デューク・アドリブ帖

超絶変態ジャズマニア『デューク・M』の独断と偏見と毒舌のアドリブ帖です。縦横無尽、天衣無縫、支離滅裂な展開です。

人種差別の荒波に漕ぎ出したショウボート

2011-10-23 07:56:34 | Weblog
 ニューヨーク・タイムズの辛口な劇評で知られるフランク・リッチは、「ショウボート」があったからこそ、「オクラホマ!」も「ポギーとベス」も、そして「ウェスト・サイド物語」も生まれたと書いている。スタンダード・ナンバーの多くはミュージカルに書かれた曲だが、「サウンド・オブ・ミュージック」や「マイ・フェア・レディ」のような有名なものは知っていても、曲以上にその内容を語れることはない。

 さてリッチがミュージカルを変えたという「ショウボート」とは、どんなストーリーなのだろう。白人と黒人の結婚を軸に人種問題を浮き彫りにした作品で、1927年の初演当時、白人と黒人の結婚は法律で禁止されていたという時代背景を考慮すると、この内容はかなり勇気が必要だったといえる。ボーイ・ミーツ・ガール・ストリーを主軸にした音楽付きレビューが一般的なミュージカルに一石を投じた意味では歴史に残る作品だ。音楽を担当したのはジェローム・カーンとオスカー・ハマースタイン2世で、「オール・マン・リヴァー」をはじめ多くの曲がこのミュージカルから生まれた。

 なかでも多くのジャズマンが取り上げるのが、「ノーバディ・エルス・バット・ミー」だ。45年にリバイバルの際に追加された曲でカーンの最後の曲でもある。ケニー・ドーハムは丸ごとこの作品の曲ばかりを集めたアルバムを作っていて、端整で原曲を生かした丁寧な演奏はシリアスな内容に相応しい。録音されたのは60年で、まだ人種差別の壁が厚い時代である。ドーハムが公民権運動に参加した話は聞かないが、盟友のマックス・ローチが同じ年に「ウィ・インシスト」を録音していることから少なからずその思想に影響を受けていたことは考えられる。「ショウボート」というアルバムを作ったのは、穏やかなドーハムが示した静かな運動だったのかもしれない。

 「ショウボート」は何度か映画化されているが、MGMで51年に制作するときレナ・ホーンを起用する予定だった。30年代のハリウッドでは白人の黒塗りが伝統だったので、画期的な配役だったが、制作直前に奴隷制が根強く残る南部での上映を憂慮しエヴァ・ガードナーを抜擢したという。同じく白人と黒人の結婚を真正面から見据えた問題作に「招かれざる客」がある。67年の作品だ。ハリウッドが人種の壁に風穴を開けるには相当な時間が必要だったといえよう。

コメント (18)
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