世の中の見える世界から見えない世界まで思いっきり。特に、子供、教育、不登校、自閉症等 情緒に関心あり
天まで届け
破壊も 発展に
「破壊と創造は 一体」 この理のメッセージは芸術家 岡本太郎氏の言い草だった。
これは 一見破壊的に見える人間活動が その底流では 新しい創造に資していることを意味している。
時代の転換期にあって 災害のような社会現象や混乱は 当たり前なのかもしれない。
弱肉強食の競争社会がいつまでも持続するはずは無く、底流では 協力・共生社会へ向けて 進んでいることだろう。
異常気象・原発事故・軍拡・エボラ出血熱・シリアへの空爆・ 世界的不況下や アベノミクスの間違い も 次の時代への試行錯誤であって
「失敗は成功の基」の言葉を借りれば 世界や日本は 健気に「成功の基 」を作っていることになる 。
暫くは 現象的に失敗に見えても、根底的には 新しい世界的な秩序を模索する動きは続く。
( 時間は かかるだろうが)やがて、「世界共和国」や「世界連邦」のように、世界は 多様な文化と1元的な統治に発展するだろうから、それに至る小さな変化の積み重ねを探し求めたい。
類を見ない生き物
子どもは 授かりもの
天からの 授かりもの
天意に背いて こんなに子どもを傷つけ 夢と将来を奪う 私たちは バチ当たり
それにしても 私たちは 他に類を見ない珍しい生き物だ
子どもは 受難
世界が 子供たちを ここまで粗末にし 傷つけているのは、子どもたちにとっては 歴史的な受難だろう。中でも「先進国」日本は 道徳教育や40人学級へ向けて動いているようだが、 子供の現状を無視したこの政策には驚くばかり。
政治家や役人や専門家やマスコミにだけに責任を押しつけられる問題ではない。
子供にとっては、立場による責任の軽重は無く、立場に関係なく各人は自らが問われ、大人は社会的責任だけでなく 自らの存在そのものが問われている。
急がれる原理原則への転換
「自然は 大事なもの」 「自然は なくてはならないもの」 この2つの命題は次元を超えた意味合いがある。
人間中心の現代社会では 自然と人間の関係を一般的に前者の命題の次元で認識されているようだが、自然と人間の基本的な関係は 人間の認識の如何に関わらず事実として後者の関係にある。
言い換えれば 人間は自然の一部であって、自然なくして人間は 存在しえない。
現代社会の行き詰まりの根本的な原因は 原理原則の取り違いにあって、そこを転換せず 社会の持続・発展は 在りえないどころか目先の問題解決をも困難にする。現代社会の現状が そのことを物語っている。
自然と人間の基本的関係への認識の転換とその社会化が 急がれる。
。
見え難い(新しい小さな芽)
地球の解体はドンドン進むのに、新しい時代の備えは 見えにくいものだ。
競争・弱肉強食型から協力・共生型の社会を担える人間は 現代社会の(不適応者)のような格好をして育っているような気がする。
今の時代を洗脳されたかのように刷り込まれ(現代人)には やがてくる時代の新しい小さな芽は 見え難いものだが、
後になって見ると、全ての事が 今に繋がっているのがハッキリ分かる。
起点
世の中の事は Ⅰ番大事な自然の代わりに子供たちの行く末を代入し、それを起点に物事を考えたら分かり易いかも
しれない。
(それでも、起点にたどりつくまでが大変…)
大丈夫!
トンボやカエルやミツバチの姿もあまり見かけなくなったこの秋
ヒトビトは やたら陽気になったり、バタバタ オタオタしているようだが、、
自分たちで作ったメディアのガス(培養液のような情報)や自分が作った情報で、回りが見えなくなっただけじゃないか?
おだやかな風景
山も空も秋らしくなったが、今日は朝から冷たい雨が降り続いている。
夕刊は、日本の貿易の赤字が ここ20年連続し、今年のその額は過去最大だと伝えていた。
世界も日本も ハデハデで格好良い風景でなくて良いから、自然に合った、今日の天気にも溶け込むような風景の国々が現れると良いなあと、 民話や童話の挿絵のような雰囲気の絵を思い浮かべていた。
理想郷は普通のおだやかな風景が良い。
美しい星の不思議な話
美しい星でヒトビトの美しい立ち居振る舞いによってもたらされた
エボラ出血熱・イスラム国の出現・異次元の経済対策による世界経済の縮小
これでもヒトビトは 小さな政府(ガバナンス)が良いと考えている。
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