デューク・アドリブ帖

超絶変態ジャズマニア『デューク・M』の独断と偏見と毒舌のアドリブ帖です。縦横無尽、天衣無縫、支離滅裂な展開です。

ビル・クロウが背負ったベースと苦労

2010-12-19 08:23:46 | Weblog
 「バードランドが僕の出身校だ。(中略)自ら範を垂れて教育してくれる輝かしき教授陣は、世界最高のジャズ・ミュージシャンたちであり、その学長とでもいうべきはチャーリー・パーカーだった。」の書き出しはベーシストのビル・クロウ著「さよならバードランド」(村上春樹訳、新潮社刊)である。バードランドとはパーカーのニックネームから付けられたジャズクラブで、副題のように「あるジャズ・ミュージシャンの回想」が綴られている。

 ジェリー・マリガン「ナイト・ライツ」、スタン・ゲッツ・プレイズ、アル・ヘイグのEsoteric盤、ジャズ史を彩る名盤に参加しながらも意外にその名前は知られていない。それは派手なソロを取らないことと、決して輪を乱さない堅実なバッキングによる。ベーシストにはふたつのタイプがあり、オスカー・ペティフォードやレイ・ブラウンのように華麗なプレイで前面に出るタイプと、クロウのように常にバックでリズムを支えることに専念するタイプだ。黒子的存在の後者は損なタイプに思えるが、歌舞伎でも静止画的画面構成を支える黒子がいてこそ役者が映えるように、ジャズもまた同じでステージに欠かせない重要な存在である。

 この著書がきっかけとなって95年に録音されたのがこのアルバムで、何とこれが初リーダー・アルバムというから驚く。クロウは当初ドラマーとしてマイク・レイニーに雇われ、次いでグレン・ムーア楽団ではトロンボーンを吹いていたという。そしてベーシストとして名前が知られるようになったのはテディ・チャールズのバンドに加わったころで、ベーシストとしてのキャリア40年目にしての初リーダー作になる。オリジナルを数曲とスタンダードのバランスの取れた構成で、なかでも「ジャスト・フレンズ」は、このセッションに駆けつけたテナー奏者のカーメン・レギオやギタリストのジョー・コーンとの旧交を温めるに相応しい曲だ。

 おそらくクロウにとって初めての長いベースソロは、その文章の語り口と同じように温かく優しい。行間からにじみ出る共演したミュージシャンへの愛情を、そのままベースの一音一音に重ねているようだ。そして人柄なのだろう、どこまでも控え目で、常に周りのプレイヤーを立てることを忘れない。ときに我がままで勝手なスタープレイヤーとバードランドが衝突したときに仲裁に入ったクロウの苦労もこのアルバムで報われたかもしれない。

コメント (22)
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