地球の有限と無限の分別

宇宙に浮かぶこの地球は有限と無限なものから成り立っている。
 地球の質量は有限だろうし太陽から受ける光は一応、無限としておく事はできる。物事の変化も無限だろうし生命は有限。
 無限な物の活用と有限なものの使い方がこんがらかっていないか?
 幸せとお金を取り違えるような時代だから、有限と無限の扱いが混乱しても不思議ではないが‥。
 人間が地球上のあちこちで24時間、地下を掘り返し資源を取り出し燃やして栄えようとしているのは地上の人間以外から見ると、無分別に見えないか?
栄えても、それこそ有限だ。こん事は、哲学も科学も専門知識も必要ない、10歳の子どもでも100パーセント分る話し。
昔のように悠長な時代ならそれでも良いが、曖昧にできない時代に来ており、矛盾が露呈してきている。
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連休

もう連休は関係ないけれど、久しぶりに高尾山と陣馬へ通ずる夕焼け小焼けで有名な恩方の方へ行って来た。
お天気も良く人でも多かったが森林の下を歩くのはいいもんだ。
 子供のころ広々とした空の下で田舎暮らしをしていたが、学校や仕事で本州に渡り、都会生活をしてきた。
 だいぶ慣れて、こっちで死んでもいいかなと思えるようになったが、今でも北海道へ戻ってあの空気を吸ったとき、高い高い山へ登って目に入るものがほとんど自然になった時、自分に戻れたような気がする。
 原風景だと言うかもしれないが、それだけでもないような気がする。
 どこの国でも何かの時は自然のものをそばに置いたり飾ったしていないだろうか?
 シャレた教会やホテルでの結婚式も花束はつき物だ。
 これだけ自然を傍において生きているのに、肝心の産業や経済社会は自然を食い物にしている。
 結局は両方やっているわけだけど、どっちの習慣が強いかで動き方が変わるのだろう。
 テレビの箱から見えている世界は自然から段々遠のいているように見える。
 子どもが(人間は生き物や動物ではない)と言わなければ良いが。
  
 
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先ずやってほしいいこと

日本の産業構造の転換で先ずやって欲しい事は、
1、減反政策の中止。
2、1同様、水産や林業もその仕事で生活出るよう最低保障。
 
要するに第1次産業は市場原理に直接さらさない。
 
   
 経済政策の基盤をまずはっきりさせる。
 少なくても休耕地にして土地を荒らして補助金を出すよりは健全なはず。
 世界や地球を視野に入れないで場当たり的な政策を繰り出すより形が見える。
どうせ経済が縮小するだろうから、現政権のように根拠のない夢をばら撒くより、しばらくは我慢しても、将来に希望の持てる根拠のある夢を語ってほしい。
 問題は世界や地球の現状を【ありのまま】見るかどうかにかかっている。
 今は、身近な事だけでなく日本や世界や地球まで拡げてそこで人間がどうしているか【ありのまま】見る事が問われてる。
 
 
 
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予想されるドルの動き

ドル安が進んでいる。
 世界の基軸通貨として(強いアメリカ)と同時に(強いドル)を内外に標榜してきたが、
 日本が外需を頼みに円安を期待しているのと同様、アメリカも外需拡大のためドル安を好感してるだろう。
 ドル安は輸出産業を中心にした国際競争ではアメリカと日本は利害が対立する。
 超大国のアメリカもいつまでも良い顔はしていられない。矛盾した立場に立たされているが背に腹は変えられない。
 先のG20で貿易の不均衡の改善を特に日本や中国に要請したのと軌を一つにした動き。お互い本来的と言える。
 しかし、それによる日本のダメージは予想すらしにくい。
これまでの付けが回ってきたということだろうが、世界に課せられた産業構造の転換をいち早くこの日本で模索する事になるのだと、前向きに捉えるほかない。
やがて、どの国もそれが突きつけられる時が来るはず。
 日本は目先の勘定でバカをやってしまい、更生の機会を得たと考えればいいのだが、振り返ったり反省の声が聞こえない‥
 産業の転換の観点からは(今のところ)現政府はエンジンの空ふかし、再生を期す自民党や他の野党も産業のあり方を模索する気配すら感じない。
 
 
 
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地球規模の課題

国連総会やその後のG20の国際会議でオバマ大統領は、幾度か【地球規模の課題】の言葉を使った。世界全体を見て世界全体で取り組む【世界政治の課題】を言い表す言葉として評価されるかもしれない。しかし、同時に使っている(地球的】の言葉は人間中心であり、自然をベースにした言葉使いでないことは、世界政治の現在の到達点と言えなくもない。
 あえて時代の求めに対する対抗軸を言うならその辺かもしれない。
 乗り越えられないでいる。
 オバマ氏は東洋の自然観にも馴染みはあるはず、
今秋日本に来るそうだが、その辺の事を思い出し、【地球規模の課題】の認識が
 (人間中心)から(自然中心)に進化すると いい。
(人間中心)ではそれが民主主義であっても主権であっても間に合う状況ではない。

 
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内需拡大へ方向転換できるか?

