いつもコメントをお寄せ頂く naru さんに薦められて日本版プレイボーイ3月号を買った。コルトレーン特集で、初めて知った興味深い記事も載っている。おまけ、いやメインのグラビアにはロシア美少女の写真もあり、こちらを見るのも楽しみの一つだ。発売日に売り切れたという伝説的なプレイボーイ創刊号は75年発刊だから、30年以上出版されている。寿命の長い雑誌だ。
60年6月に創刊され、62年4月が最終刊、僅か通巻22号で廃刊になった雑誌に日本語版ダウン・ビートがある。新興楽譜出版社から出版され、編集長は昨年亡くなれた草野昌一さん、後のスイング・ジャーナル誌編集長児山紀芳さんが大学卒業後、最初に就いたのがこの編集部だ。アメリカの伝統あるジャズ誌 down beat の日本版で、親誌の記事の翻訳と、日本独自の記事という、日本版のフォーマットを踏襲している。
60年代初めというと、外国から入ってくるポピュラー、タンゴ、シャンソン等を一括りでジャズソングと呼ばれていた時代から、ダンモという言葉が生まれたように、ようやくモダンジャズが一つの音楽として周知された頃だ。レナード・フェザー等、著名なジャズ批評家の翻訳記事は、今読んでもかなり高度なもので歴史あるアメリカジャズ文化と日本のそれとの差は歴然としている。終刊号の児山さんの編集後記には、理想と現実のギャップが綴られている。志の高い雑誌は、この時代も今も売れない。
生まれては消えてゆく多くの雑誌の中で、30年以上出版されているプレイボーイは驚異だが、75年発売当初から比べると、グラビアも随分と変わったものだ。当時ではロシア女性のヌードなど考えられない。国が変われば、色も形も違う。敢えてどの部分かは説明しないが・・・荒唐無毛、いや荒唐無稽な話ですから。(笑)
60年6月に創刊され、62年4月が最終刊、僅か通巻22号で廃刊になった雑誌に日本語版ダウン・ビートがある。新興楽譜出版社から出版され、編集長は昨年亡くなれた草野昌一さん、後のスイング・ジャーナル誌編集長児山紀芳さんが大学卒業後、最初に就いたのがこの編集部だ。アメリカの伝統あるジャズ誌 down beat の日本版で、親誌の記事の翻訳と、日本独自の記事という、日本版のフォーマットを踏襲している。
60年代初めというと、外国から入ってくるポピュラー、タンゴ、シャンソン等を一括りでジャズソングと呼ばれていた時代から、ダンモという言葉が生まれたように、ようやくモダンジャズが一つの音楽として周知された頃だ。レナード・フェザー等、著名なジャズ批評家の翻訳記事は、今読んでもかなり高度なもので歴史あるアメリカジャズ文化と日本のそれとの差は歴然としている。終刊号の児山さんの編集後記には、理想と現実のギャップが綴られている。志の高い雑誌は、この時代も今も売れない。
生まれては消えてゆく多くの雑誌の中で、30年以上出版されているプレイボーイは驚異だが、75年発売当初から比べると、グラビアも随分と変わったものだ。当時ではロシア女性のヌードなど考えられない。国が変われば、色も形も違う。敢えてどの部分かは説明しないが・・・荒唐無毛、いや荒唐無稽な話ですから。(笑)