矛盾を感じない生き物か?

人類は戦争と,平和の祭典を同時に行っている。

違和感や矛盾を感じないのだろうか? 世界を空間的に、一体的に感じられないでいられる生き物なのかもしれない。

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模様が変わる

ゴタゴタしながらも 世界の模様の変わり方は さらに加速されそうで 喜ばしい。

そのうち 地球空間本来の形への兆しも伺える時が来るだろうと期待している。

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世界の不思議

経済活動は産業の基になる地球資源を消耗しているが 有限な地球資源の残量がまだまだ残っているのか 不足してきているのかが ネット情報を見てもそれに触れた情報は  国の内外を問わず一切

見当たらない。

戦後の家庭の米びつの残りを子供でも気にしたように 家庭にとっては一番気になる事である。

何故 資源の残量に関して 心配があるにせよ無いせよ 暮らしていくには大切なことのはずだが

現状が全く知らされないのは 世界の七不思議以上に 不思議じゃないか!

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見えてきた

世界が一定の方向に顔を向け始めたように思う。

おもちゃ箱をひっくり返したような 訳のわからない混乱した状態からすると それなりの落ち着きを感じる。

これからは 至る所で世界や自然との関係が問われることが多くなるのではないかと期待している。

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科学軽視の世の中

  1.  石井菜穂子(地球環境学 東大教授)は地球規模の気候温暖化・生物の多様性の欠損・大量の化学廃棄物により30年後の2055年には不可逆的なレベルに至る。それを防ぐには今後10年先の国際的な目標を到達する必要のあることを強調していた。私の目途より早いものがあることを初めて知った。ただ これまでデーターに基づいた科学者の見解は 実社会では軽視されてきた。

 

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「世界の平和」は死語か?

子供のころ 「世界の平和」の言葉は耳にし目にしたような気がする。しかし 今考えてみると

お手本になるべき大人からも無邪気な子供からも全くと言っていいほど目にしない。死語になったんだろうか?

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人類による世界の管理能力の不足

世界の荒れ方の酷さを見ると 人類による世界の管理能力に限界すら感じる。

新たな能力を身に着けるときは どんな場合もこんなものかもしれないが、地球という土俵に慣れていないだけかもしれない。

 

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変化の焦点

取りあえず注目すべきは グローバルサウス(特にアフリカ)の変化だろう。

第3次世界大戦への危惧が囁かれるが 世界史的な意味は将来的に世界大戦より大きいかもしれない。

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行き詰まりの原因

人類が行き詰まっているのは 自らの全的認識の不備が原因している。

部分的な認識に拘泥し打開できないでいる。

先ずは 人類全体に目を配ること。次に地球にも目をやり地球との関係の如何を確認する。

これらを無視しては 行き詰まるのは「自然の理」だろう。

現代社会のようにバック(後ろ盾)や存在の背景を見ずしては 事の解決出来ずに行き詰まるのは自然な成り行きである。行き詰まりは 成るべくして成るようになっているだけであることに気が付いていないだけである。目を醒ます他ない。

 

 

 

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不思議な事

 

世界経済は(論証は無いが) かつてない行き詰まり感を呈している。

物つくりの原材料は確実に減少しているのだから 表面化するのは時間の問題であり それは先の話だと どうして断ぜられよう。少なくても理論的には確実に減少していることは間違いない事実。

それを危惧する声が何処からも聞こえないのが不思議である。

国内も世界の何処にも資源の枯渇した残滓が棚ざらしになっているではないか。

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