世の中の見える世界から見えない世界まで思いっきり。特に、子供、教育、不登校、自閉症等 情緒に関心あり
天まで届け
嗅覚が働かない報道
(中2の自殺)の報道を見ていると 「これでは解決に向かうはずがない」と確信らしいものを感じた。問題の背景が全くと言っていいほどわかっていない。 経過を追えばすぐ分かることだが 教師や学校のあり方のレベルで解決する話ではない。
似たような事件が何十年も前から 増えても減ることが無かった事実と 何れにも共通した(鉱脈のようなもの)を感じないか?
東京新聞のこれに関する社説は 不勉強が目立った。
自らに問いかける
内閣不支持が上回る中で (次期総理)が話題に上がるようになってきたが、おおむね 「見当たらない」ようだ。全く同感なのだが、知りうる範囲では 適当な人や政党が居ないというより 適当な政策を掲げている人や政党が見つからない。
歴史的な転換点にあると考えているのだが、それを感じさせる人が見当たらない。
結局は 私たち一人一人は (自らに問いかける)と言うことか。そう言うものかもしれない。
確実に広がっている地球的視野
次第に南半球へも関心が高まってきたようだ。
南米やアフリカのニュースも以前より増えてきたし 何より時々南半球の天気も報道するようになったのは 多くの人が地球的視野を獲得しやすくなるから有難い。 これなら 子孫に胸張って残せる。
自分に出来ること
日本も世界も かなり混乱した動きに見えるがそれは グロ―バリゼーション (地球化)と同時進行していることを 認識しないなら 単なる混乱で終わるだろう。
日本は全体に言えることではあうが 特に教育・経済や民意とのねじれを生じている安保法制など 確認作業次第では閉塞的な ≪この道しかない道≫とは別の新しい希望の持てる道を見出せるだろう。その意味で 権力者も国民も 事の検証に 最大限の力を尽くすべき時だと思う。
上位に期待できない現在、一人一人が身近なところで身近な出来事や事柄を話題に出来るようになれば良いと思う。自分は何なら 出来るだろう?
ごっこ遊び?
自分が歳をとったせいか 政府の若者?がやってることが 経済や安全への取り組みが 子供のごっこ遊びか火遊びのように見える。
要するに 一つ一つの問題にしっかり向き合わず 現状や現実とかけ離れた観念(本人は信念かもしれない)で動いている感じ。
お友達だからか その場凌ぎの言葉を連ね 辻褄が合わなくても 夢中で気にならないようだ。
無様な大人
政府は「国際情勢の変化に日本が 集団安全保障で備える。そのために法制化」が必要だと言う。
国民はニュースを見て是非を考え 国民の代表である議員は国会で議論する。
はたして 国民には「国際情勢の変化とその備え」を判断するに足るニュースや情報が提供されているだろうか?
国会の議論はそのテーマを検証すべく議論がされているだろうか?
一方は他国の脅威を云い、一方は制度や手続きを言い、議論は かみ合わっていない。
これではテーマの検証は出来ない。
検証せず曖昧なままでも通したいのはどちらだろう?
現状は 決して反対勢力に有利ではなく、もし転換させたいならやり方を考え直す他ない。
その兆候は ほとんど見られない。感情的になっている子供の喧嘩に似ており、こういう場合 誰かが入らないと 腕力の強い方が勝つものだ。もっとも こういう噛み合わない議論や声の大きさや口数で勝ち負けが分かれるのは 身近でもいっぱいだから 自ら心しなくちゃ始らない。
生命を守る優先順位
国民の生命を守ると言うなら 異常気象による災害や 生物の多様性が減少と絶滅危惧種の増加の方が 仮想敵国からの武力攻撃より
重要ではないか。
人類は前者の止め方を経験したことがない現実であって 後者は仮想でありそれを終了する経験も多く持っている。
未経験かつ避けるすべを持たないものへの備えを優先されるはずだが…そうではないらしい。
風はやまない
確かに(千の風)から見ると この世の私は ドジな(1000分の一個の風)だろう。
残すところ大した無いが 凸凹あってドラマは この上なく面白い。
あの世は この千倍? ハラハラ ドキドキ!か…
想定できない大人
ニュースで取り上げる 子供のいじめや自殺、テロ、景気などの報道には どこか共通点がある。
どれも表面的な一部を取り上げなぞるだけで 因果関係や背景など 問題の根源に向かおうとしない。これではいずれも解決するはずがない。
場当たり的な対応には 社会の都市化による人間の空洞化を感じる。
社会は都市だけでは成り立たないことを 人間が生き物であることを忘れている。
これが現代の文化なのかもしれないが、子供には説明できない。
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