G20でオバマ氏から貿易不均衡の改善を中国や日本は促された。
中国はともかく、日本は大丈夫だろうか?
 自然資源の少ない日本は貿易の自由化を内外から促され(貿易立国)の道をひた走り、いまや産業構造そのものがが外需依存にシフトされている。
 世界に誇るハイテク日本と同時に食糧依存率40パーセントを併せ持つ。
 日本は資源を外国から買いこんで付加価値をつけてより高く外国に売る事によっ
 て差額を利益にして経済を成り立たせてきた。
 今の産業構造のままで、内需拡大すれば、貧するだけではないか。
結局、暫くは狙われてる個人資産1400兆を切り崩す事になり、何年も持つはずがない。
 内需を拡大するためのにはまず、それが出来る産業構造に変えなければならない。
 長い年月をかけて外需依存の産業構造にしてきたのだから、内需拡大の産業構造に転換するにはそれなりの時間がかかる。1年や2年で出来る物ではない。
 国内的には内需拡大を口にする人はいても産業構造に触れる人はいない。
政治・経済・世論的にもほとんど準備が出来ていない。
 自明の事だが、遅ればせながらも手をつけるより他ない。
 経済学者の存在意義が問われるのは当然。
 
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動かして済む時代か?

行き詰まりにっちもさっちも行かない現代、世界は人や物やお金を動かして解決しようとしているように見える。
 本当に行き詰まった時は何をどう動かすか?ではなく、何をどうするか?だと考えている。
 移動や交代して済む状況は良い。現在はそれで済む段階かかどうかが問われてる。
 基本的な人間行動のあり方が問われていないのか?
 国連もG20も日本政府も他を動かし自ら行動を変えようとはしていない。
 言い訳がましい。
 先ず、隗から始めよ!ではないか?
 
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リーダーの今の意識空間

昨夜、国連総会でのオバマ大統領の演説を聞いた。演説の中で(地球的課題)(この宇宙の星)(子供達に残す4つの事) など分りやすく格調の高いものだった。
 世界全体を視野に納めたスケールの大きい演説だった。彼の理想が実現されるよう願ってはいる。
 アメリカの大統領を相手に評論する立場ではないが、年が年だから少しは許されるだろう。
 【地球的課題】と【子どもに残す】で部分的な言葉としては地球とその将来を見ている感じではあった。
 しかし、全体的には地球の内側から地球を論じているようで、地球のや宇宙の言葉が装飾的に聞こえた。
 地球をもっと対象化し認識しない限り、文化や産業全般についての見直し発想する事はできないのではないか?
 オバマ氏が(チェンジ・変化)と言い(転換)としなかったのは偶然ではなく
認識から生まれた言葉だと思う。

演説を聴いていてよかったのは、日本のメディアが(グローバリゼーション)の言葉をアメリカを中心とした経済的な国際関係を指して使う事が多いが、オバマ氏は文字通り地球上の全ての国を指しているようだった。
 演説の中で世界の3つの宗教の根源に触れた。根底を見出すか、地球の外に立って、全体をありのままの事実を
 はっきり見てとるか‥ なのだが‥ 
(年寄りに付き、己をわきまえず言わせて貰う。)
 
   
  
 
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所詮

所詮人間は、一個の体と心を持ち、大きな自然の中でその一部として自然と関わり活動する、そんな存在なんだなー。
 自然は無秩序ではないから、付き合い方を誤ると、支障を来たす。
 
 人間活動の総体を文化と言っても良いが、人間の持つ価値によって感じ方、考え方、行動の仕方が違ってくる。
 今の時代はそこが問題なんだ。
 はっきりしているのは多きな自然に問題があるのではなく、人間の意識や価値観に問題があるということだろう。
 人間がどう考えようと、基本的に大自然に生かされている事の事実を忘れ、己が自然を克服し変えられるような気になってしまったようにも見える。
(チェンジ)しなくてはいけない大元は、そこではないか。

 (自然が最高!)と思う人が同時に(自然をを壊してもお金が最高!)とも思う。
 この矛盾した心と行動を整理するのが社会のシステムと言えるかもしれない。
 今は、個人も社会も壊れたり混乱してる感じだ。
  元の関係に戻る他ない。
 
 
 
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何故、産業様式を問わない?

人間社会はある意味で経済・産業社会と言い換えてもいい。
 行き詰まりを日本政府は(脱官僚政治主導)を、自民党はは本来?の保守政治を、他から(何でも反対)と揶揄され、自らは是々非々野党を唱える共産党は、大企業やアメリカ中心の政治からの離脱を説く。他の政治集団も(経済・産業社会)のあり方では大して違いはない。
 (経済・産業社会)が行き詰まっている時、なぜ、誰も【産業様式】のあり方を問わないのだろう?
 所得や資本の分配や振り向け方【出】を問うばかりで、肝心の産業そのもの【入】あり方を問う所がない。
 今世界が本当に行き詰まっているのは(出)ではなく(入)なのではないか?
 話が【入】になると、ほとんど機械的に従来の景気対策や経済成長をどうするかになり、【入】のあり方、持続・発展可能な産業の在り方を問う人たちがいない。
(社会的には個のような存在で点在はしている。)
 社会認識がそこまで育っていないと言うことだろうが、本当は緊急に求められてる事だろう。
 安全安心社会やセフティネットも基本はそこに在り、新しい価値観、文化文明はそこに根ざすのではないだろうか。
 勿論、憲法論議や安全保障の問題も求められる生産様式の上に成り立つ話であり制度や仕組みの改編は勿論、国家体制の如何を問わず求められる現実・現状認識から直接導かれる中味。

専門家と言われる人たちやマスメデディアの依って立つ基盤も本来はそこにあると考えている。

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