カン違いの文化

世界はどこも都市を中心に人間活動をしているように見える。

しかし、人間は例外なく都市から離れた所からとった食物で生きている。

価値観の転倒した文化は何時までもとは続かない。

国の中では都市に人が集まり、世界的には地方に人は移っている。

視座の違いが見え方を変える。

今は視座の狭さによるカン違いの文化かもしれない。

原発で傷められた人たちが、原発推進を選び

先祖伝来の田地を放棄せざるを得ない人たちが、企業団体を応援し

シャッター街の人たちが、大企業を支える。

賢くたくましい子供にしたい大人が、われ先へと子供を勉強に漬け

        それもそのはず、法律は知っても自然の法をかぎ分ける嗅覚もない文化人

       右も左も都会化した政治家ばかり

          メディアに登場する土の匂いのする人はギャグと慰めの舞台の道具

                 
      カン違い文化で生きてきた老人が一人、ここにしっかりいる。 

 

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着実な一元化

「金権政治」とよく言われるが、実態は「金権経済」であり、その主は企業連合で、政・官・学・メディアを配下に権力支配の構造が出来ているかのようだ。中でもメディアは大本営的な役割を担い、情報を以て各界を結びつけ権力支配の先頭に立って主に仕えている感すら見られる。
人間活動のグローバル化や世界的な行きづまりや混乱はそれらの支配に対する自然な成り行きであって、世界は多くの課題を抱えながらも一元化へと着実に向かっている事も事実。

現在の歩みは【画一的一元化】だが、矛盾を克服して【多様性のある一元化】へと歴史的な間隔で変化するだろうと、視座を広げ希望を持って見ることにしている。

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情報は、流し方ひとつ

中国のアフリカ支援強化をナイジェリア中央銀行総裁は「新植民地支配の神髄」と批判したと新聞報道をみて、「新植民地支配」が死語になっていないことに安堵した。

新聞の見出しも「『新植民地』手法に批判」と、批判的に取り上げている。

ならば、世界全体が新植民地的支配で覆われている現実や、その中で日本の役割は当然コメントしなければ事になるのだが、新聞は一切それに触れていない。この情報は読者にどんな情報を流したことになるか。

この情報は「中国の新植民地主義」との情報だが正しくは「中国も…」のはずである。

「の」と「も」のとの違いだが、情報の意味は全く異なる。

 

 

 

 

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船長不在

船長の資質は

周りを見てどっちへ進むかを決め乗っている人にはっきり説明できること。

そういう意味で、どの国にも船長の資質を持ったリーダーや政治家が見当たらない。

いずれも、船内の有力者ばかり見て行き先を判断しようとしている。覇権国家アメリカにしてそうだ。

地球丸は船長不在。

 

 

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自ら招いている

 世界の行き詰まりや混乱は専門的な権威者や権力者の為せる業かと思う。

 各界の専門家はおしなべて他を押しのけても、一方的に話し他人の話を聞こうとしないのを特徴としている。

視点を変えて

地上には70億の人間が70億通りの自然的・社会的実験をしていると言える。

どの一つも他に替えることは出来ない。

地上のどんな出来事も全体的な関係で存在し、単独で生起したり限定された専門領域内の因果関係で存在するものは一つも無い。

専門家は専門外の事は専門家であるがため、専門以外の事や全体的な理解はあ困難(専門バカ)な立場にありながら、社会的な権威や権力で判断することを求められ、それが実行されるから専門的な判断と生じた結果が異なるのは当然の帰結。

これらのヒトビトガ自ら招いた権威や専門家にお任せした間違いは、国の内外から身近な所まで広くみられる。専門家に任せたり利用する人と自らの限界を省みないでものを言い判断する専門家も行きづまりや混乱の責任を負っているはずだがそのようには見えない。

問題は、専門家と言われる人がその権威をかさに着て専門外の事を述べ判断するのを利用する人も利用される人もそして本人までもが良しとしている事であり、思想や政治的な立場とは関係なく、あえて言うなら文化の問題ではないか。

  

 

 

 

 

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結果は?

日本の財政破たんするだろうとの(私の)仮説は残すところ2年になった。

メディアは安部ノミックスを煽り政府はじめ国中が浮き足たった感じだが、それが一層破綻が差し迫ったものを感じさせる。

仮説の結果が、他人事でないことを承知の上で、破綻後のメディアや政府の対応や国民の焦燥感や動きに関心は向かっている。

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今朝、寝床でした想像

「内政の延長が外交」と言う人もいるが、避けられない世界のグローバル化から見ると(外交の具体化)が内政だ、とも言える。

市場の南への移動とグローバル化は、国々の外交や内政の基本だと考えているのが、世界はそうは動いていない。

明治以降日本は、欧米の後を追いかけ、今はアメリカの後を追っている感が強いが、アメリカをはじめ先進主要国が斜陽化しているなかで、同様の矛盾を最も強く抱えた日本は、世界の現状や先行きを見て、原則的に動かなければならない立場にあるのだが、強国への追随を変えられず踏襲している。

現象的には為政者の世襲も関係しているかもしれないが、最も影響力を持た財界の不明さが最大の原因だろう。

しかし本質的には、政治的な(左右)や政治や経済の勢力や組織が問題ではなく、世界に対する基本認識の欠如でありさらに文化に起因する。

求められる文化は享受する文化ではなく担い手である一人一人の創造的・想像的な文化ではないか。

 

 

 

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温かくなってきた

温かくなって山菜取りも良いのだけど、時に根こそぎ採っていくヒトがいる。

漁も同じで、産卵孵化をも許さず獲っていくヒトがいる。

 

地上のる200数十ある国の大国は小国から乱獲乱漁するがごとく、民主主義や正義と法の名で資源や主権をも奪い取る。

そんな地上にあって、同時に自爆と花見がある。

 

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マンガとコマーシャル

企業の利潤によって国家や国民生活が成り立っていると言えなくもない。きっと、為政者たちはそれに確信を持ち政治を行っているに違いない。

ただ、企業の利潤追求は経済の論理ではなく、企業は立たされている競争原理から来る当面の利潤の追求が常に求められる。

このような利潤追求はリスクを伴うが、リスク管理が不可能ではないにしても熾烈な競争の中にあってはとかくリスクを伴いながらも利潤の追求を先んじてしまう結果を生みかねない。それは利潤追求の効率の良さに繋がることもあるが利潤を不安定にするリスクも併せ持つ。

こうして生まれたリスクの累積は企業の利潤追求そのものを困難にし、同時に国の経済そのものを立ち行かなくする。

現在のグローバル経済や日本の経済はリスクが足元以上に迫っているが、企業の論理が優先しリスク管理の機能がほとんどマヒ状態と言って良い。

ド素人である私にはそう見える。安倍ノミックスがセンスの悪いマンガに、マスコミはお面を被せ誤魔化して売り出す上等なコマーシャルのようだ。

 

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期待され過ぎてる(世界)

ヒトは「人類みな兄弟」って言ってるけど、親はどなただろう?

親なら兄弟全部に目配りして、いつもいつも子供の無事を確かめる。

果たして、地上の場合は、だれが全体を見ているのか、考えても担当する部署すら思い浮かばない。

「世界」は未だ人の手に収まっていないのにあたかも手中にあるかのように錯覚し中には勝手に我が物顔で振る舞ったりそれに追随する人たちもいる。

未だ手続きは無く、地上は 国の雑居地と見いたなものなのに、期待し過ぎの傾向がある。

 

 

 

 

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