デューク・アドリブ帖

超絶変態ジャズマニア『デューク・M』の独断と偏見と毒舌のアドリブ帖です。縦横無尽、天衣無縫、支離滅裂な展開です。

トップ・オブ・ザ・ゲイトの秋吉敏子

2013-05-19 09:02:38 | Weblog
 昨年の暮れに馴染みのジャズクラブで、ジャズ批評誌にも寄稿されている札幌在住のライター、川田貞家さんにお会いする機会があった。何度もアメリカのジャズクラブを訪れている方で、たまたま持ち合わせていた出演者のメモ書きを見ながら毎夜熱いアドリブが聴けるスポットをご説明いただいた。そのなかにトップ・オブ・ザ・ゲイトがあり、初めて知ったのだが、ヴィレッジ・ゲイトの二階だという。

 ヴィレッジ・ゲイトはハービー・マンやクリス・コナーのライブ盤でよく知られたクラブだが、トップ・オブ・ザ・ゲイトとなるとライブ盤も少ないことから知名度が低い。ようやく見つけたのは秋吉敏子の68年のアルバムで、日本のジャズ専門レーベルの草分けとして知られるタクトからリリースされたものだ。ケニー・ドーハム、ロン・カーター、ミッキー・ロカー、そして後に夫となるルー・タバキンが参加したクインテットで、メンバー紹介とともに当時の秋吉人気が窺える大きな拍手が沸く。演奏された曲はほとんど自作曲だが、ライブらしくボサ・ロック調のリズムを用いた「黒いオルフェ」で盛り上げている。

 女性の年齢に触れるのは甚だ失礼とは思うが、アメリカというジャズの本場に単身で渡った勇気ある女性を称えるという観点でお許し願おう。秋吉がバークリー音楽院に留学のため渡米したのは56年のことで、卒業後もニューヨークに留まり演奏活動を続けている。このライブのとき、秋吉は39歳で、渡米してから12年経っている。年齢的には人生観がくっきり現れ、生活的にはアメリカのジャズ状況を知り尽くし、音楽的には自身のスタイルも完成したころだ。ライブとはいえ「黒いオルフェ」というバップ一筋の秋吉には似合わない選曲も余裕の表れだろう。アメリカで自立した音楽家の演奏はとても眩しい。

 川田さんは小生よりも一回りも年上の大先輩だが、矍鑠とされていて件のジャズクラブではアドリブが決まると大きな拍手を送っていた。そしてプレイヤーにかける声も一際大きい。今年いただいた年賀状には今年もアメリカのジャズスポットを巡ると書かれていた。またお会いしたときのレポートが楽しみだし、何といっても秋吉や渡辺貞夫が勉強を重ねていた日本のジャズ黎明期を知る方の体験は貴重だ。

敬称略
コメント (10)
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