多くのビッグバンドが存在したスウィング・ジャズ全盛期のころ、プレイヤーは楽器ひとつ抱えてバンドを渡り歩くのが常だった。一番の理由はギャラだが、なかには全米を回るツアーに嫌気がさしたり、金銭や女性を巡ってリーダーやバンド仲間とトラブルになることもある。リーダーも心得たもので、他のバンドから引き抜いたり、補充するプレイヤーを用意をしていたという。それだけ層が厚かったのだろう。
幾つのもバンド経歴があるプレイヤーは、このようなトラブルを抱えて棲家を変えているが、実力と人柄を買われて次から次へと引き抜かれたテナー奏者がいる。49年にベティ・メイスのバンドを皮切りにラッキー・ミリンダー、サイ・オリヴァー、ニール・ヘフティ、ジョニー・リチャーズ、ウディ・ハーマン、バディ・リッチ、クラーク・テリー等々、所属したバンドを全部挙げると下段まで埋まるのはセルダン・パウエルだ。明らかにレスター・ヤング系だが、レスターほど繊細でないかわりに豪快な一面もあり、持ち替えでフルートもこなす。多面性があるプレイヤーは、バンドを色づけするのに格好な人材といっていい。
そのほとんどをバンドマンとして過ごしているのでリーダー作は少ないものの、このルースト盤は中型コンボをバックに速い曲は豪快に、バラードは繊細にと緩急自在のパウエルを堪能できる。なかでもガーシュウイン兄弟の「サムワン・トゥ・ウォッチ・オーヴァー・ミー」が白眉だ。この曲の名唱といわれいるリー・ワイリーが、もしテナーを吹いたらこんな感じかもしれないと思うほどよく歌う。手元に歌詞カードがあればパウエルに合わせて歌ってみよう。理想の恋人との出会いを夢みる女心を描いた歌詞は、ある程度の歳になると恥ずかしくて歌えないものだが、歌うテナーが上手にリードしてくれる。
パウエルの活躍はビッグバンド全盛期を過ぎてもセッションやスタジオの仕事という形で続くが、68年には何とコマーシャリズムに魂を売り渡したとまで酷評されたアルバート・アイラーの「New Grass」に参加している。更に76年にはアンソニー・ブラクストンの「Creative Orchestra Music」で、フリージャズ・ミュージシャンと渡り合い、86年にはミリー・ヴァーノンの歌伴を務めていた。華麗な経歴は相手を選ばない。
幾つのもバンド経歴があるプレイヤーは、このようなトラブルを抱えて棲家を変えているが、実力と人柄を買われて次から次へと引き抜かれたテナー奏者がいる。49年にベティ・メイスのバンドを皮切りにラッキー・ミリンダー、サイ・オリヴァー、ニール・ヘフティ、ジョニー・リチャーズ、ウディ・ハーマン、バディ・リッチ、クラーク・テリー等々、所属したバンドを全部挙げると下段まで埋まるのはセルダン・パウエルだ。明らかにレスター・ヤング系だが、レスターほど繊細でないかわりに豪快な一面もあり、持ち替えでフルートもこなす。多面性があるプレイヤーは、バンドを色づけするのに格好な人材といっていい。
そのほとんどをバンドマンとして過ごしているのでリーダー作は少ないものの、このルースト盤は中型コンボをバックに速い曲は豪快に、バラードは繊細にと緩急自在のパウエルを堪能できる。なかでもガーシュウイン兄弟の「サムワン・トゥ・ウォッチ・オーヴァー・ミー」が白眉だ。この曲の名唱といわれいるリー・ワイリーが、もしテナーを吹いたらこんな感じかもしれないと思うほどよく歌う。手元に歌詞カードがあればパウエルに合わせて歌ってみよう。理想の恋人との出会いを夢みる女心を描いた歌詞は、ある程度の歳になると恥ずかしくて歌えないものだが、歌うテナーが上手にリードしてくれる。
パウエルの活躍はビッグバンド全盛期を過ぎてもセッションやスタジオの仕事という形で続くが、68年には何とコマーシャリズムに魂を売り渡したとまで酷評されたアルバート・アイラーの「New Grass」に参加している。更に76年にはアンソニー・ブラクストンの「Creative Orchestra Music」で、フリージャズ・ミュージシャンと渡り合い、86年にはミリー・ヴァーノンの歌伴を務めていた。華麗な経歴は相手を選ばない。