デューク・アドリブ帖

超絶変態ジャズマニア『デューク・M』の独断と偏見と毒舌のアドリブ帖です。縦横無尽、天衣無縫、支離滅裂な展開です。

天才パウエルと奇才モンク

2008-09-07 07:08:40 | Weblog
 仕事の流れで、ファミリーレストランに入った。めったに利用しないが、車数台の移動のため必然的に駐車場が広い店を選ぶことになる。土曜日の昼時ともなれば家族連れで賑わっており、案内された席の隣では小学低学年の子が食事もそこそこにゲームに夢中だ。よく見る光景だが、そのうちテーブルに足を上げた。それも靴を履いたままである。親は食事を残したことを注意する様子がないばかりか、足を上げたことを叱ろうともしない。

 所は変ってニューヨークのクラブ。席に着くなり純白のテーブルに足を投げ出して演奏を聴きはじめた男がいた。ボーイが飛んできて注意をしてもそ知らぬ顔だ。ボーイがうるさく言うと、今度は同席していた男が怒った。「この男は天才なのだ。ほっとけ!」と。足を投げ出したのは天才バド・パウエルで、ボーイに怒ったのは奇才セロニアス・モンクである。その天才が師である奇才に捧げたアルバムが「ポートレイト・オブ・セロニアス」で、ジャケットを飾るアブストラクトな絵はパノニカ男爵夫人が描いたものだ。天才と奇才を視覚的に表現するならこの絵のように明暗が重なりながらもくっきりと明が現れ、そしてそれが全体の極一部に過ぎないのであろう。

 61年パリのライブ録音で、ヴァーヴやブルーノート時代の神がかったプレイや並はずれたテクニックは聴けないが、天才ではない人間的な味わいがある。パーカーと並び天才破滅型のパウエルは、絶頂期に比べ晩年の作品となるとパウエル信者といえど封印したくなるアルバムもあるようだが、そんな演奏でさえも凡百のピアニストにはない輝きがあった。ピエール・ミシェロとケニー・クラークをバックにモンクの作品「オフ・マイナー」から始まる熱気に満ちたライブは、中盤の「ノー・ネイム・ブルース」の出だしを間違えて弾きなおす。天才がマイナーで無名のピアニストになったかのような演奏ではあるが、やはり他をよせつけない天才だけが持つ魅力に溢れている。

 件のレストランでウェイターを促し注意をさせると、「ほら怒られたでしょう」母親である。父親はどこぞの国の首相のように他人事のようだ。この親子はマークス寿子さんの著書「とんでもない母親と情けない男の国日本」を読んだほうがよかろう。
コメント (40)
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