世の中の見える世界から見えない世界まで思いっきり。特に、子供、教育、不登校、自閉症等 情緒に関心あり
天まで届け
世界は未だに無政府状態
人類が運命共同体の体を成しているこの世界は 未だに統治機関を持てない無政府状態のままである。
自然を無視した世界は 劣化の一途を辿り対策が取れずにいるように見えるが、よくみると確実に自然の理に沿って変化している。元々、自然は人為を超えていた。そろそろ人類は気づく時が来ているような気がする。
自然と人の関係
通常、「人」が「自然」に適応し 逆に「自然」が「人」に適応するような関係にはなっていないが、
現代社会は その矛盾が顕在化しているにも関わらず、その関係は錯覚したまま営まれてはいないだろうか。
その矛盾が露呈して目にして久しいが 人々の反応は耳にしない。
人類は己を見失ったか?
この世界の度を越した乱れ方は 人類が己を見失ったか。
世界は未だにその事に気が付いていないかのようにすら見える。世界の壊れ方は半端ではないが社会的な認識どこまで行ったら気がつくんだろう?
戦争経済
「戦争」が「国家による経済活動の一つ」と考えられないだろうか?
世界が経済成長に行き詰っている今日、無駄遣いに見えるこの活動が止まないのをみると そんな因果関係が頭に浮かんだ。これは錯覚のせいだとは思うが、納得できる戦争の原因や背景が未だに理解出来ない。
やっぱり
マスメディアの違和感にこのところ新聞購読を止めていたが、暫くぶりに通院している待合室にあった新聞を手にした。朝・夕刊のセットを手にして全紙面を眺めてみたが(案の定)情報は日本を中心に(世界と言っても)北半球の主要国に限られているかのようだった。これでは読者は 世界がどうなっているのか 世界の中で日本の実情や私たちの暮らしの実態の意味が分からないのは自明だろう。世界がグローバルな規模で影響し合っている今日 読者はこの新聞報道では 自らの立っている位置や状況が分かるはずがない。
このような情報空間の中で「民主主義」や「選挙」は どれほどの意味があるのかと 改めて疑問に思った。追記 テレビ情報には さらに強い偏りや分散した情報の実態を感じている。
源泉
(怒り)は新たな創造の源にもなるが 物を覆い見えにくくする原因にもなる。
3年前、脳梗塞で緊急入院を余儀なくされた時 私にとって長年 世界を覆って見えなかったものが取り除かれたかのように 眼前にはっきり映り出され 今なお見え続けている事がある。
情報の小型化とその弊害
世界の動きが自然界とも連動し大型化しているのにそれを伝えるニュースは細分化され相対的に小型化の傾向にある。結果ニュースは出来事を系統性を欠いたものを断片的に伝えるものとなり,全体的な状況認識を難しくし対応を困難にし、今日の人類的かつ世界的な行き詰まりの原因ともなっている。
先行きを見失った世界
宇宙から見ると 人類が 地球を共にする運命共同体であることは 明らかである。
この事実を人類が自覚して行動することは 至難なことかもしれないが、今日 世界が地球と共に痛み、先行きを危惧されながらも 好転する見通しも立たず暗中模索しはじめて 何年たつのやら?
情報社会における情報の信頼喪失
世界の動きは 人類と自然が一体となって広がっているのに、伝えられる情報は断片的・細分化へと逆行している。結果として 情報は妥当性・信頼性を欠いた情報が氾濫がし、テレビや新聞の社会的役割を失う一因にもなっている。情報機関は自殺行為に等しい。
« 前ページ |