このところ欧州ジャズという言葉を良く目にする。ディスクユニオンからは欧州ジャズを中心に編集した雑誌が創刊されたり、ジャズジャーナリズムでも特集が組まれたりと活字媒体を賑わしているようだ。CD店にもコーナーを設けているところもあり、聞きなれないプレイヤーの名前は発音に戸惑うほどである。売れ行きも好調なようで、アメリカジャズにはないヨーロッパジャズの魅力があるのだろう。
60年代のヨーロッパジャズといえばフリージャズか、クラシックに毛の生えたジャズもどきで、とかくスウィングしない、という見方をされてきたが、60年代の初めにも正統派のスタイルを持ったジャズマンも存在した。なかでもピアニストのヤン・ハイツが中心になった「トリオ・コンセプション」は、アメリカジャズと変わらぬ質の高さでピアノ名盤に数えられる1枚だ。63年に当時の西ベルリンにあった「ブルーノート」というジャズクラブのライブ盤で、後のテテ・モントリューのトリオを支えたピーター・トランクのベースとドラムのジョー・ネイによるピアノトリオのスリリングな演奏を楽しめる。
選曲も「枯葉」、「イン・ア・メロウ・トーン」、「朝日のようにさわやかに」というスタンダード中心で、理論抜きでジャズを楽しく演奏しようとする姿勢に好感が持てるし、ストレートな表現は世界共通のジャズ語に他ならない。ベニー・カーターの名作「ホエン・ライツ・アー・ロウ」が圧巻で、イントロは徐々に陽が落ちてゆく夕暮れ時の情景の幻想と、精神の安堵を醸し出しており、この辺りは如何にもヨーロッパジャズの叙情だが、歌うテーマと躍動感あふれるアドリブはヨーロッパジャズの偏見を吹き飛ばすほどスウィングする。難を言えばお客の反応で、拍手も疎らだ。ジャズをまだ身体で感じ取れなかったのかもしれない。
最近発売されたり、CD化された欧州ジャズを全て聴いているわけではないが、フランク・アビタビレ、ラーシャ・ヤンソン、ステファノ・ボラーニ、ヤンシー・キョロシー等々、欧州のピアニストはテクニックやアイデアは本場のアメリカジャズをも凌駕する勢いがある。どのピアニストもクラシック理論に基づいた難解な曲ではなく、スタンダードで明朗快活にスウィングしている点では、欧州ジャズという言葉では括りきれない完全なジャズである。
60年代のヨーロッパジャズといえばフリージャズか、クラシックに毛の生えたジャズもどきで、とかくスウィングしない、という見方をされてきたが、60年代の初めにも正統派のスタイルを持ったジャズマンも存在した。なかでもピアニストのヤン・ハイツが中心になった「トリオ・コンセプション」は、アメリカジャズと変わらぬ質の高さでピアノ名盤に数えられる1枚だ。63年に当時の西ベルリンにあった「ブルーノート」というジャズクラブのライブ盤で、後のテテ・モントリューのトリオを支えたピーター・トランクのベースとドラムのジョー・ネイによるピアノトリオのスリリングな演奏を楽しめる。
選曲も「枯葉」、「イン・ア・メロウ・トーン」、「朝日のようにさわやかに」というスタンダード中心で、理論抜きでジャズを楽しく演奏しようとする姿勢に好感が持てるし、ストレートな表現は世界共通のジャズ語に他ならない。ベニー・カーターの名作「ホエン・ライツ・アー・ロウ」が圧巻で、イントロは徐々に陽が落ちてゆく夕暮れ時の情景の幻想と、精神の安堵を醸し出しており、この辺りは如何にもヨーロッパジャズの叙情だが、歌うテーマと躍動感あふれるアドリブはヨーロッパジャズの偏見を吹き飛ばすほどスウィングする。難を言えばお客の反応で、拍手も疎らだ。ジャズをまだ身体で感じ取れなかったのかもしれない。
最近発売されたり、CD化された欧州ジャズを全て聴いているわけではないが、フランク・アビタビレ、ラーシャ・ヤンソン、ステファノ・ボラーニ、ヤンシー・キョロシー等々、欧州のピアニストはテクニックやアイデアは本場のアメリカジャズをも凌駕する勢いがある。どのピアニストもクラシック理論に基づいた難解な曲ではなく、スタンダードで明朗快活にスウィングしている点では、欧州ジャズという言葉では括りきれない完全なジャズである。