デューク・アドリブ帖

超絶変態ジャズマニア『デューク・M』の独断と偏見と毒舌のアドリブ帖です。縦横無尽、天衣無縫、支離滅裂な展開です。

君恋し~恋人よ我に帰れ

2008-11-09 08:52:34 | Weblog
 ♪宵やみせまれば・・・先日亡くなられたフランク永井さんの「君恋し」である。昭和36年に流行った当時は、多分に父が聴いていたオリジナルの二村定一と比べたものだろうが、子どもだった小生の耳にも随分モダンに聞こえたものだ。大ヒット曲「有楽町で逢いましょう」のイントロは、ピアノ、ギター、ビブラフォンの合奏によるジョージ・シアリングのスタイルを用いたもので、哀愁を帯びた低音とジャズ感覚を加えた都会的な曲調は昭和という時代に彩りをつけた。

 米軍キャンプでジャズを歌っていたフランクさんのデビュー曲は、シグムンド・ロンバーグの不朽の名作「恋人よ我に帰れ」である。幾多の名唱があるが、この曲を愛唱歌にした人にミルドレッド・ベイリーがいて、44年という短い生涯で3度吹き込んでいる。40年代前半のデッカ時代の音源全16曲中、デッカ本社で原盤を紛失した2曲を除いた14曲を収録したアルバムに2回目の録音が収録されているが、編成を大ききしたものやコーラスを入れたものに比べ、ギターをバックにしたシンプルな伴奏はより伸びやかな美しい声を際立たせている。デリケートで豊かな情感、ゴムが弾けるようなスウィンギーな歌いまわしは、白人女性最初のジャズ・シンガーとしての自信にあふれ、誇り高いものだ。

 ベイリーはロッキン・チェア・レディと呼ばれたように、唯一のヒット曲はホーギー・カーマイケルの「ロッキン・チェア」で、ポップ・チューンからブルースまで歌いこなすレパートリーの広さがありながら、多くのヒットに恵まれなかった。大食からくる肥満にコンプレックスがあり、ヒットしないのはその容姿の醜さだと思い込んだらしい。不発が続き、さらに性格まで歪んだものになり、レッド・ノーヴォとの離婚にも発展したようだ。優しい性格に惚れ込んだノーヴォにしろ、可憐な歌声に虜になったファンにしろ、肥満が激しい気性に変えたことは残念でならない。「恋人」とは、ノーヴォの心変わりと元のスマートな体型であり、何度も歌ったのは失ったものをカムバックさせたかったのだろう。

 時雨音羽作詩の「君恋し」は、「苦しき幾夜を 誰が為偲ばん」、「臙脂の紅帯 ゆるむもさびしや」という奥ゆかしい昭和叙情詩が綴られる。声を低くして歌ってみよう♪涙はあふれて 今宵も更けゆく・・・衷心よりご冥福を祈ってやまない。
コメント (33)
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