バラードアルバムの傑作中の傑作であるコルトレーンの「Ballads」が63年に発表されたとき、大衆に迎合した企画だの、牙を抜かれたコルトレーンだのと批判があったという。アトランティックからインパルスに移り、「アフリカ/ブラス」を発表以降、演奏も長尺化し、前衛に向うコルトレーンに付いていけないファンがいる一方、変化を熱烈に応援するマニアもいて、その革新支持派から挙がった批判のようだ。
今では笑い話のようだが、甘いバラード作品はウイズ・ストリングスのような見方をされていていたのだろう。パーカーのストリングス物が酷評されたことに似ているが、いつの時代もけちを付ける輩はいるものだ。そのバラードのお手本を2008年に大胆にも丸ごと歌ったのはオランダのシンガー、イヴォンヌ・ウォルターである。早くからアイデアがあったようだが、2000年にカーリン・アリソンが同様の企画でアルバムを発売したことから一度は棚上げになったという。それでもライヴでは必ず取り上げるコルトレーン・バラードを、カーリンとは違う解釈で歌うのだという強い自信から発売に踏み切ったものだ。
お馴染み「セイ・イット」から始まるバラード集を歌うイヴォンヌの声質は、同郷のアン・バートンに似ていて心地よい。バートンの晩年のピアニストであるロブ・ヴァン・クリーヴェルドとメアリー・フーアートのベースだけの伴奏なのでより旋律の美しさと歌詞の意味がひしひしと伝わってくる。全8曲、見事なまでの再現、というよりコルトレーンに敬愛を込めた表現と言ったほうが正しいだろうか。なかでも「All Or Nothing at All」は、クリーヴェルドの軽快なピアノがマッコイ・タイナーを思わせ、まるで歌心にあふれたコルトレーンが乗り移ったかのような気魄のヴォーカルを聴ける極上の一品だ。
コルトレーンの変化と発展のジャズは思うようにセールが伸びず、業を煮やしたインパルスが、「グリーンスリーヴス」をシングル盤で発売する。これが売れたことからスタンダードだけの「Ballads」の企画が持ち上がったとされる一方、当時、コルトレーンはマウスピースの調子が悪くて速いテンポのものは演奏できなかった、とも伝えれている。どちらにしても名盤は意図しないところから生まれる。
今では笑い話のようだが、甘いバラード作品はウイズ・ストリングスのような見方をされていていたのだろう。パーカーのストリングス物が酷評されたことに似ているが、いつの時代もけちを付ける輩はいるものだ。そのバラードのお手本を2008年に大胆にも丸ごと歌ったのはオランダのシンガー、イヴォンヌ・ウォルターである。早くからアイデアがあったようだが、2000年にカーリン・アリソンが同様の企画でアルバムを発売したことから一度は棚上げになったという。それでもライヴでは必ず取り上げるコルトレーン・バラードを、カーリンとは違う解釈で歌うのだという強い自信から発売に踏み切ったものだ。
お馴染み「セイ・イット」から始まるバラード集を歌うイヴォンヌの声質は、同郷のアン・バートンに似ていて心地よい。バートンの晩年のピアニストであるロブ・ヴァン・クリーヴェルドとメアリー・フーアートのベースだけの伴奏なのでより旋律の美しさと歌詞の意味がひしひしと伝わってくる。全8曲、見事なまでの再現、というよりコルトレーンに敬愛を込めた表現と言ったほうが正しいだろうか。なかでも「All Or Nothing at All」は、クリーヴェルドの軽快なピアノがマッコイ・タイナーを思わせ、まるで歌心にあふれたコルトレーンが乗り移ったかのような気魄のヴォーカルを聴ける極上の一品だ。
コルトレーンの変化と発展のジャズは思うようにセールが伸びず、業を煮やしたインパルスが、「グリーンスリーヴス」をシングル盤で発売する。これが売れたことからスタンダードだけの「Ballads」の企画が持ち上がったとされる一方、当時、コルトレーンはマウスピースの調子が悪くて速いテンポのものは演奏できなかった、とも伝えれている。どちらにしても名盤は意図しないところから生まれる。