世の中の見える世界から見えない世界まで思いっきり。特に、子供、教育、不登校、自閉症等 情緒に関心あり
天まで届け
人類の試練
(論理的には〉
世界経済が縮小している現状は 世界の超大国アメリカを長く支配してき勢力の弱小化をも意味する。
必然的な世界経済の縮小は 有限な世界にあっては ある意味で全うな変化だと言える。
この現状をどう見てどう対応するかが 人類は問われているのだが、答えを出すのに困難を極めているようだ。
親の教え
結局は自然が人類を救うことになるんだと思う。
平和を損ね 経済を行き詰まらせている人類は 自然のもたらす結果を力にして生き延びるんだろう。
原始人ではないが 人間は自然に感謝申し上げたら良い。でなきゃ 「バチが当たる」と子供のころよく親に言われてきたのを思い出す。
ニュースの取り上げ方が出口を塞いでいる
[ワールドニュース」とは言うものの グローバルサウスの出来事をニュースに取り上げられることは滅多にない。だから「ワールドニュース」の実態は「グローバルノース」を見ているようだ。
これでは世界の様子は解らない。この辺の視野が広がらなければ この行き詰まりを抜け出すのは難しい。
アフリカは世界の盲点か?
「世界史」と呼ばれるものは 日本以外には無いらしい。そのせいか 「世界のニュース」と言っても報道されるのはかなり限定されており、アフリカなどはほとんど取り上げられない。
アフリカは奴隷や自然資源の宝庫として特にヨーロッパととの関係は今も深いが、ニュースとして取り上げられることは少なく、世界の現状を理解するうえで盲点になり、理解を妨げている事が多い。
現状が意味するもの
人類は根本的な矛盾が解決するまで争っているのだろうか?
全体的には 矛盾の解決に向かっているようだが、争いが目立ち 世界的な規模で可視化されてきたことは希望に繋がる。
アフリカからの目線
人類の為せる文化は 人類の存在そのものを否定するかのような状況にある。
人類が自然的な存在でありながら 自然そのものを破壊しなければ成立たない文化を構築しようとしている。
根源的な矛盾に気づき 文化の再構築が求められていることに気づき始めても良い頃だ。
これからは 貧しいとされるアフリカからの目線が役立つ時ではないだろうか?
戦争をしながら平和の祭典を行う人類は「物欲の塊」
戦争をしながら平和の祭典を行う人類の感覚はどうなっているんだろう?
この無責任な感覚が 自滅と立て直す負担を増加させることに人類は気が付き始めても良いのに・・・本当には 未だ 有限な空間に存在していることに気が付いていないのかもしれない。
人類は 理性を失い物欲に支配されているかのようだ。
人類の世界を分別する力
行き詰まっている世界にあって 戦争のもつ意味が分かっているのだろうか?
敵と戦っているように思っているかもしれないが 結局は 共同住宅に火を放すに似て,
同一の運命共同体に過ぎない。それが露呈する時代になって久しい・・
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