせないでいるのは 雑音が多すぎるからではないだろうか。  

 雑音が大きすぎて 自然の音と声が聞えないでいるかもしれない。 

  

 

   

 

   

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思考停止の装置

 

        (何事も両面は あるものの)

  1 権力と権威

 2、マスコミ情報

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