もう20年も前になる。テーブルの向いに憧れの人が座っていた。ひょっとしたらその人とテーブルを挟んでこうして酒を飲み交わしたのは、マイルスであり、ロリンズであり、ローチやブレイキー、そして歌姫マクレイだったかもしれない。共演したプレイヤーは数知れず、それも皆一流ばかりである。サイド作品を並べるとそれだけでモダンジャズの歴史が見えるばかりか、ジャズが最も熱かった50年代の名盤までもが揃う。
今月2日に亡くなったレイ・ブライアントは日本でも人気のあるピアニストだ。ゴールデン・イヤリングスが入っているプレスティッジ盤は、ピアノトリオの名盤に数えられ、ジャズ喫茶黄金時代は毎日のようにリクエストがあり何度も聴いたものだが、繰り返し聴いても飽きさせない魅力がある。生で聴くその曲もレコードと同じ演奏だったが、やはりサビの部分は思わず唸ってしまう。新曲の披露や変化のあるアドリブがライブの醍醐味だが、聴きなれたメロディを崩さず演奏するのもジャズのスタイルである。プロモーターの要請であってもプレイヤーの選曲であってもレコードの名演の再演を求めているのは確かなのだから。
ブライアントがライブで楽しそうに弾いたオリジナル曲は愛娘のスージーに捧げたリトル・スージーをはじめクバノ・チャント、マディソン・タイム、モンキー・ビジネス等、どの曲もこの人は日本人の血が流れているのではないかと思わせるほど妙にしっくりくる。左手の強いタッチが印象的で、このパンチがなければ生きない曲だ。そのせいもあり名曲ながらほとんど他のプレイヤーによって演奏されることはない。唯一例外を挙げるならフィニアス・ニューボーンJr.が弾いたリフレクションで、これとてこの曲があったからこそロイ・ヘインズ名義のウィ・スリーが人気盤だといってもいい。
リトル・スージーを録音したのはブライアントが28歳のときで、膝に抱かれたスージーはおそらくこの時5~6歳だろう。一番可愛いときで、曲も娘の健やかな成長を願う父親の愛情にあふれている。ブライアントはスージーに看取られながら安らかに眠ったのだろうか。もしかしたら孫娘があのグローブのような手を握り締めていたのかもしれない。愛すべきピアニスト、レイ・ブライアント、享年79歳。イヤリングは落ちても曲は金のように輝いている。
今月2日に亡くなったレイ・ブライアントは日本でも人気のあるピアニストだ。ゴールデン・イヤリングスが入っているプレスティッジ盤は、ピアノトリオの名盤に数えられ、ジャズ喫茶黄金時代は毎日のようにリクエストがあり何度も聴いたものだが、繰り返し聴いても飽きさせない魅力がある。生で聴くその曲もレコードと同じ演奏だったが、やはりサビの部分は思わず唸ってしまう。新曲の披露や変化のあるアドリブがライブの醍醐味だが、聴きなれたメロディを崩さず演奏するのもジャズのスタイルである。プロモーターの要請であってもプレイヤーの選曲であってもレコードの名演の再演を求めているのは確かなのだから。
ブライアントがライブで楽しそうに弾いたオリジナル曲は愛娘のスージーに捧げたリトル・スージーをはじめクバノ・チャント、マディソン・タイム、モンキー・ビジネス等、どの曲もこの人は日本人の血が流れているのではないかと思わせるほど妙にしっくりくる。左手の強いタッチが印象的で、このパンチがなければ生きない曲だ。そのせいもあり名曲ながらほとんど他のプレイヤーによって演奏されることはない。唯一例外を挙げるならフィニアス・ニューボーンJr.が弾いたリフレクションで、これとてこの曲があったからこそロイ・ヘインズ名義のウィ・スリーが人気盤だといってもいい。
リトル・スージーを録音したのはブライアントが28歳のときで、膝に抱かれたスージーはおそらくこの時5~6歳だろう。一番可愛いときで、曲も娘の健やかな成長を願う父親の愛情にあふれている。ブライアントはスージーに看取られながら安らかに眠ったのだろうか。もしかしたら孫娘があのグローブのような手を握り締めていたのかもしれない。愛すべきピアニスト、レイ・ブライアント、享年79歳。イヤリングは落ちても曲は金のように輝いている。