≪ムツゴロウ ラプソディ≫を終わって

昨夜、千秋楽の舞台が終わった。
 7月から5ヶ月間、オーディションから本番の最後まで追っかけた。
 何であんなに惹かれたのだろう?
 あの2時間ぐらいのミュージカルの中に地球の(今)がそして(今大事な事)が凝縮されているようだった。
 何度見ても、発見は尽きなかった。 
 山田洋二映画監督は(大げさな言い方をすれば、それはぼくたちの国の希望につながるような気がするからです)と言葉を寄せていたが
 少しも大げさでなく、世界にこれだけ(今)と(希望)のエキスを具体的にまとめたものを他に見たことがない。
 そのエキスは勿論憲法の前提であり、戦争や平和そしていかなる立場をも越えた
  欠かすことの出来ない土台で、物を見考える時のしっかりした視座を意味していると思った。
残念だがエキスは見るたび発展するし、全部を汲み取る事は出来なかった。
 しかし、大きな希望と自信をもらった。感謝感謝である。
  この後、監督を始め関わった人や観客が一人ひとりはどうするか、自分も含め楽しみである。
  また見たい!
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日記を書きながら

日記を書きながら
 (でっかいことをエッらそうに大げさに書いて) と思う。
 自分でもそう思うのだから他人が読んだら辟易するかもしれない。
 でもこんな気持ちもある。
遠くの小さな小さな星の出来事だから、何ぼ大きく書いてもたかが知れてる‥書いて自分を確かめ、磨き続けないともっとひどい事になる‥ 
 長い事教え子に≪あった事をありのまま書くように!≫と日記を書くよう進めてきたのだから、わが身で検証する意味もある‥
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国家戦略会議

国家戦略会議が動いていないように報じられているが、それでいい
 国家戦略会議[含む、中長期経済対策]がバタバタやったのでは全てこじれるだけ
 真面目に考えたら人選そのものが難しいいだろうと思う。
 小泉政権の財政諮問会議や審議会的なものならすぐ作れるだろうが、それが失敗した後の国内外の総合的な新しい戦略と成れば、先ず人材が揃うかどうか?そもそも選択する人たちは 
選択の基準すら見出せないでいるのではないか
 与野党や、専門家は立場の如何を問わず、これまでの政治文化の真っ只中で行動し、そこで社会的権威を得た人達だから、 政治文化の外へ出て己を見直すことは一般人より難しいはずである。
 しかし、社会にはそう言う権威者を登用するシステムしかない。
 結局、権威者を変えるため一般人が(ハダカの王様の少年)のように、ありのままを口にすればいいのだが‥ 我々もありのままを言うのは難しい
 地球上は朝から満までどこへ行っても権力と権威者によって作られたマスメディアの情報が雨あられと降り注ぐ中に身を置いて、情報の鎧をまとわざる得ないのだから

だから こうして磨くよりない‥
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「成長戦略」

テレビ・新聞の政治経済ニュースや解説を見ているとあちこちで「経済成長戦略」「中長期経済政策」を口にする。
聞こえるのは増税・国債・金融緩和・財政投融資・財政再建・社会保障・せいぜいビジネスチャンスとしてのグリーンニューディールである。
 経済成長の概念をそのままにして語るか、他にに催促するものばかりのようだ。
言葉としては(産業構造の転換)も散見されるが発想的には(産業再編)の域を脱していない。
 誰もがこのままではもたないと感覚的には感じていても、持続可能でない経済成長路線を持続可能な経済背長路線に変えるのは簡単ではない。
 各界から先を見て発想を変えた具体的な提案を積み重ねない限り、誰も中長期の経済対策や成長路線は描けないのではないか?

ニュースを見ていると、 視座や発想を変える壁の厚さををひしひしと感じる。 

  
 
 
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あの小さな星は?

 あの小さな小さな星は どうした?

