その昔、セクシー・ジャケット・マニアが必死で探し回ったというマリー・マクドナルドの「ザ・ボディ・シングス」のジャケットを見たとき、三島由紀夫の小説「仮面の告白」の一節を思い出した。「血の泉が泡立って湧き上がり、滑らかな太腿のほうへと流れてゆく」とか、「腿の肉がつややかに白いのである」という太腿から性的欲求が露になる部分である。三島の自伝的作品ならではの表現は文学という束縛を超えたものだ。
斉木克己氏のライナーによると、このマリー嬢なるシンガーはトミー・ドーシーの目にとまり、バンド・シンガーとして採用されたものの録音の機会に恵まれず、チャーリー・バーネット楽団に移るが、ここでも録音はなく、リーダーと男と女の関係が出来ただけに終わったそうだ。思わず羨ましそうにバーネットの写真を見てしまった。(笑)そしてバンド・シンガーに見切りをつけたマリーはロスに移り、ここで歌手兼女優として売り出すも、本業よりもプレイガールとして浮名を流し、雑誌のゴシップ欄を賑わす。それでも映画には主役や準主役で数本出演しているので女優としては実力も人気もあったのだろう。
「The Body」はマリーを売り出すための異名だが、「The Body Sings」というタイトルからは違うことを想像する。いらぬ妄想は消して、じっくり歌に耳を傾けてみよう。そのセクシーなジャケットからは甘い声を思わせるが、落ち着いた声でしかもオーソドックスな唱法に驚く。レコードはこの1枚しかないが、ハル・ボーンのゴージャスなバンドに負けないほどの大きさを感じさせるし、美しい声とコントロールはシンガーとして立派に通用したであろう。スタンダード中心の選曲だが、とりわけ「恋に恋して」はオリジナル通りのワルツ調で華麗に歌い上げる。多くの恋の遍歴は体を求める男ではなく、優しく愛してくれる男との恋に恋していたからかもしれない。
そう言えばススキノに観光客を目立てにしたジャケットのようなセクシー美女の看板がいたる所にある。ネオンに照らし出された写真は妖艶に映ることもあり、酔った勢いに観光気分も手伝い、つい足が向くようだが、大抵帰りはがっかりだ。看板の女性のお母さんかい?という嬢やら、セクシーというよりただ太いだけの腿だったりする。看板という仮面を剥がした姿を見たようだ。酔いが醒めなければいいが・・・
斉木克己氏のライナーによると、このマリー嬢なるシンガーはトミー・ドーシーの目にとまり、バンド・シンガーとして採用されたものの録音の機会に恵まれず、チャーリー・バーネット楽団に移るが、ここでも録音はなく、リーダーと男と女の関係が出来ただけに終わったそうだ。思わず羨ましそうにバーネットの写真を見てしまった。(笑)そしてバンド・シンガーに見切りをつけたマリーはロスに移り、ここで歌手兼女優として売り出すも、本業よりもプレイガールとして浮名を流し、雑誌のゴシップ欄を賑わす。それでも映画には主役や準主役で数本出演しているので女優としては実力も人気もあったのだろう。
「The Body」はマリーを売り出すための異名だが、「The Body Sings」というタイトルからは違うことを想像する。いらぬ妄想は消して、じっくり歌に耳を傾けてみよう。そのセクシーなジャケットからは甘い声を思わせるが、落ち着いた声でしかもオーソドックスな唱法に驚く。レコードはこの1枚しかないが、ハル・ボーンのゴージャスなバンドに負けないほどの大きさを感じさせるし、美しい声とコントロールはシンガーとして立派に通用したであろう。スタンダード中心の選曲だが、とりわけ「恋に恋して」はオリジナル通りのワルツ調で華麗に歌い上げる。多くの恋の遍歴は体を求める男ではなく、優しく愛してくれる男との恋に恋していたからかもしれない。
そう言えばススキノに観光客を目立てにしたジャケットのようなセクシー美女の看板がいたる所にある。ネオンに照らし出された写真は妖艶に映ることもあり、酔った勢いに観光気分も手伝い、つい足が向くようだが、大抵帰りはがっかりだ。看板の女性のお母さんかい?という嬢やら、セクシーというよりただ太いだけの腿だったりする。看板という仮面を剥がした姿を見たようだ。酔いが醒めなければいいが・・・