 地球が大変 子どもが大変

  地球も子どもも 選挙権は ないが でっかい生命と未来がある
   
でっかい生命と未来は繋げてあげた方がいい
    
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くりくり坊や

追っかけの最後の稽古場で くりくり頭の坊やが床にばら撒かれたおもちゃの紙幣をかき集めては箱に詰め込んでいた
 あれ!この坊やは稽古しなくてもこのまま大人に混じって舞台にいるだけで絵になる!
 この子は 名優だ!
感心していると、監督が傍によってきて舞台に出るように誘っている
 子どもは 黙ってそのまま お金をかき集めていた
 
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円急騰

 急な【円高 ドル・ユーロ安】が意味していること
  ドバイの海に突き出たやしの木のリゾートビルや800メーターの巨大ビルを国が借金して建てようとして首が回らなくなり、世界経済を仰天させる(愚の骨頂)が震源とも言われている。
世界経済を1枚の絵にしたようでもある
 ドル安で アメリカは 輸出の有利さを世界に見せた。
 これまでアメリカとは(ある意味で)持ちつ持たれつの関係にあったが、
 今やアメリカにその経済的余裕はない。「ギブアンドテイク」と体裁のいい事を言ってられない関係に至っている事を意味している。
 朝日新聞の社説は[市場介入をためらうな]とあるがメディアや政界も財界もこぞって催促し、政府もそれに呼応した動きになっている。
 目の前の経済で言えばその通りだが、世界経済はドバイに象徴される1枚の絵の中で動いている
 例え市場介入して一時凌ぎをしても、経済構造そのものが矛盾をはらんでいるから
 より大きな破綻を繰り返す。
 
朝日のもう一方の社説は[日米密約、負の歴史の徹底検証を]とあるが
 事実が隠蔽され知らされないのは こと日米の核密約に留まらない。
 
先の愚の骨頂を絵に描いたような世界経済をあたかも真面目な世界経済であるかのように論じ情報を流し対応するのと同様、地上の様々な出来事の【事実】が隠され見えなくなっていないか
 
 そんな文明文化にたぷり漬かった自分の習慣化した行動を変えるのは たやすいことではない。

  
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武蔵野公演

 追っかけのミュージカルも今日を含めて、ラスト3 
 会場全体の細かい響きあい そんなのが感じられるといいなー
 自分への問いかけが高まるほど、明日への希望につながる
 己への問いかけが1番難しい。
 
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健康で文化的な最低限度の生活 と言うけれど

国語辞典で(文化)を引くと、①世の中が開けて生活状態が高まっている状態②人類の理想を実現して行く精神の活動。技術を通して自然を人間の生活目的に役立てていく過程で形作られた、生活様式およびそれに関する表現
 ,とあり
 憲法25条は、全ての国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。国は全ての生活部面について、‥‥向上及び増進に努めなければならない。とある。
 我々が有しいる文化が 国語辞典にあるような意味であることを憲法25条は前提にしている。
 だから現在の文化、或いはその発展方向は憲法以前の問われ明ければならない。
 政治文化、経済文化、身近なテレビ文化、学校文化、子ども文化、都会の文化、家庭の文化、そして一人ひとりの文化等々、我々が有する文化状況は素直に国語辞典のような意味を持っていると理解して良いのだろうか?
 何れも健康な文化状況にるように感じないだけでなく、地上の人間活動によって
 温暖化が進み、異常気象を招き地球を破壊しているとすると、前提が怪しくなる。

現在の文明文化の有り方、発展方向を具体的に調べてみる必要はないだろうか?
 その時、(人類の理想‥や、自然を人間生活に役立てていく過程‥)は手がかりになる。

 
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デフレ宣言の怪

以前からデフレ宣言に疑問を持ってきたが、昨日現政府はデフレ宣言をした。
 2001年、前政権がデフレ宣言をして、いざなぎ以来の好景気の時期を含め未だ解除されていないのに、新しくデフレ宣言をする。
 開戦宣言をして、終戦宣言無く開戦宣言をするようなもの。
 日銀はデフレの定義がどうとの話も有るが、公が定義を曖昧にして宣言するのはどういうことか?
 新聞の解説は事実や経過と矛盾が多すぎ、何が何でもデフレにしたい訳が隠されているようだ。
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